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わが青春、自販機エロ本の世界⑧

 前回は、持ち込み原稿をもって『ガールハンター』編集長・田中一策を訪ね、それを縁に群雄社の編集見習いとなった、というところまで書いた。その続きである。
 編集長といっても『ガールハンター』は実質上、田中氏が一人で作っていた。自販機本はおおむねワンマン・マガジンである。おそろしいことに、レイアウトから版下、写植の貼り込みまで一人でこなしていたのだ。デジタル時代の今、版下という言葉自体、死語だろう。
 群雄社では『ガールハンター』、『コレクター』、『フォトジェニカニカ』の3誌の自販機本を出していた。それら3誌の間をうろうろしながら、ポジ切りやリード書き、原稿取りなど編集のイロハを憶えていった、と言えば聞こえはいいが、要は雑用係である。その間をぬぐって本来のライター仕事もこなす。インタビュー文字起こしに始まって、告白手記、小説、コラムと座付き作家にでもなった気分で一日中ペンを走らせていた。たとえば、ページに穴があいたから何か書けといわれれば、「じゃあ、ここは団地妻秘密座談会でいきましょう」とこうなる。座談会といっても、ライターの頭の中で作るでっち上げの座談会である。正直これは結構書いた。行数も稼げるし、途中話が脱線してもどうにか恰好がつくし、いかようにでも伸ばすことも可能だから、「座談会」は書き手としては楽なのだ。
 告白手記にいたっては、これを本物の「告白」だとは読者だって思ってはおるまい。エロ本ライターになると、まずやらされるのが、この告白手記だ。これも定型があるからやりやすい。「いいじゃねえか奥さん」とか「イヤだイヤだと言いながら…」とか。一番、読者受けするのは、水道工事人や御用聞きなどの労働者が、中流の人妻をむせかえるような性的辣腕によって陥落させるという設定で、これを「階級闘争」と呼んでいたのは、某大手実話誌の編集長だった。彼もまた学生運動の敗残者の一人だったのである。
もしかしたらエロ本告白手記は世界で一番短いプロレタリア文学なのかもしれない。

群雄社時代の初期、よく先輩たちにつれて行ってもらった、今はなき御茶ノ水駅前通りのバーまいまいつぶろ。急こう配の階段を上がると、そこは薄暗いカウンターだけの細長い店だった。無口で頑固そうな親父がマスターだ。名物はワイスキーサワー。レシピはウィスキー+オレンジジュース+炭酸か。
神保町の喫茶店さぼうる。よく打ち合わせと称して、ここで一服したり、本を読んだり、原稿書いたり、ただただボ~ッとしたり。仕事をサボってくるから、「さぼうる」だと勝手に合点していた。もしかして、ネーミングの元は仏語のsavoir(知る)?ここはまだある。赤電話も健在。

(追記)他に、思い出すのはヨボ寿司。カウンターの寿司屋で、ヨボヨボのじいさんと息子夫婦でやっていたから、業界人からはそう呼ばれていた。ほとんど仕事は若夫婦に任せて親父はお飾りだったが、穴子焼きにはこだわりがあったのか、これだけは誰にも手伝わせなかった。それに敬意を払って(?)、必ず穴子を注文するのがマナーだと思っていた。
あと、名前は忘れたが、古本屋通りを少し入ったあたりにおいしい焼酎を飲ませる店があった。頭の禿げあがったマスターは顔見知りになると、昔の神保町界隈の話をしてくれた。「若いころ、栄養が足りなかったのか、体調崩しましてね。魯迅先生に診てもらったことがあります。親父が知り合いだったんで」。さらりとすごいことを言うものだと思った。

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