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訃報 扇千景さま~『3時のあなた』を憶えています。

 扇千景さんが亡くなった。89歳。
 大臣時代の既におばあさんとなった扇さんしか知らない人も多いが、もともとは宝塚出身の女優さん、若いころは大変おきれいな方だったのである。女優としては、ほとんど脇だったが、主人公にそれとなく助言したり、あるいは悪女ぶりを発揮したりと存在感のある役どころを演じられたいた。
 僕にとって扇さんはなんといっても『3時のあなた』、水曜日の健康体操のコーナーで、黒いタイツ(レオタードというより、この語の方がぴったりくる)に身を包んだ扇さんがなんとも悩ましく、毎週、学校から速攻で帰ってテレビをつけたものである。当時、僕は中学生。扇さんは僕のお袋(昭和9年生)より、一年年長、確か『3時のあなた』時代39~42歳だったと思う。当時は「熟女」とか「美魔女」とかいう便利な言葉もなく、この年頃のおばさんにモヤモヤくる自分ってひょっとしてヘ✖✖イ? と真剣に悩んだというのも今になってもなつかしい思い出だ。今もどちらかというと、女性はキャピキャピよりも30代後半から40代のしっとりした年増が好きだ。
どなたか、扇さんの「健康体操」の録画をお持ちの方、ぜひYouTubeにアップしていただけないだろうか。

▲「私にも写せます」。保守党党首時代、党のCM「保守ピタル」(なんじゃそりゃw)で女医に扮した扇さんが「私にも治せます」とセルフパロディをやっていたが、わかる人どれくらいいたか。スマホの普及で動画は「誰でも写せます」の時代になった。8ミリももはや死語だろう。


そうそう、この画像探しておったのです。

『3時のあなた』司会時代のエピソードをひとつ。
1974年、インドネシアのモロタイ島で、横井庄一さん(グアム島)、小野田寛郎さん(ルバング島)に続く、三人目の元「日本兵」が見つかった。中村輝夫一等兵こと高砂義勇兵のスニヨンさん(アミ族)である。
 その中村さんを現地で取材した扇さんは「この手で、ジャングルの中を一人で生きてこられたのですね」とその手を両手で包み込むように握った。中村さんは一瞬赤らんで、少年のような表情を浮かべたという。台湾の山の人にとって、内地の女優さんというだけで眩しい以上の存在だっただろう。まして、30年以上、女性と顔を合わせることもない生活を余儀なくされてきたのである。
 ジャングルから発見されたあとも中村さんの悲劇は続いた。「日本人」として出征した中村さんは「日本への帰国」を強く希望したが、当時の複雑な外交関係、とりわけ「ひとつの中国の原則」を盾にとる中共の横やりでそれは実現しなかった。台湾に「帰国」しても、妻は夫が戦死したと思い、村の他の男性と再婚していた(その後、再婚相手が身を引く形で中村さんと再再婚)。日本政府や台湾首席からの見舞金(約800万円)を得てアミ族一のお金持ちになるが、そのことが原因で逆にアミ族の中では浮いた存在になってしまった。以後は酒浸りの生活で体調を崩し、「帰国」からわずか5年後の1979年に亡くなっている。病床の中でも「息子を連れて日本に行きたい」と漏らしていたという。
  日本の教育を受け日本人として出兵(中村氏は闕所嘆願の志願兵だった)、30年間、取り残され忘れ去られてきた、元高砂族日本軍兵士に対する日本政府の対応はあまりに冷淡だと思う。実際、その対応を巡り日本国内で署名運動も起っている。
 扇さんの握手が、日本良民の気持ちを代表するものとして、中村輝夫さんに届き、たとえ一瞬でも中村さんの心を癒したとしたら、幸いです。

改めて、中村輝夫一等兵、ありがとうございます。
そして、扇千景元大臣、長い間、本当にお疲れ様でした。

(参考)河崎眞澄著『還ってきた台湾人日本兵』(文春新書)

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