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「日本は朝鮮にいいこともした」は正しいのか

1995年11月、時の江藤隆美総務庁長官の日韓併合時代に関する「日本はいいこともした」という記者相手のオフレコ談話が洩れ、これがきっかけで江藤氏は閣僚を辞任することになった。以後、長らく「日本は朝鮮にいいこともした」論はタブー視される風潮が続いた。
では、「日本は朝鮮にいいこともした」論はなにが問題なのだろうか。

悪いやくざという言い方はしない。やくざは悪いものという前提があるからだ。むろん善行を行うやくざもいるかもしれないが、それは全やくざ人口の一割にも満たない、少数派といえるだろう。
それと同じで、「日本はいいこともした」というと、日本が朝鮮に行った善政は1割も満たず、あとの9割以上は圧政ということになる。これは客観的に見て間違いであるといわざるをえない。
学校を建てインフラを整備し、病院や衛生施設を作り、階級制を廃止し、近代農業を育成し、女性の社会進出を激励し、法概念を徹底させた、これだけを見ても9割は「いいこと」である。
残り1割は「悪いこと」だったかもしれない。民情を無視した法律や規則があったかもしれない、現代の目から見れば公正さを欠く制度もあったかもしれない。日本本土でもまだまだ未成熟な部分があったのだ、そこは発展の途上ということでご容赦いただきたものである。
それはともかく、日本は朝鮮にいいことを多くしたのだから、比重を考慮してあえて言えば、「悪いこともした」が正しいのではないか。
日韓友好のためにも、「日本は朝鮮に悪いこともした」と堂々と胸を張れる日が早くくることを願う。記憶、反省、そして友好。LOVE&PEACE

註・江藤氏の発言を正確に記せば、「日本は悪いこともしたが、いいこともした」である。内容的にはしごくまともいわざるをえない。なぜか「いいこともした」という部分だけが、独り歩きして広まってしまった感がある。


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