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第6話 ケンパーク・パイナップルベティーズ駒沢1986新春

VISIONチーム、ケンパーク氏現る


86年が明けてすぐの1月4日、POSSEは新春早々駒沢公園に集結し、BMX &SKATESに興じていた。そこにBIGなお年玉がやって来た。本場USAのVISIONチーム・ライダー、ケンパーク氏が現れたのである。突然の出来事に公園は沸きかえった。ニューイヤーのバケーションでPOSSEの1人の家に滞在中だという氏はその温厚な人柄ゆえ、すぐに皆とうちとけ、一緒にジャンプ・ランプを飛んで遊び始めた。チャーリーと俺は自分達が作ったランプをアメリカ人プロが飛ぶ姿を見て「おおっ! ケン・パークさんが俺の作ったランプを飛んでるよ」と自然と笑みがこぼれるのをかくせなかった。ケンパークさんといえば、ストール(停止時間)の長いハンドプラントを得意とするバーティカル・ライダ一のイメージが強いが、そこはさすがに当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったVISIONチームのライダーである。ストリートでもその力量の片鱗を見せつけてくれた。ジャンプ・ランプ でメソッド・エアー、ジャパン・エアー、ワンフット・エア一、オーリー・エアー、スリーシックスティ、バリアル・エアーを次々と披露し、POSSE の溜め息をさそった。

駒沢公園のランプを飛ぶケンパーク


東急ハンズ駒沢カップとパイナップルベティーズ


翌週の11日には「東急ハンズ駒沢カップ」と銘打ったスケートの大会が、 当時俺がライダーをしていた東急ハンズ町田店のBMX&スケートコーナーを担当していた平塚振治氏が主催とジャッジを担当して催された。この頃はまだ何もなかったSS(ストリートスポーツ)広場にジャンプランプひとつだけで、BMXライダーである高橋潮と池田二郎と田村健も参加してのアットホームなお祭り的イベントとあってリラックスムードでプラクティスをしていた。

ところがそこに大瀧浩史君と三野達也君がアメリカ人のスケート・メイト3人と共にやって来た。聞けば平塚さんが前日に電話で誘っていたという。大瀧君と三野君はチャーリーや俺と年齢こそかわらないものの、「MOVIN'ON」などの雑誌でその活躍ぶりが知られていて、この頃には既に湘南は鵠沼海岸のサーフ・ショップ「パイナップルベティーズ」のオーナー、大野薫氏のもとで「DOGTOWN SKATES」のディーラーもしていた。 彼らはやって来ると同時にその場の雰囲気を一変させてしまうような日本人ばなれしたオーラを発しているばかりか、三野君のヘアスタイルにいたっては「ALVA BOYZ」ばりのド レッドヘアで、俺の知るかぎり日本人ドレッド第1号である。 俺はそんな2人のセンスの良さを心底リスペクトし、アイドル視していたので急に緊張してきた。その証拠にこの日の俺のいでたちといったら、THRASHER のペインター・キャップにパーカー、ベティーズのプリントのロングパンツ、赤 黒のナイキのジョーダン1にデッキはDOGTOWNのPOSESSED TO SKATEという当時のアングラスケートファッション大行進のような、今から思えば恥ずかしくなるようなものだった。ところが大瀧君達は、平塚さんがせっかくだから出場してくれといくら誘っても、大会には出ないと言っていた。俺には大瀧君達が自分達レベルの者が出場して駒沢の連中に疎まれるのがイヤで遠慮してくれているように思えたが、プラクティス中に目前で駒沢POSSEがまだろくに飛べなかったオーリーを大瀧君達がパンパン飛んでいるのを見て潮は「ナニ、このただれた雰囲気!」とぼやいていた。

15名程が参加して大会が始まると、ジャンプランプ以外にはこれといったセクションもないし、技のレパートリーも 少ないながらもそれぞれ一生懸命にランプを飛んだり、スライド系、ボーンレス系、ストリート・プラント系の技を繰り出していった。結果俺はこの大会で優勝する事が出来たのだが、自分がハンズのライダーでもあったし、なんか出来レースっぽくてバツが悪く、照れくさかったが見に来てくれたBMXer達を含めて駒沢 POSSE みんなが祝福してくれたのがなにより嬉しかった。そしてチャーリーが帰り道にいつもの居酒屋「妙義」でお祝いしてくれたことも。こうして駒沢公園に86年の春が訪れたのだった。


当日大会で使用した曲https://www.youtube.com/watch?v=NeD1cyZ8IqQ

つづく


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