俺の友達について

 25歳になった今もよく遊んでる連中の顔ぶれは小中学生の頃から全く変わらない。付き合いは長く深くそしてしつこい。

 友達を大事にくらいのことはわざわざ道徳でやってくれんでも皆んな実行する。とは言えこれだけの期間ずっと変わらず仲良いのは、これはきっとただの腐れ縁な気もする。それぞれの環境が少しでも違えば簡単にバラバラになれるし、小中高大と経て就職し更に3年が経った今、振り返ると環境が激変しやすい境界を潜り抜け俺と俺の友達たちはしつこく仲がいい。即ち腐れ縁だ。

 ちなみに男女間での友人関係は成立すると思っている。とは言えこんな知らん議論はどうでもいい。小学校1年生から絶え間なく仲のいい女友達がいる。外的要因により、途中心配になる人生を送りそうになっていたが持ち直してくれて良かった。どうでもいい話を言ったか言ってないか後になって覚えてないくらいのテンションで話せることが楽しいのかもしれない。話は脱線するし本題には辿り着かない。そんくらいが大体の人間にとっては心地良いと思う。

 友情と言うと熱苦しいもののように感じる。特別の思い入れはあるが、腐れ縁が俺らの関係性を手助けしてくれていることから、それほど熱苦しいもののようには思わない。大切にしているのかもしれないが、そういう意識をしているのか分からない。

 俺の友達について、尊敬できるし面白いし一緒にいて楽しいのには飽き飽きする程だが、こんなに時間が経っても結果論として未だに仲良く遊んでるわけだから、大切にしようという次元を超えている。どうあっても結局仲良いんだろうな、と思っている。


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