Mary Quant と Swinging 60's
60年代、ファッションの発信地は相変わらずParisで 時代の気分は2001年宇宙の旅、Yves Saint Laurent や Balenciaga、Courregesが未来志向のスポルティフなデザインを打ち出していました。
とはいえそんなハイファッションは一部のリッチマダムのもので、当然若い女子たちはトキめくものの対象を求め彷徨っていたことでしょう。
Mary の出発点は「私の(私たちの)着る服が欲しい!」
そしてその思いを同世代の女子たちと共有し彼女がリーダーとなり牽引したことによって彼女の作る服とフィロソフィーが爆発的に支持されるようになります。
彼女の手法は単純明解、そしてスピード感が勝負でした。彼女は型紙は既存のものに手を加え、 Libertyで買ってきた生地を自分で裁断してミシンでザクザクと縫います。そしてスカート丈は友達に着せて大胆にジョキジョキ切って長さ(超ミニ!)を決め、色の構成は布を切って表現します。
そしてできたそばからどんどんブティックに並べていきました。
巨匠が仕切るデザインチームも腕自慢のパタンナーも不要です。
経費最小限で若い女子も買える値段をつけて。
「カワイイ!何それ、どこで買ったの?」
「 King’s Road の Mary の店よ!」
SNSもない当時うわさが噂を呼び店は若い女子でいっぱい、連日行列です。
服は作っても作っても追いつかず、 King’s Road の Mary のブティック
「 BAZAAR 」周辺に溢れる膝上20cmのスカートは「破廉恥だ!」と物議をかもし、シルクハットの紳士は顔をしかめます。
そんな様子さえも彼女たちは面白がっていました。
だって彼女たちは「ボーイフレンドのためではなく自分のために脚を出すの!」と思っていましたから。そして合わせる靴はピンヒールではなくてフラットシューズ♪(だってTubeにスライディングするときとっても足さばきがいいの!)
Maryは服で得た利益をプロモーションに生かし始めます。
そしてそれは主に商才のある夫の Alexanderの仕事でした。
彼らの新作ショーは旬の生バンドが入りモデルがヒラヒラとめちゃくちゃなダンスを繰り広げます。わけのわからない活気と熱がそこにはありました。
Alexanderは Mary のブティックがある King’s Road のパブによく遊びに来ていた The Rolling Stones や The KINKS のメンバーとその周辺に集まるガールフレンドたちのファッションをつなぎます。彼らのスタイリングはベルベットのジャケットにフリルのブラウスというヴィクトリアン調やつまった襟のジャケットと細身のパンツのモッズスタイルです。
その隣には超ミニのグラフィカルなワンピースの女性が微笑んでいます。
Mary のファッションはいつも Rock'n roll のビートとともにありました。
メンバーのガールフレンドはたちまち Mary の服のファンになり
彼らの音楽の支持者と共に人気はますますウナギのぼりになっていきます。
Mary の評判は遠くヨーロッパにも響きました。
「シャネルに嫌われているのは知ってるわ」
いつも外交的な夫の影に隠れているシャイな彼女はそうつぶやきました。
やがて小枝のような手足にぱっちりエクステをしたまんまるの目がアイコンの Twiggy が Mary の服を着て世に出ます。
彼女の人気ぶりは日本に飛び、おしゃれ女子たちの間で爆発しロックンロールとともにMaryフィーバーが巻き起こります。
そして後に Mary にとっては日本がいずれ生涯において最も重要なビジネスパートナーとなるのです。
※このコラムは2022年11/26〜12/29までBunkamura the Museum で行われていた MaryQuant 展を見てのレポートです♪
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