見出し画像

ウマ娘の教科書(#1スペシャルウィーク)

後続に5馬身もの差を付けて圧勝した日本ダービー、
天皇賞の春秋連覇、モンジュ―を破ったジャパンC、
グラスワンダーとのグランプリでの激闘……などなど、
好敵手にも恵まれたスペシャルウィークは勝つ時も負ける時も記憶に鮮烈に残るレースが多かった。
通算成績は17戦10勝。GⅠ4勝、GⅡ4勝、GⅢ1勝などを含めて、10憶9262万3000円もの賞金を獲得し、当時の歴代賞金王でもあった。
ファンの間でも人気の高かったサンデーサイレンス産駒
スペシャルウィークが歩んだ道程を紹介する。

『優駿』2005年5月号31ページより

・スペシャルウィークの戦績

1997年

11月29日 新馬戦   1着

1998年

1月6日  白梅賞(500万下)     2着

2月8日  きさらぎ賞(G3)    1着

3月8日     弥生賞(G2)      1着

4月19日 皐月賞(G1)     3着

6月7日  日本ダービー(G1)   1着

10月18日 京都新聞杯(G2)    1着

11月8日 菊花賞(G1)      2着

11月29日 ジャパンカップ(G1)   3着

1999年

1月24日 アメリカジョッキークラブカップ(G2) 1着

3月21日 阪神大賞典(G2)         1着

5月2日 天皇賞・春(G1)        1着

7月11日 宝塚記念(G1)          2着

10月10日 京都大賞典(G2)          7着

10月31日 天皇賞・秋(G1)       1着

11月28日 ジャパンカップ(G1)  1着

12月26日 有馬記念(G1)          2着


スペシャルウィークは1995年5月2日に生まれ、2018年4月27日に没した。

父はサンデーサイレンス、母はキャンペーンガール、母の父はマルゼンスキーという血統であった。

生涯成績は17戦10勝。主戦騎手は武豊で共に戦ってGⅠを4勝した。

同騎手はスペシャルウィーク号によって初めてダービージョッキーとなった(だからTVアニメ第1期で武豊が実況席に居た)。

牡馬クラシック三冠戦線ではセイウンスカイ、キングヘイローと共に3強を形成した。

二冠はライバルのセイウンスカイに譲ったものの、勝ったダービーでは2着に5馬身差をつける圧勝劇を演じた。

4歳時のジャパンカップでは1着のエルコンドルパサー、2着のエアグルーヴに次ぐ3着と善戦した。

この年度はダービー以外にもきさらぎ賞、弥生賞、京都新聞杯などの重賞競走を制している。

翌年、スペシャルウィークはペリエ騎手を背に乗せてアメリカジョッキークラブカップで始動した。

天皇賞・春の前哨戦として選んだ阪神大賞典を快勝した後、本番のレースではメジロブライトを1/2馬身退けて優勝した。

続く宝塚記念では栗毛の怪物グラスワンダーに惜しくも敗戦(実況によれば、「これと決めた時の的場(騎手)は強い!」と徹底したマークにあってのものだった(この場面はアニメでも巧みに表現されている)。

秋競馬では前哨戦として京都大賞典に出走したが、7着に敗れた。

それを受けて天皇賞・秋では4番人気となった。

しかしながら、この秋、スペシャルウィークは逆境を見事に覆し、天皇賞春秋連覇を達成した(タマモクロスが史上初)。

ジャパンカップでは同年の凱旋門賞馬であるモンジューなど多くの有力外国馬を凌いで優勝した(結果的にエルコンドルパサーの敵討ちとなった)。

その後、引退レースとなった有馬記念では再びグラスワンダーと対戦して、僅か4cm差の2着となった。

また3着には同年の皐月賞馬であるテイエムオペラオーが入った。

この有馬記念は「競馬に勝って勝負に負けた」(武豊の発言)とも言われている。

スペシャルウィークにとってもう1つの3強(エルグラスペ)対決の舞台は引退レース後の「年度代表馬選考」や、21世紀における「顕彰馬選考」戦線にもあった(99年は特別賞)。

なお、この世代ではいずれもエルコンドルパサーが選出されている(制度の不具合から「顕彰馬」選出に長く時間を要したが、笑)。

スペシャルウィークの母キャンペンガールの母系は日本有数の名牝系と言われるシラオキ系に属し、その血筋は小岩井農場のフロリースカップに繋がる。

産んで直ぐに亡くなった母、日本競馬史を体現するかのような血統背景を持つ「宿命の仔」スペシャルウィークは、その意味において同時期に活躍した同世代の馬と一線を画す存在であった。

スペシャルウィークが「日本総大将」と言われる所以は、当時のルールではエルコンドルパサー、グラスワンダーが外国産馬であり、クラシック戦線に参加出来なかったこと(だから二重の3強状態が形成されることになり、その中心にスペシャルウィークが居たから競馬が盛り上がった)。

また日本ダービーと天皇賞を春秋連覇したこと。

我が国の競馬界を代表する武豊騎手が主戦ジョッキーであったこと。

そして、何よりも血統的背景から日本近代競馬史における名門の家系だったこと。

そのことに尽きる。

なお、2000年のミレニアムキャンペーン(「Dream Horses 2000」JRA主催)で公募され、ファン投票で選ばれた「20世紀の名馬100」では2位となっている(エルコンドルパサー10位、グラスワンダー13位)。

※ 年齢は旧表記(数え年)

【参考資料】

おススメ本:

『優駿』2005年5月号(30~34ページ)
付録DVD:名馬の蹄跡シリーズ スペシャルウィーク

江面弘也(2019)『名馬を読む2』三賢社(スペシャルウィークは2に収録)

おススメDVD:

名馬コレクションシリーズ スペシャルウィーク:駆け抜けた王道(みち)

参考URL:

日本中央競馬会(JRA)ホームページ

ウィキペディアの「スペシャルウィーク」、「Dream Horses 2000」の項目をより簡潔にしました。

トップ画像:
ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(サイゲームス)

アニメ:
TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー』(サイゲームス)

追記)

当時、スペシャルウィークとサイレンススズカはライバル関係にありませんでした。1998年11月1日の天皇賞・秋で星となったサイレンススズカの幻影を追いながら新しいヒーロー誕生に思いをはせる。1999年の天皇賞・秋とはそのような種類のレースであった。
競馬ファンの心の隙間を見事に埋めてくれた馬がスペシャルウィークであり、サイレンススズカの夢を背負ってくれた(背負うことになった)馬がスペシャルウィークだった。

(2022.3.4)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?