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皐月賞の話:2010年4月18日(前編)

 また今年も皐月賞の季節が近づいて来ました。だから少し思い出話をしようと思います。この年の皐月賞はVIP席で観ました(普段はゴール掲示板前で観ています)。当時、私は東京大学大学院総合文化研究科で学んでいました。まだ私が20代の頃です。頭も非常に悪かった。とても情けない時期です。ちなみにスーツ服姿で競馬観戦をしたのはこの日が初めてでした(笑)
メンバーは本村凌二先生(指導教員)、浅田次郎先生(作家)、古井由吉先生(作家)、山野浩一先生(血統評論家、SF作家)、九條今日子さん(故・寺山修司先生の元奥様、宝塚出身)などです(他にも有名な先生方が2名ほどおられました)。
 一緒に「優駿人席」(たしかこのような名前であったと思う、笑)で過ごしました。私の向かい側には九條今日子さんが居ました。ここは馬主席とはまた違った雰囲気で、異なる場所にありました。ちょうど中山競馬場のゴールを少し過ぎた辺りのスタンドの最上階が「優駿人席」と「馬主席スペース」です。他に芸能人が来るスペース(スタンド中央最上階)と、また別に特別なスペースがあると聞いたことがあります(これは後に明治大学の研究員の方から聞きました)。
 私はこうした場所へ著名人と行くのはとても慣れていました。が、指導教員の説明によって各先生方のお名前を知りました。ちなみに鞄の中にはたまたま寺山修司先生の『勇者の故郷』が入っていました。それゆえ九條今日子さんの名前を伺った時は少し驚きました。
 このスペースでは全ての競馬専門紙、スポーツ新聞が揃っていました。まるで夢のようです(笑)また、席に座ると勝手に豪華なお弁当や飲み物が出てきます。コーヒーが減ってきたら瞬く間に注いでくれます。私は本当に何もしなくてもいいのです。だから少し緊張しながら座っていました。

 九條今日子さんは、気品に溢れる、まるで吉永小百合のような女性でした。話す内容も素敵でした。ちょうど桜が咲いた季節に雪が降った年で、その話を笑顔で楽しそうに語っていました。桜の雪化粧・・・今でもはっきりとこの時の会話は覚えています。また、九條さんは馬券予想がとても上手で、もう13時くらいには大勝していました。なので、メインレースを待たずに同席した先生方に別れを告げて颯爽とお帰りになられました。その姿もまたとても素敵なものでした(笑)
 本村先生はワインを飲みながら競馬予想をしていました。先生の推しはダイワファルコンのようでした。弥生賞3着の走りについて自身の競馬理論を熱く語っておりました。ちなみに先生は大の穴党であります。
 浅田先生は「ワイドの浅田」と呼ばれていました。じっと座っている様子ではなく、予想となると真剣そのもの!一匹狼型の馬券師(ギャンブラー)です。流石、『壬生義士伝』の作者だと思いました(当時の私は浅田次郎先生のことはまったく知らず、後になってからドラマや本で知りました)。
 山野先生は血統分析の大家でしたから独自理論のもと、競馬を楽しまれていました。古井先生はパイプ(たばこ)を吸いながら予想新聞片手に熱心に検討しておりました。その姿はまさに孤高といった感じで非常にかっこよかったです。
 私は、というと。100円、200円で遊んでいました(笑)。馬主席を見渡すとお金持ちの夫婦とそのご子息、ご息女がオシャレな恰好をして贅沢三昧しておりました。途中、少しショックな出来事に遭遇しました。私が100円玉を入れて遊んでいたところ、馬券購入が上手くいかず返金となりました。その100円玉を「邪魔だ、どけ!」と言わんばかりにある馬主席の人が脇にずらしました(否、投げつけました)。これにはとてもショックを受けました。だが、それもそのはず・・・。皆さん最低万単位でお金を賭けているのです。小銭など見る機会はまったくありませんでした。私の方がおかしいのです。けれでも、やっぱりこういった場所は私には合わないなと思いました。なるべく汚い恰好をして人混みに紛れるのが大好きです(笑)

 それにしても優駿人席は凄いところです。中山競馬場の場長さんが深く頭を下げに来ます。私にもです(笑)。岩田騎手や井崎脩五郎さんも挨拶をしに来られました。「あ!テレビの中の人だ!」何だか私も偉くなったような気がしました。でも、あの100円の件の直後・・・

 私は食事を終えた後、一体どのように行動したらよいのか分からずにウロチョロしていました。そんなところに本村先生がワインを持って来て、コップに注いでくれました。他の有名な方も私にワインを促してくれました。とても優しかったです。そこで色々な競馬のお話をさせて頂きました。

 そうこうしている内にメインレースの時間となりました。私たちはベランダに出て皐月賞を観戦しました。しかし、私は馬券を買いませんでした。というのも、京都で追っかけをしていたルーラーシップが皐月賞出走に間に合わなかったからです。またザタイキの無念さも感じていました。だから心の中ではずっと泣いていました。悔しくて悔しくて無念でたまらなかった。今、この文章を書きながら目がうるむほどです。それくらい大ファンでした(この話は別の項目で話したいと思います、笑)。

 皐月賞はヴィクトワールピサが勝ちました。とても武豊騎手の乗り替わりとは思えない最内を強襲した岩田騎手の見事な手綱捌きでした。個人的には2着に入ったヒルノダムールの善戦の方が気になりました。なぜなら、(現地で観ていた)若駒ステークスでルーラーシップに土をつけた馬だったからです。そのせいでルーラーシップのローテは大きく狂いました。

 さて、全てのレースを観終わった後、私たちはオケラ街道を歩いて一緒に食事をすることになりました。その話は後編で語ることにします。

(2022.4.15)

追記)
挨拶に来られた騎手は武豊騎手だと思っていましたが、岩田騎手でした。
当日、ヴィクトワールピサは1番人気でしたから。
骨折中の武豊騎手は自宅でテレビ観戦したそうです。

追伸)先生方には大変お世話になりました。敬意と親しみを込めて・・・


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