皐月賞の話:2010年4月18日(後編)
帰り道の入場門付近で本村先生は私に「3万円寄付しちゃった」と耳元で囁きました。私は300円寄付しました(笑)というのも緊張で馬券を買うどころではなかったのです。ワインを飲ませて頂いた分、収支としては間違いなくプラスになりました。ありがとうございます。有名なオケラ街道を7人で歩きます。途中、神社に立ち寄りました。全員で「願掛け」をすることになりました。おそらくこの儀式はメンバー間で恒例の行事となっているのでしょう。この日、鐘(鉄板だったかもしれない)を打ち鳴らす紐に専用の器具(鉄)が付いていませんでした。「馬券が当たりますように!」(合掌)の後、浅田先生の「鳴らねぇじゃねぇか!」の物言いに対して後方に居た私は大爆笑しました(無論、心の中での話です、笑)。この「鳴らねぇじぇねぇか!」は言うまでもなく私たちにも伝播しました。「本当に鳴らない・・・一体あの鐘を鳴らすのは誰か・・・(一瞬、頭の中で和田アキ子の歌が流れました)」。
私たちはオケラ街道をひたすら歩きました。そして、ついに目的地であろうおでん屋さんに到着しました。もう先生方はこの店の常連客らしくすぐに看板娘であろうおばさん(否、おばさま)と競馬トークが始まりました(そもそも何でこんな大人数の客が入れるスペースが「たまたま」空いていたのだろう、と今になっては思う・・・笑)。「どうでしたか?(馬券は当たりましたか?)」先生方は笑ってごまかしましたが、各々で会話の内容が異なっていた模様です。私は一体何者か?といった質問はまるでなかったです(笑)。そもそも競馬場の中に居た時でさえ私は宙に浮いた存在でした。名前がありませんでした(とりあえず本村先生が連れて来た人という感覚だった)。
おでんを中心にさまざまな料理が食卓に並びました。私の向かい側には山野先生が座っていました。隣には古井先生が居て、斜め左には本村先生が座り、その右隣奥には浅田先生が座しておられました。私は一番店の奥、調理場の側に居ました。相変わらず古井先生はパイプ(たばこ)を吸われていました。席について料理が揃うと、山野先生が待っていましたと言わんばかりに何かを取り出しました。それは「マズルブラスト」のクオカードでした。今見ると第54回金盃と書いてあります。このカードを全員に配りました。まずはその話題から始まりました。途中、私の他己紹介もありました。本村先生は「私の研究室で競馬史の研究をしている高橋くんです」、と紹介しました。私はたいへん恥ずかしい様子で対応しました。そうです。私は東大で競馬史の研究をしているのでした。緊張感からか、もうそのことはすっかり忘れていました(もともと私は学問とまったく縁のない人間であり、単なるギャンブラーでした。その視点で競馬観戦に来ていました。後に縛られることになりますが・・・笑)。
居酒屋での会話は第1回ジャパンカップについての話、ローマ競馬の話、血統についての話、芥川賞受賞者の話、皐月賞の話、最近の競馬環境について、大いに盛り上がりました。特にオウンオピニオン、綿矢りささんの話はたいへん興味深かったです(ここでは言えない話もあります、笑)。話の間にちょくちょく漫才が入ります。ローマの競馬の話になると本村先生というマスターがいます。血統の話題になると山野先生というマスターがいます。したがって、何か競馬に関係するテーマが定まると、必然的にマスターの前で話すことになり、最終的にマスターが話題をまとめることになります(笑)。浅田先生にしても古井先生にしてもそうです。芥川賞と直木賞のマスターが揃っているので、この手の話題になると必ず最前線の人物に流れ、そこで話が収束します。
そう言えば、忘れていました。私に1つ質問が出ました。「高橋くんは将来どうしたいの?」私は答えました。「競馬に関する仕事がしたいです!」そう言うと、一同「そりゃあ、大変だー!!」と述べました。この時が一番盛り上がりました(笑)。
そのことは「今となっては」よく分かります。これは事実であると思います。紙媒体は縮小傾向(雑誌を発行する出版社や予想専門紙はウェブに切り替えなければこのまま生き残れない時代に・・・)。また、馬産地はサラブレッドの生産数の減少と、かつてのような生産者の群雄割拠状態ではなく(メジロ牧場はその典型)、社台グループ内における列強時代(否、覇権)に。それに生産に関する仕事は大変な重労働です(会社とて変わりません)。ネット業界に目を向ければ、ネット競馬の一人勝ち状態が早くも生まれていました。ブローガーもライバルが乱立(している)。ユーチューバー予想家はまだ流行っていませんでしたが、今や戦国時代に。ゲームアプリ『ウマ娘』および、その攻略サイトやまとめサイト、さらにはゲーム攻略系ユーチューバーは当然の如く昔は存在しておりませんでしたが、これも戦国時代に突入中(否、もう定まっています)。しかもJRAの売上はバブル期と異なり、1998年から減少中でした(2011年まで売上減少、2012年からは回復。ただし、ブーム期と比べると低いです)。バブル期には紙媒体(雑誌、専門紙)が多数ありましたが、そのブームは下火に(逆にネット時代は動きが速すぎてあっという間に序列が定まります)。また地方競馬が次々とつぶれていったのがまさにこの時期でした(現在は笠松競馬の意見文を皮切りに、払い戻し=控除率改革、中央競馬の馬券発売、平日やナイター開催導入などで踏み止まっています)。
さて、業界内の話は終わりにしてオケラ街道の話に戻りましょう。帰り道、本村先生と古井先生はずっと芥川賞や馬事文化賞の話をしていました。私は浅田先生と山野先生と一緒にいました。浅田先生の方は確実に覚えています。話の内容は忘れましたが、東中山駅でお別れをしたと思います。私はいつも船橋法典駅から中山競馬場に通っていました。オケラ街道を歩くことも別の駅を利用することも初めての経験でした。だから帰りは多少苦労しました(笑)。
以上が私の思い出話となりますが、業界内の話が大半を占めてしまいました。今では古井由吉先生も山野浩一先生も九條今日子さんもお亡くなりになられました。諸先生方は現在における『ウマ娘』ブームを一体どのように感じる(分析される)のでしょうか。清水成駿さん、石川ワタルさん、岡田繁幸さんもまた・・・。
(2022.4.16)
追伸)先生方には大変お世話になりました。敬意と親しみを込めて・・・