ask【75】4分33秒

生れたばかりの愛は ほうっておくものよ というのは本当なのでしょうか?

まだ自分が若かった頃なのですが、好きで好きで堪らない女性がおりまして、ああ好きだ、君のためになら死ねる、好き好き大好き超愛してるビームを放ち続け、罠にはめたり、真心を見せたり、お金を湯水のごとく使ううちに何とか彼女の心もほぐれてくれてお付き合いさせていただく運びとなり(アレだよアレをやったんだよ!)、アルバイトの休憩時間、真夜中の公衆電話へ走り彼女のポケットベルへ愛の打電をしたり、彼女が大学から帰る時間に自分の車で迎えに行ったり、建築学科の厄介なレポートを彼女の代わりに書き上げて優をもらったりして、粉骨砕身、朝から晩まで馬車馬のように働いていたのですが、ある日、バイト先で余ったのでもらってきたクリスマスのチョコレートケーキを彼女と食べながらテレビを観ていたら、突然、彼女が自分はこの間知り合いの男の人に抱かれてしまったという告白を、普通のトーンで話し始めたのですね。さすがの私も固まってしまい、チョコレートケーキが喉の途中で停止して噎せながらインスタントコーヒーの入ったマグカップへ手を伸ばしましたね。天然、といえば天然。年齢こそ一つ上だったものの私にとっては天使だったその娘が急にメロドラマ化して、どういう経緯で抱かれてしまったかをポツポツと年末のくだらない懐メロ番組なんかを観ながら(簡単にいえば酒の勢いってこってす)、つぶやくわけでして、私は無言でその懺悔を神父でもないのにコタツの中で限りなく小さくなって聞いているわけです。孕石くんのことが大好きだし、今後自分のような甘ったれた人間が孕石くん以上の熱意で誰かに愛されることもないだろうし、孕石くんは善い人だし、正直な人だし(多分私が毎日のように彼女がいかに可憐で美しい人なのかを切々と語っていたことを指す)、私みたいな普通のつまらない人間と一緒にいてくれて凄く感謝していて、都合がいい話だってわかっているのだけど、孕石くんにだけは嘘はつけないしついちゃだめだってさっき思ってしまって、孕石くんさえ良ければこれからも仲良くしてくれると嬉しいです、みたいなことを途中から嗚咽交じりに彼女が話し切ったわけです。私は話を聞く間コタツの中で寝転がって自宅の天井のシミを見つめていました。それから彼女のことを抱いた知らない男が彼女の裸を見て感じたであろうことを想像していきました(そこのお前、この娘のアソコちょっと緩くなかったか?)。コンドームはちゃんと着けたのだろうかとか。何発くらいやったのかとか。お掃除フェラさせられたのかとか。聞きたいこと次々と浮かんでは枯れ野を駆け巡りました。長い沈黙がやって来ました。ようやくテレビを消す彼女。グズグズとティッシュペーパーで涙とか鼻汁を拭きあげる音。そこで私はとうとう言ったわけです。話はわかった。寒い中で悪いけれど、何も言わず今すぐ出て行ってくれ。それからまた少しの沈黙の後で、彼女は無言で立ち、すぐ隣の台所へ行きました。ガス給湯器が、バ・バ・バ・ボンツクと着火して、彼女がチョコレートケーキを食べる時に使った皿やフォークやアップルタイザーを入れたコップを洗っているのがわかりました。理解できました。悟りました。了解しました。食器を洗い終わると自分のコートを着て無言のまま、鉄の扉の前に行く音がします。そこから永遠にも感じる4分33秒が過ぎ、鉄の扉がゆっくりと開き、ゆっくりと閉まっていくのがわかりました。私には過ぎた女性でした。すなわち。愛を放って置けばこういうことになります。天使は天界から堕ちても堕天使になれば済むことですが、地獄の亡者が苦役を放棄すれば、無です。存在のすべてが沈黙の彼方へと消えてしまうのです。待っていてはいけないです。勝ちにいきましょう。もぎ取っていきましょう。何せ夜は短い。お願いです。どうかあなたのお相手のポケットベルを今すぐに鳴らしてあげてください。

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