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これは貴女と行った海ではない

受難の時代である。インターネットの普及にかつて見出した光はすでに曇ってしまった(あえて柔らかい表現を使うならば)。駄文、駄文、駄文の嵐が吹き荒れている。私は我慢がならない。最早どんな場所も糞溜めだ。私が才能を認めるような書き手には何がしかの矜持があった。正当性を欠いた怒りの発露こそ、一服の清涼剤である。だが現状はどうなっている?誰もが商売人のように自分たちのかつて誰かが既に作った定型文(ダブン)をこねくりまわすことに狂奔し、徹底的にコンプライアンスに則した自己検閲をかけ、全国津々浦々にまで流通させんと欲し、無機物のユートピアのような第二世界(バーチャルワールド)でアッパレ坂東武者とばかりに恥ずかしげもなく己を偽ることを競い合う始末だ。老害があるならば当然、雛害もある。餌の当てもなければ手に何も持たずに君たちはどうやって生きるつもりなのか。


某月某日。勤めに出ている会社が新しい事務員のパートのおばさんを雇い入れた。おばさんといっても私よりもうんと歳下なのであるが、あえておばさんとでも呼ばねばならないほどおばさんは可憐なおばさんなのであった。パートのおばさんは素性が謎に包まれている。社長の愛人なのではないか、と同僚は邪推して下卑たニヤケ顔を晒していたものだが、どうもそれはそんなに間違った推測でもなかったようである。兎にも角にもおばさんは可憐だった。立ち居振る舞いは二十歳そこそこの娘さんで(三十路は超えているにも関わらずだ)、どこかしら品位があり、チンピラヤクザしかいない我社の中でも特に異質に輝いている。簡潔にいうならばおばさんはやり手だった。男のリビドーを揺さぶることに長けている、よくいるタイプ。場所が変わればサークルクラッシャーだとか、オタサーの姫だとか、ミューズになれる蛇女。会社の男たちは当然、ざわついて浮足立った。浮足立ったといっても私の愛する同僚たちはあくまでもチンピラヤクザの穀潰しなので、知性の欠片も脳髄に存在していないから、かの蛇女の操る神経毒に侵されることはない。問題は、私だった。私は蛇女の蛇毒に完全に参ってしまった。サーチアンドデストロイ。おばさんの光った眼球が私を捕捉していた。


某月某日。おばさんは私の運転する社用車でふたりきりの空間で郵便局に向かっている。あやしい蛇女のショー。かわいいもの。艶のある髪。軽めのボディータッチ。そんなつもりは「ない」感の乱用。このおばさんにとって男は反応を楽しめて全力で殴ってもいいぬいぐるみである。川が土砂を運びやがて海岸線に至るがごとく、おばさんにとって男が自分にいれあげることは至極当たり前のことなのだ。このおばさんの蛇毒のすごいところは、捕手だけでもなく投手もやれる二刀流であることだ。受けも攻めも自由自在だ。しかもこのおばさん。異様に良い体をしている。ほぼ完璧といっていい。私のポンコツのディスクジョッキーがストゥージズのアイワナビーユアドッグを脳内ディスコに流す。この場合正しいのはユアプリティーフェイスイズゴーイングトゥヘルであるにも関わらずだ。残念ながら私は常にトラブルを欲している。危険を孕まぬ人生など生きるに値しない。私は挽回不能の劣勢だった。止まない砲撃に根負けしておばさんの連絡先を聞き出させられるのであった。


某月某日。蛇女の運転する車で私は箱根方面に向かっている。おばさんも私もそんな気はさらさらない。おばさんは事務的に私の行きつけの鰻屋に連れていくだけだ。鰻重だけ食べたらもうさようならする。さらば、である。紳士的にいこうじゃないか。へっへっへ。おばさんには幼い子供もフニャチンの旦那もいるんだぜ。私は必死のパッチであらゆる神に祈りを捧げる。悪魔を退けてください。私はお願いする。どうか。どうかひとつ。それでも蛇女の毒の牙が私の首根っこにがぶりときたのは一緒に海を見ていたときだった。ひどい降雨の中で海は荒れ狂っていて、それでも頭のネジのとんだ数人の釣り師が大物のカジキマグロを一本釣りしようと岩礁で待ち構えているのを眺めながら、私はおばさんの唇に吸い付かされていた。唇は鰻の脂でぬらぬらしている。とうとう性欲に負けて私は悲しい顔をしておばさんに一本釣りされてしまった。おばさんは手際は悪魔のように早い。子供の帰宅時間。旦那の餌の用意。私の射精。ガゼルがライオンに捕まり、月が昇って沈み、すべてが彼女の計算通りにすすむ。事が済むとおばさんは私の精子を飲み干した口で接吻をしてきながら、こんなすごいファック小学生の頃以来だわと『ファイトクラブ』に出てくる台詞を言った。私はこのときにマーラ・シンガーが言った本当の台詞について思いを馳せる。コンプライアンスを無視するならばマーラが本当に喋った言葉はこうだった。あんたの子供を堕胎してみたいわね。おばさんは大宮ナンバーの軽自動車を走らせる。私はおばさんの乳房を触ったり信号で停まったときに接吻したりするだけど、おばさんはどこか冷たい仕草でそれを避ける。これぞ、蛇女の境地だった。一発やったくらいで「あんたの女」扱いはやめてよね、ガゼルちゃん。おばさんはやり手だった。私とおばさんは会社では知らんぷりしている。まるで二人ともあの荒れた海の岸壁に打たれた波を見ていなかったように過ごしている。あの海は、あの寒かった空気は、あのリクライニングされた後部座席は思い出でさえないのだ。車で送ってくれた別れ際にドアの閉まる寸前におばさんはなにか言った。私は聞き逃したが、おばさんが私に何を言ったかくらいは予想できる。わかっているさ。おばさんとの情事は長い自慰行為に過ぎないってことくらいは。


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