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実の所私の脳はゼンマイ式で動いている

昨夜耳を綿棒でほじくっていたら五十年分の他人の怨みを煮詰めた様な耳垢が出てきて心の底から怖ろしかった。私が五十年も生きていないのにも関わらずにこんな五十年モノが耳からまろび出てきたことにもスピリチュアル信奉者(兼陰謀論愛好家)ならば意味があるというのかもしれない。それは耳垢ではなくて龍神の流した涙の結晶です。ちなみにアドルフ・ヒットラーは今も生きていて陰陽師の末裔たちと闘っているらしい。まったく愉快な連中だ。

元カノの事が忘れられない。別れてからもう何年も経つのにも関わらず、未だに彼女とまたセックスができたらどんなにか素晴らしいだろうという考えが浮かぶ。かと言って連絡の手段はないし、向こうも暇じゃないだろうし、おまけに私は妻帯者だ。それにしても妻帯者が外でセックスをしてはいけないなんて誰が決めたことなのだろう。こいつは極めて不自然な考え方で、まるで天動説のように無理がある。私の妻は所謂美人というやつで性格も百点満点だから結婚する前に、君は外でも自由にセックスしなさいと関白宣言した。誰がなんといってもこれは自然の摂理だ。摂理なのだから法や宗教的倫理観は度外視していい。性病にさえ罹ってくれなければどこで何をしたって自由だ(妻は残念ながら避妊具を使用しない女傑タイプだからチビでデブのパキスタン人とかとも出会ったその日のうちに生でしてしまう)。しかし、これも宇宙の真理ってやつなのか、或いはアドルフ・ヒットラーの野望、或いは龍神の思召しってものであって深く考えずに過ごす方が無難だと思う。

信じ難いことは多いが、天下の奇才トーマス・エジソンが死んだ人間と交信するための機械を晩年は熱心に研究していたことを知った時は驚いた。ニコラ・テスラが地球を真っ二つに割る研究をしていた時代に、何をまあ呑気な話もあったものである。大川隆法じゃないが、死者との交信を夢想しない人間もまた少なくないことは理解できる。私も同じ穴のムジナで、死んだ飼い猫を撫でたい衝動に駆られるし、元カノのしとどに濡れそぼったヴァギナに己の分身を挿し入れたい気持ちになったりはする。それにしたって、死者の国に電話をかけて一体何の利益が得られるというのか。耄碌はしたくないものだ。

「あの日あの時あの場所で君に出会えなければいつまでも僕たちは見知らぬ二人の、まま!」以上が我が日本国の国歌である『ラブ・ストーリーは突然に(作詞小田和正)』のサビの部分の抜粋である。私は国家転覆を目標に日々生きているのであるが、この曲を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。私が聴いてすぐに頭に浮かんだのはこんな生ぬるい生き方を強いられている日本国民は遅かれ早かれ滅亡するだろうから私は国家転覆が成ったあとの日本風土の新たな指導者として君臨してみたいということだった。「誰かが誘う甘い言葉に心揺れたりしないで君をつつむあの風になる」と小田和正は歌い上げる。この国歌を聴くたびに私は悲しくなって仕方がない。軟弱だ。あまりに無力である。私は埃を被った交信機を引っ張り出してきてヨミと入力する。交信機はガターピシガターピシとレシートの束を吐き出しながら、私のリクエストした黄泉の国へ通信を始める。レシートには英語でアドルフ・ヒットラーと通信中とだけ出ている。ワーグナーのバックミュージックが微かに聴こえているが、肝心の大先生の肉声は聞こえる気配がない。苛立って私は交信機の電源を落とす。なんせ今年の電気代はバカにならないくらい高い。ヒットラー元帥ならば、むざむざ君をつつむあの風になろうとはしまい。元帥は言うだろう。電撃戦だ。よく訓練された我がドイツ軍は深い森を一息に越えて日和見主義者の巣食う花のパリを解放するであろう。しかしながら、ヒットラー元帥は交信機に声を届けてくれません。なぜでしょう。ふっふっふ。君はもう気づいているのじゃありませんか。彼は今も生きているってことに。

あの日あの場所で、とは思わない。今だって私は元カノに夜伽をお願いしたい。それは性病よりも怖い病気、記憶ってやつのなせる業だ。まるでゼンマイバネでも巻き直すように私は綿棒で耳の中をいじくり掻き倒す。綿棒の先には五十年も熟成されたような耳垢の塊がついている。よく観るとその塊はヒットラー元帥ではなくジョン・レノンの顔にそっくりだった。私はジョンに言う。肉欲こそ全て!

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