ask【77】水着

特に何の悩みもないといえばないのですが、消えてなくなりたいという衝動が定期的にやってきます。死にたみとどう接していけばいいのか教えてください

別にすればいいと思いますよ、自殺のひとつやふたつ。前髪をかきあげて、嗚呼…死にたいなあ…だなんて太宰治を愛読するロックスターっぽくて素敵じゃないですか。私はあなたの顔も知らないし、あなたがどんな人なのかも文面だけでは想像の余地がなくて、どうやってあなたが永世チャンピオンである死の衝動と殴り合って勝利すればいいのかを、セコンドとして的確な助言を与える自信がありません。仕方がないので、自分の話をします。私は中学二年の時に無二の親友を事故で亡くしています。彼こと相馬とはクラスこそ一緒になったことはなかったのですが、小学校の頃から互いをよく知っている仲でした。顔も性格もよく、スポーツマンで、なおかつ私の好む悪辣な冗談の核である機知(エスプリ)の真髄への理解があり、共通の友人もいたことからすぐに意気投合をして学校の外でつるんで遊ぶようになったのです。相馬の家は大変に裕福な家庭で、反対に私の家は極貧の家庭でしたが、そのようなことは些細なことであると頓着などせずに付き合ってくれたのは彼だけでした。罪の擦りつけ合いや足の引っ張り合いのない、男と男の五分の付き合いです。春のクラス替えで私と同じクラスになった共通の友人であるKのことを心配して、私に密かに幼馴染であるKの面倒みてやってくれ、と頼みこんでくるようなところが相馬にはあり、私も虚弱体質で宮沢賢治マニアだったKの面倒をよくみてやりました。相馬とはよく二人きりで話をしました。この世の不条理や、知的な生活を送る事や、生と死について(軽薄なことや女の話などはあまりしなかったですね)。兎にも角にも、一度きりの人生だ、生きたいように生きようではないか、と私と相馬は固く誓い合ったものです。相馬はスポーツマンでしたので、放課後は常に忙しかった。陸上部と柔道部を掛け持ちしていて、どちらも県のトップクラスの実力者。勉強の方面も優秀で、医者の家系であるから、ご家族などもかなりの期待を長男の彼にはかけていたのではないでしょうか。部活動の事故で、相馬が死んだことを知ったのはKからの電話でした。私は最初Kが泣きじゃくりながら言っていることがどうしても飲み込めなかったものです。夏休み直前の頃でした。学校一の人気者だった相馬の死は、すぐに皆に報らされて、先輩も後輩も含めて校内はヒステリー状態に陥ってしまいました。誰もが彼の死を悼み、嘆き悲しみ、暗い顔をしてうつむいて鼻汁をすすりあげていました。通夜には数百人が押しかけてセレモニー会場はパニックになり、葬式への出席は「特に親しい者のみの参加」が許されることになりました。しかし一番の仲良しだったはずの私は、葬式には出席しませんでした。私は葬式の間、プールの授業を受けていました。クラスメイトの女子の長尾さんは中学生のくせに見事なバストとヒップをしていて、まるで和製マリリン・モンローの様相を呈しており、私は相馬の葬式よりもバスト観察を選んだわけです。空がぬけるように青かったし、早くも蝉が合唱を始めており、スクール水着に圧迫された長尾さんのバストの形もこよなく美しかった。相馬の葬式に出なかった冷血漢として私は、クラス中から一時期総スカンを食らい、あれだけいじめの窮地から救ってやったKさえ私を避けるようになりました。長尾さんはエロい目線を私から受け続けることに嫌気がさしてプールの授業には出なくなるし(夏の間にお父さんの仕事の都合により転校してしまった)、当時付き合っていた双子の彼女とは荒れた気持ちの私の言動が原因で別れるし、飼い猫も死ぬしで、もう散々。まあ、クラスの中では肩身は狭くなったのですが、私は他のクラスの知り合いもいたし、何より職員室には大人の友人たちが大勢いたので(当時の私には教師たちとしか楽しい会話ができなかった)、無視される以外では特に被害を蒙るわけでもなく、日々は淡々と過ぎていきました。夏休みが終わる頃、一度線香をあげにいかないか、と誘われて相馬の家に何人かの友人たちと一緒にお邪魔することになりました。私は気持ちの整理がつかぬまま彼の位牌と写真をぼうっと眺めておりますと、相馬の弟さんが頓狂な声をあげます。相馬は二人兄弟で、弟さんは重度の知的障害をもっていたのです。相馬の母上はサスペンス女優のようなパンチの効いた美人でしたが、相馬の父上とは離婚しており、抹香臭い豪邸の中、暴れる相馬の弟さんをあやす様はこう書いては身も蓋もないかもしれませんが、とてつもなくフォトジェニックでした。私の内部に巣食っていた空虚が、いつの間にか弟さんの耳をつんざくような金切り声に追い出されていたのです。私は位牌の横の相馬の写真を再び見ました。相馬は笑っています。笑ってはいますが、ははは、あの写真の相馬の笑いは彼のよくやっていた邪悪な微笑みであり、長尾さんのバストを阿呆のように眺めるのはよせ、と今にも忠告を与えてくれそうな表情でした。私は弟さんに歩み寄って、彼の手をひいて隣の部屋に行き、床に広げてあったプラレールで遊びながら皆がしんみりした気持ちで線香をあげ終えるのを静かに待ちました。あの日から、私の中には相馬がいます。私の年齢は、半分にしたものを相馬と分け合っているのです。私は死にたいと考えたことは一切ありません。見たいものを見て、生きたいように生きる。そのことに妥協ができなくなりました。いつでも相馬は私に邪悪な微笑みを投げかけてきます。できれば、あなたにも時折啄木鳥が来ては叩き止まない、この胸の邪悪な森に蔓延る微笑みを分けてあげたいくらい。泣いても笑ってもチャンピオンベルトを巻こうと昏倒してリングに沈みこもうと、生まれてすみません、一度きりの人生じゃありませんか。銀河鉄道の走る真っ暗な宇宙に、待った無しで巨大なバストが揺れていると考えてみて下さい。例の強烈なやつを一発。黄金の右ストレートをぶちかましてやりましょうよ!

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