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世界一周鳥籠の旅

文鳥を飼う前は飼い鳥は一生を檻の中で過ごすことになって可哀想だと本気で考えていた。実際に飼ってからは考え方が変わった。文鳥は自分の境遇に対して惨めだとは微塵も感じていないようである。一生を檻の中で過ごすのは我々も同様で東京の中目黒駅前であろうとハワイの溶岩帯だろうとタイタニック号の見学ができる潜水艇の中だろうと鳥籠の中と同じである。我々は肉体の中から出ることのできない閉じた世界しか知らない。それを惨めだと思うかどうかは知性や品性の問題だろう。小鳥たちは自分に与えられた環境に満足しているかどうかは別として水と食料、寝床の確保、天敵の有無、くらいにしか興味がないように観察できる。自分より何百倍もでかい人間をどつき回して一歩も引かない。フィンチ類はインコ類と違って知能がやや低いため、鳥籠の出入口の開け方がさっぱりわからないので、毎度毎度シャーロック・ホームズのような名探偵ぶりを発揮してどうすれば鳥籠から出れるか推理し実行する(大抵は床に敷いてあるペット用のシートをひっぺがして秘密の地下通路を探すのである)。そんなに必死のパッチで鳥籠の外に出て何をするかというと特に何もしない。飼い主の手に飛んできて羽の手入れをした後で目を瞑り眠る。それかプライベート空間として自分で設定した棚の一部に飛んでいってまったりする。群れで行動するので、呼び鳴きはよくするが人間が飛べないことは理解しているのか実際には来てくれとは思っていなさそうである。絶対的に安全な家の中を行ったり来たりして冒険する。バードライフを満喫している。水浴びしたい時は水浴びアピールをする。夜になって眠りたい時は騒ぎだし、いざ捕まえようとすると今夜はオールするから触るんじゃねえよと逃げ惑う。小鳥とはまったく遠慮などしない愉快で痛快な生き物である。昔、掛川花鳥園に行ったことがあるが鳥類に精通していないため鳥を頭に載せたりなど全然できなかった記憶があるが、今なら百羽でも全身に載せてみたい。知性が低いと言ったが犬猫と同様で人間でいうと3歳児並に頭は使える。挨拶を除くと鳴き声で、憤怒、激怒、不快を使い分けることができ、基本的には「おい、この野郎」か「暇だからちょっとはたかせろ」か「ぶち殺されたくなければ動くんじゃねえよ」しか喋っていない気がする。あまり平和的じゃないかもしれないが、人間同士が喧嘩をするとすっ飛んできて喧嘩を仲裁してくる(優しい)。文鳥がどんな考えで生きているのかは謎であるが謎は謎のままでいいと思う。彼らには彼らの思考があるし、何せ彼らは鳥類であって霊長類ではないのである。我々は間違っても鳥を擬人化してはならない。鳥は惨めではないし、人間も惨めではない。名探偵でも生きることの意味までは解明できない以上、粛々とやっていく他に術はないのである。私はこの小さな恐竜たちを尊敬している。

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