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泣くこと

先週、京都、名古屋とソロライブをした。去年から始めたソロだが、毎回「涙が止まりませんでした」という感想をもらう。こんな時期だから、ライブに来ることすらままならず、久々にきいた生の音には心が揺さぶられるだろう。

そういえばいつだったか、ある女の子が熊坂くんのコントラバスを見て、音を聴いてみたいと言った。女の子といってももう成人はしていて、でもあんまりうまく社会で生きていけない感じの子だった。その訴えは切実で本物すぎて、楽器をしまいかけていた熊坂くんはもう一度楽器を出して、コントラバスを弾いた。静かに低い音が鳴り響いていく中、女の子は吸い込まれるようにコントラバスに耳を近づけていった。最後の音が消えていくにつれてエフホールに耳をどんどん寄せていき、そして、音が消えた瞬間、涙をぽろりと流した。

音が生まれ、消えるというのはそういうことなんだな、と思った。

たくさんの音が溢れかえる今、音の意味はちゃんと生きているだろうか。いろんな形があっていいと思うし、楽しめているならばいいけれど、私は音楽を産む者として、その音が生まれて消えていくという尊さを最後まで大事にしたいと思う。そう思って、ここにかけている。だから「涙が止まりませんでした」などという感想は、自分の出した音が自分に還ってきたような嬉しさがあるのだ。もちろん他にいただく感想もとても嬉しい。細胞がピチピチした、とか、元気もらったとか、そのままそっくりいただいた言葉を返したい。私はこの場所で、私そのものだなと思える。本当にありがとう。

かくいう私は泣くのが非常に下手くそである。小さい頃からである。覚えていて、幼稚園の頃から「泣いてはいけない」と思ってきた。男の子たちに構われても泣かない、女の子に仲間外れにされても泣かない。転校した時など、「転校生の泣き顔をみる」という謎の風習があり、下敷きや教科書の角で休み時間中叩かれまくっても泣かなかった。ある日、あんまりに頭にきてその下敷きを一人の男の子から取り上げ、その男の子をめっためたに下敷きで叩いて、突き飛ばして、大声で泣いた。自分から溢れ出た怒りに驚いて震えて泣いた。下敷きで叩かれたから泣いたと思われるのも悔しくて泣いた。「もっと早く泣けばよかったのに」と友達に言われたけど、そんな簡単なことじゃないのだ。結局大声で泣くならさ、とも思うけど、でもできないものはできない。

そうこうしているうちに、泣かないことが板について、泣きたくても泣けなくなった。卒業式とか、みんなポロポロ涙を流して抱き合ったりして、私だけ泣いてないのは薄情に思われるかもと思って必死に涙を流そうとしてみたりした。込み上げてこない涙を必死に流す私。。今思うと滑稽だ。私から込み上げてこないもので私を作ろうとしていた20代は思い出してみても暗黒である。しかしそれも20代の終わりに母が亡くなって、今まで泣いてこなかった分の涙が堰を切って流れ出し、今まで取り繕っていたものが全部が流れ去った。母が最後にくれた一番のものかもしれない。私はとても楽に、軽くなって、30代を迎える。それにしてもあんまりにも泣くことに不慣れで、本心を言おうとするともれなく涙付きという面倒くさい奴になった。

息子が泣くと、「泣いただけ強くなるんだよ」と言ってきた。映画を見てわんわん泣いたりする。息子は泣きたい時に泣いている。よかったなと眺めている。私はというと、涙を見せたくないという気持ちはやっぱり消えないので、心が動いている割には我慢して、やっぱりもう隠せなくなるまでは泣いてないふりをする。まあ、私はやっぱりそんな素直じゃないんだなあって思う。

名古屋のライブが終わって、「涙が止まらなくて。。もうそのあと美しい音を聞くたびにずっと涙が出てました。」とある方が言ってくれて、とても嬉しくて、何かが巡ったなあ、通ったなあって思っているうちに、私の中の何かも外れてしまったのだろうか。次の日の朝、泣けて泣けて仕方がなくなってしまった。このツアーが終わってしまうこと、一緒にツアーを回った相方と別れること、お腹が空いていること、お風呂に入れないこと、次のライブの予定が立っていないこと、空が晴れていること、楽しくてたまらないこと、最高だってこと、家で家族が待っていること、全部が全部愛おしく、涙が止まらなかった。音が生まれ、消えてしまう、その涙と一緒。こんなに幸せなことってないなって思う。

家に帰ると、息子が、友達が昇降口でうっかりうんこを漏らした話をしてくれた。その話が面白くて面白くて、大笑いした。それでまたソファに転がってこっそり泣いた。どこまでも素直でない私。でもたくさんの涙。私はまた進んでいけるって思う。



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