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負債と言われた築120年の古民家から生まれた家族の物語/スペースマーケット Host Story

「この建物は親族からも、そして自分たちも、先祖から受け継いだ大きな負債だと感じていました」

身近すぎて自分にとっては、価値が分からなくなってしまったものでも、見る人が変われば、全く別の価値が生まれ、思いも寄らない出会いや物語が生まれることがあります。

今回は、築120年の古民家をレンタルスペースとして貸し出しをされている、町田さん親子にお話を伺ってきました。

19代続く、村長さんの住む家

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埼玉県坂戸市一本松。
都心から1時間とは思えない広い空と風が吹き抜ける広大な敷地の中に「春皐園(しゅんこうえん)」はあります。

この辺りは、江戸時代に狭山茶という緑茶の生産地として栄えた場所。

「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と謳われていたように、とても上質な茶葉の生産地だったそうです。

「『春皐園』は戦前までは、お茶園でした。曽祖父は村長さんで、いつも人が訪れる賑やかな場所だったようです。戦後、お茶園の継続が難しくなり、ぶどう園、蚕、田んぼ、畑などの家業をしていました。昔は皇室の方も休憩処として立ち寄りされたこともあるんですよ」

そう話すのは、30年前に「春皐園」18代目のご主人のもとに嫁いできたお母さんの敏子さん。

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「嫁入り前はお家のことは何もしなくて良いってきいてたのに、いざ来てみたら、ひっきりなしに来客がある家でびっくり。親族や地域での集まりごとがあると、20−30人来るのは当たり前。お菓子やお料理をつくり、子供たちが運んでの繰り返し。私は女中さんなの?!って思ってましたよ(笑)」

「春皐園」は、10畳の4つの和室を囲み、たくさんの人が一同に集まることができる。当時でも、なかなかこの間取りのお家は少なかったとか。

ご主人と敏子さんは、平日は公務員・医療関係とフルタイムでお勤めしながら、週末は畑や田んぼ、自宅の手入れ、そして3人のお子さんの子育てと考えただけでも、目の回るのような忙しさ。

「おじいさん、そしておばあさんが亡くなってからは、ぶどう園や田んぼや畑を維持することも難しくなってしまい。ほとんど辞めてしまいました」

その後、子供たちも就職し、家庭をもち、この家を離れ、次男の康寛さんとご両親の3人暮らしに。

ひとけがなくなった家に新しい風を

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「3人で住むには広すぎるこの家は、住む人が少なくなっていったことで、風通しが悪くなってきて、廃れていくのが目に見えて分かったんです。周辺もどんどん子供達が出ていって取り壊される民家もありとても残念に思っていました」

こう話すのは、町田家の次男である康寛さん。現在は「春皐園」の19代目としてこの屋号を引き継ぎ事業を始めている。

康寛さんは、大学卒業後、中学校の教員として忙しく働きながらも、いずれは自分で教育の場をつくりたいと考えていた。

現在は転職し、会社員として働きながら「春皐園」を運営している。

ーそもそも、なぜ『春皐園』という屋号を継ぎたいと思ったんですか?

「『春皐園』には先祖が築き上げてきた歴史があります。建物も築120年の歴史があり、しっかりとした造り。ただ、人の出入りがなくなると建物はすぐにダメになっていくことを実感してました。こんな建物、今建てようと思ってもなかなか建てられない。そして、先祖が繋いできた『春皐園』という屋号を次の世代にも繋げていきたい。そんな思いが募っていき、ここを舞台にして教育の場を提供したり、人と人が繋がり、新しい価値が生まれるような空間をつくっていきたいと思ったんです」

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時代のかたちに合わせて家をつなぐ

ー康寛さんから継ぎたいという話を聞いた時はどう思われましたか?

「とっても嬉しかった!ただ不安もね。こんなに大きい家だから、草むしりするだけでも大変。建物を維持するのも、お金も時間もかかる。好きじゃないと絶対にできないと思っていたので、子供達に無理に継がせることはできないと思っていました。

私たち夫婦はフルタイムで働きながら、修繕費や維持管理、来客のもてなしなど時間もお金もすべて持ち出しでやってきました。一方で、子供たちには同じ苦労はさせたくないと思っていました。そもそも、私みたいな働き者のお嫁さんはなかなかいないですからね(笑)」

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康寛さんは「春皐園」を始めるにあたり、体験農業や古民家カフェ、商品販売など色々な手段を模索する中、民泊やレンタルスペースといった、建物が価値を生み出す事業がこれからの「春皐園」の未来にも繋がると考えご両親に相談した。

ご両親も、年齢的にいつまで手伝えるか分からない不安もある中「家が収益を生み出す」この事業に賛同し、2019年4月から「春皐園」の運営が本格的に始まった。

「実際始めるまではだれがどんな利用をするか想像がつきませんでした。近所の人が集会で使うくらいしか考えられなかったですね」

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運営を開始すると、家族の予想に反して続々と意外な予約が入ってくるように。

「一番多い利用はコスプレイヤーさんなんですよ(笑)遠いところからここを目指して来て、みんなでお化粧して、撮影会をしています。裏の畑や竹林が人気スポットなんですよ。特に刀剣乱舞の皆さんにはすごく人気で」

まさか自分たちの自宅がコスプレ撮影に利用されるとは思ってもいなかったので、最初は本当にびっくりしたそう。

コスプレ以外にも、結婚式の前撮り、ミュージックビデオ、テレビドラマ
、映画の撮影、学生の自主映画撮影は毎年同じ大学に利用されている。

「洗濯物を干してたらタクシーが4台連なってきてどこに行くんだろうと思ったら家に入ってくるんですよ。最初はびっくりしちゃって!みんな遠方から『春皐園』を目指してきてくれるんです」

世代を超えて、交流する場所へ

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積極的に情報発信をすることで、地域の方と一緒に自主企画のイベントも開催している。

「SNSを通して繋がった方と一緒にひな祭りと子供の日は子供が主役のイベントを開催しました。ひな祭りは、雛人形を子供たちと一緒に飾り付け、
こどもの日は、屋根より高い鯉のぼりと子供達がつくった手作り鯉のぼりを飾ったりしたんです」

「敷地内では、昔遊びや着物でのお茶会ハーバリウムや苔玉教室なんかも開催されてお庭にはキッチンカーもきて大賑わいでした」

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敏子さんはその景色を眺めながら「うちじゃないみたいだね」とお父さんと話していたそう。

「春皐園」が村の中心だったころのように、地域の人たちが集まり、世代を超えて交流する。

訪れる人たちが口を揃えて「おばあちゃんちみたい」と感激する。古民家を綺麗に整えたホテルや旅館はあるけれど、生活感がある空間をそのまま体験できる古民家はそう多くない。

子供も大人も懐かしさを感じながら、畳に寝転がり、縁側の風鈴の音を聞きながら、ついつい、お昼寝をする人が多いのも頷ける。

家族でつくるおもてなしのかたち

「春皐園」がの居心地の良さはこの建物と環境が素晴らしいという理由だけではなく町田一家のおもてなしの賜物なのだと思う。

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「お客さんの声を聞くのが一番大切!利用後、感想を聞いて少しずつ工夫していく」と敏子さんは言う。

例えば、コスプレイヤーさんのために、撮影小物用の古い小道具を貸し出したり。洗面所に鍵を取り付けて貴重品が置けるようにしたのは、イベントや撮影会で、初対面同士が出入りする様子を見たから。

「撮影中に暑い、寒い」という声を聞いてエアコンを4機設置したり、古くなった縁側をヒノキに改修するなどの、大掛かりな修繕にも取り組んだ。利用後は毎回座布団を縁側に干し、季節ごとにカバーも変える。

「建物は古くても、設備や水回りは機能を重視して、清潔感は一番大切にしてますね。みなさんが気持ちよく使ってもらえる様にちょっとずつ手を加えていってます」

そして、お庭では康寛さんが友人と作った、手作りピザ窯やBBQ台や現役で利用できる竃(かまど)もある。

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キッチンには、臼と杵・かき氷・流しそうめん・そば打ち用のセット、夏には、康寛さんが裏庭の竹をきって流しそうめんができるオプションまである。

「春皐園」にくれば、楽しいイベントができることは間違いない。至れり尽くせりの品揃えである。

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「小道具やキッチン備品は、昔子供が使っていたものや、好きで買い集めてきたものがほとんどです。昔は家族から邪魔だよと言われたけど、今やっと日の目を浴びてるんですよ(笑)」

綺麗に整えられた畳に寝っ転がり、縁側からの清々しい空気を胸いっぱい吸い込みたくなるそんな空間になっている。

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負債が、価値に変わった

「『春皐園』は親族からも、そして自分たちも大きな負債だと感じていた時期もありました。自分にとっては、生活の場所だったのでこの家自体の価値を考えることも無かったです。事業を始めて、利用してくれる人たちがこの建物や土地の価値を教えてくれました」

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今、「春皐園」では行政や地域の商店とも連携を深めこの地域の魅力を発信することにも取り組んでいる。

近隣には狭山茶をはじめ、いちご農園やバラ園があり、家の裏には蛍が飛び交う。水が美味しいことから、酒蔵も多いとか。

この日も、康寛さんが作った冷たい甘酒で、汗だくの私をもてなしてくれた。

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「家族がチームになって同じ仕事ができるっていいですよ。それぞれ自分が『春皐園』の為にできることを考えて過ごしている」敏子さんは楽しそうに教えてくれた。

長い間、それぞれが全く違うフィールドで働いてきたからこそ、今、家族がチームとなって一緒の目標をもって働けることに喜びを感じ、お互いに感謝し合うことができる。

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近い将来、古民家カフェや体験農園もできればと考え、康寛さんは「調理師免許」と敏子さんは「衛生責任者」お父さんは「防火管理者」の免許を取得し、農地の整備も始めている。

敏子さんは、着物やお茶を体験できる機会を提供できればと、着付け教室に通う準備を始めた。

「春皐園」があることで家族みんなの夢がどんどん広がっている。

「最近年齢とか忘れちゃってるの(笑)」という敏子さんの言葉が、羨ましく大変な中にも心から楽しんでいる様子が伝わってきた。

先祖受け継いだバトンをしっかり握り、次の時代へ「春皐園」は走り出している。

インタビュー・文:スペースマーケット ホストコミュニティマネージャー 吉田由梨