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終わらない恋をしている

 昨年6月、新しく一人旅用のスーツケースを買った。8月にあるライブで遠征するための買い物だった。
 2019年、小学生のころから長く追い続けたロックバンドがデビュー25周年を迎えた。

 8月17日は晴天で、いっときの盛夏の暑さは多少やわらいだとはいえ、そこに立っているだけで汗が流れ落ちる程度には残暑のきびしい一日だった。
 わたしはその暑さのなか、真新しいぴかぴかのスーツケースを引いて、西武球場前駅に降りた。池袋駅で預けてしまう予定だったのが、道に迷ったり電車に乗り間違ったりするあいだに、すっかりロッカーのことを忘れてしまったのだった。あたりを見回してもそんな大荷物を持っている人は一人もいなくて、わたしは内心困り果てていたのだけれど、たどり着いてしまったからには仕方がない。会場のどこかすみのすみに置かせてもらうことにして、帰りの切符を買うために発券機の列に並んだ。

 そのとき通りかかった女性に思わず目をやってしまったのは、彼女が三人の子連れだったからというのもあるが、何よりも淡い色のロングスカートが汚れていたからだ。わたしはぎょっとして、思わず列から抜けて彼女を追いかけた。
 肩を叩いて呼び止めると女性は振り向き、けげんな顔をして「はい」と応えてくれた。わたしが「スカートが汚れています」と小声で言うと、彼女は驚いてその箇所を確認していた。
 けれど何か処置しようにもひとつしかないコンビニは人だらけだ。時間はというと開演までもう三十分ほどしかなく、グッズのバスタオルを買おうにも確実に間に合わない。
 それでわたしはその場にしゃがみこんでスーツケースを開き、中から私物のバスタオルを取り出して渡した。彼女は「いただけません」と断ったけれど、わたしは「ホテルに戻ればタオルはあります。ライブ楽しんでください」と言ってスーツケースを閉じた。彼女は「ありがとう」と「すみません」を繰り返し、バスタオルを腰に巻きつけた。そして末の子ども(三歳くらいに見えた)を抱き上げ、人混みの中に消えて行った。

 三人の子ども(それもひとりはまだ時々抱き上げなければならないほど幼い)を連れてこの炎天下だ。ご本人の体調も優れないだろう。
 きっとチケットを取るときにずいぶん悩まれたんだろうな、と思った。暑さ対策もたいへんだし、人混みのなか子ども三人のめんどうをみるのは並大抵のことではないのだから。それでも今日ここにやってきたその気持ちを思うと、めいっぱい楽しんで欲しかった。スーツケースをロッカーに預けなくてよかったと心から思った。

 後から気がついたけれど切符のことをすっかり失念していて、そのせいで帰り道の混雑に目を回すことになった。じぶんの詰めの甘さときたら、枚挙にいとまがない。

*

 ちょうどわたしがティーンだったころ、彼らは飛ぶ鳥を落とす勢いで売れに売れた。CDはミリオンヒット、音楽雑誌では表紙か巻頭付近にいつもいて、飛行機のラッピングとなって空を飛んだ。
 そんなふうに音楽シーンの一時代をたしかに築いた中で、けれど彼らの本質はいつも変わらなかったように思う。クールなたたずまいでありながら、曲は優しくてあたたかい。テレビ番組で見せる笑顔は、親しみ深くて飾り気がない。東京に暮らし、ふるさとをうたっていた。愛を叫び、反戦を声高に訴えた。
 わたしはまるでいつまでも冷めない熱病にかかっているみたいに、彼らに夢中だった。
 雑誌を切り抜き、テレビ番組を録画し、深夜のラジオを聴いた。リリースされるCDは予約して発売日を指折り数え、ライブツアーがあればかならず参加した。ファンクラブの会報を何度も何度も読み返し、高校生になると友人と彼らのふるさとを訪ねていった。

 わたしの十代はすなわち、彼らとともにある時間だった。たぶん何かを、誰かを本気で愛する人たちの誰しもがそうであるように。

*

 25周年のアニバーサリーライブは、彼らの軌跡とも言うべき映像からスタートした。スクリーンに映る若かりしころの姿を見て、となりに立つ女性が「懐かしいなあ」とつぶやいた。そこには彼らと、ファンひとりひとりの歴史があった。

 何度もくりかえし聴いたせいで、擦れて傷ついたベストアルバムの青いクリアケース。今はもう幻になってしまった大阪ドームでのライブ。ステージで笑えず、顔を上げないままベースを弾いていたころを知っている。20万人を集めた暑い7月31日。初めて函館を訪れ、憧れの人の足跡をたどった思い出の旅。音楽以外の部分で戦わなければならなかったこともあった。

 流れる汗と涙が化粧をすっかり落としてしまっても、わたしはじっとスクリーンを見ていた。
 出会い、別れ、旅立ち、結婚、挫折、いつだって人生の岐路にそっと寄り添ってくれた。日常に追われて心を病み、わたしが音楽を忘れてしまっていた時でさえ、彼らはいつでもそこにいた。わたしの心のあるべきたいせつな場所として。
 胸の前で両手をギュッと結んでいる人がいた。タオルを口もとに押し当て泣いている人や、ときおり笑い声をあげて「こんなこともあったね」と笑顔を見せている人がいた。まだ十代の女の子も、今は父になったいつかの男の子も、70歳を越えた人生の大先輩も、三人の子を連れたあの女性にも、あのとき会場にいた人の数だけ彼らとの物語があった。

「つらい悲しいことがあったら会いに来て。俺たちはいつもここにいます」

 そんなシンプルで、けれどとてつもなく難しい約束を、律儀に守り続けてくれた。25年間途切れることなくずっと、そして今もなお。

*

 25周年の終わりに行われるはずだったドームライブ三公演の中止が、今年4月に発表された。そしてそれとともに彼らは、医療機関への1000万円と、ライブのために準備していた5000枚のマスクの寄付を表明した。
 ライブがなくなって悲しいだとか辛いだとか、そんな気持ちが吹き飛んだ。「この人たちのファンでよかった」という誇らしい思いで涙があふれた。

 エンターテインメントが変化を強いられるなか、彼らもまた多くのミュージシャンと同じようにこれからの活動の形を模索している。いつかまた元どおり会えるようになる日を心待ちにして、今は画面を通してファンに音楽を届けてくれている。
 先日youtubeでライブ配信があり、その中でメンバーの一人がこんなことを言っていた。

「外村、俺はバンドがやりたいよ」

 デビューから25周年を迎えても、アルバムが何百万枚売れても、ワンマンで20万人を集めてライブをしても、高校生のころからなにも変わらない。ただロックを愛する気持ちをたいせつに抱いて、今まで走ってきた。
 過去も今もいつまでも、わたしはそんな彼らにただひたすら恋をしている。好きでいさせてくれることへの数えきれないありがとうとともに。

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