怒りが湧かない。それは人生においてとても生きやすいことだった。
最近感情について話すことが多い。
昔から機嫌が悪い人などから逃げていて、親にも怒られたことがないので少しでも声を荒げる方が近くにいると自分が言われているように感じる。
怒るような出来事ってよく考えてみたらなかったんですよね。
小さい頃にお腹がすいた妹と喧嘩したくらい。
でも、不思議なことに試練のようなものは用意されていた。
人について考えたコールセンター時代。
友達からの紹介だった。
対面での接客しか経験がなかったので「経験してみるか」くらいの軽い勢い。
初めて他人から怒鳴られた怖さ。
心は平気だけど体は反応して号泣。
真っ先に辞めると思われていた様子。
心と体って矛盾するのか、と不思議だった。
1日何十人と会話して悟ったことがある。
罵声を聞いて、黒い塊みたいなものが迫り上がってくる感覚に陥ったことはある。
でも「今、黒い物が喉まで来ている」と自覚すると不思議とそれは引いていく。
きっとこれだ。他人に感情を引っ張られることはあっても呑み込まれない理由。
また、同じ頃に始めた即興演劇の影響も大きい。
お芝居の勉強をしたくて一時期通っていたことがある。
初めて即興でお芝居をしたときの感動は忘れない。
「ここでなら感情のままに話していい。
相手もわかってくれている」
そんな安心感がある場所は初めてだった。
常に誰かの顔色を伺い、傷つけないように生きていく。
ずっと苦しかった。
この世界では、すぐに怒ったり泣いたりできる。
涙を見られても、相手の感情をちゃんと受け止めている証拠だと思える。
人としておかしいかもしれない。
そう思って泣いた夜もあった。
ちゃんと言われて嫌なことはある。
外見や、無意識な行動について。
生きていてよかった。
どこまでいっても欲には終わりがない。
ちょっと欠けている方々で世の中は成り立っていると思えば、私でも誰かにとっては「新しい視点を持った人」に映るようだ。
「そんな視点で演劇を捉えたことがなかった」
友達から以前言われた言葉を思い出す。
思い出せない言葉たちを想う。
心を動かされた言葉があったら書き留めておこう。
いつか、それらは救いになる。
一人でもいいと思わせてくれる。
怒りなんて、自分も他人も疲れさせるだけ。
ご機嫌でいる方法を見つけるしかない。
そのハードルが低くくてよかった。
この話もまたいつか。
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