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やりたいことが変わる人間の「この仕事を選ぶわけ」は

この文章は、パナソニックとnoteで開催する「#この仕事を選んだわけ」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

私は昔からやりたいたいことや将来の夢がコロコロ変わる人間だった。

小学生の頃は漫画家になりたいと思ったり、中学生になればテレビ局で働きたいと思ったり、はたまた音楽の道で生きていきたいと思ったり。入っていた部活も毎回違う。

高校生くらいまではまだ可愛いものかもしれない。でも決して裕福ではない我が家で、高いお金を払って大学に行かせてもらうとなった時、さすがに未来を真剣に考えようと思った。その当時、アメリカ留学から帰ってきたとんでもなく英語がペラペラのクラスメイトが居て、彼女の影響で英語や海外にとても興味が沸いていた。前に成田空港に行ったとき、たくさんの外国人とコミュニケーションを取っているスタッフの人が、かっこよかったなあ。・・・うん、それだ、空港で働こう!

そうして大学では英米文学を専攻し、英語圏の文化や人種問題などについて学んだ。それだけでなく英語のサークルに入り、短期留学も行った。

これはさすがに「空港就職」の道に大手をかけた・・と思いきや、選んだ就職先は広告会社である。

就職活動の時は、航空業界も視野に入れてはいたが、それ以上に広告の仕事をしてみたいという気持ちが強くなっていた。広告業界は一般的にも学生人気が高く、早い人だと入学した瞬間から就活対策をしている。その点、私は、”行き当たりばったり”と言われても仕方ない実績の無さ。武器はTOEICのみ(必要なし)。遅れを取り戻さなければと焦った。

どういう経緯だったかは忘れたが、大手広告会社のかなり偉い立場の方にも1対1で話を聞く機会を貰ったことがあった。私は緊張しながらも、頑張って捻り出した自己PRを話してみせた。

一通り話を聞いてもらった後でその人は、「で、なんでうちの会社に入りたいの?」と言った。

志望動機も伝えたつもりだった私は、「えっ、ですから、あの・・・」と再度説明しようとしたが遮られる。「自分の"これやりたい"を話すだけじゃ一方通行でしょ。」続けてその人は紙とペンを取り出し、大きな丸をふたつ、一部を重ねて描いた。いわゆるベン図というやつ。

「ひとつの丸はうちの会社の求める人物像。もうひとつの丸があなたのやりたいこと。この重なってる部分は何なのかを説明しないと。それじゃなきゃうちの会社を選ぶ理由になってないよ。」

重なってる部分…?

私は暫く口を紡いで考えてみたが、ただただ自分が不甲斐なくなるだけで、あろうことか200人は入りそうな大きなワンフロアのお偉いさんの席で涙を流し、同情のティッシュを貰うというただの恥さらしとなった。

ただ、泣いただけあってその日の体験は忘れがたい契機となった。何年も前から準備をしてきた訳ではないけれど、それでも広告の仕事をこんなにやりたいと思っているのに理由はあるはずだ。そこをハッキリさせる。そして、企業研究に力を入れ、その会社が目指す方向と自分のやりたいことがいかに合致しているかを言語化することに努めた。

周りの多くの友人が既に就職活動を終えていた初夏のある日、とある広告会社から内定の電話を貰ったときの喜びと安堵は今でも鮮明に思い出せる。まとまりのない人生を歩んできてしまったけれど、今度こそ地に足付けてキャリアを築こうと意気込んだ。実際、広告の仕事は楽しいことが多かった。4年間学んだ英語は殆ど使わないけど、これで良かったんだと思えた。

でもそれから3年半が経ち、私はその会社を辞める決意をした。そして別の会社に転職をした。しかも業界外への転職だった。


転職をするかどうか悩んでいた時、私は暫くの間「転職しないで済む道はないのだろうか」と考えていた。就活では、ひとつの事をやり続けてきていない故に劣等感を感じ、苦労したことを忘れていない。だから今度こそ自分と「約束」をしたと思っていた。転職は、やっとの思いでしたためた自分のビジョンに嘘を付くようで、後ろめたかったのだ。

小学校の卒業文集に「プロ野球選手になりたい」と書いていて本当にプロ野球選手になった人はすごい。周囲からも尊敬の眼差しに包まれている。それに比べて自分はどうだろう。そういう風にはなれないんだろうか。

もう一度、別のことがやりたくなっている理由について考えてみた。転職を考えたのは、人材系の会社。大きな理由は、自分自身の経験や、周りから聞く仕事の話を通じて、「働く意味」そのものについて考える時間が増えていたこと。より多くの人が「働く」を楽しめるようには出来ないかと感じていたこと。これは、実際に働いてみなければ得られない価値観だった。

最初の職場に語った夢は、嘘だったのか?ということも考えてみた。いや、嘘じゃない。ちゃんと本気だった。とびきり嬉しい時もあれば怒りがこみ上げる時もあり、”感情が動く”仕事だった。

一方で、入ってみて初めて分かったことや、理想とのギャップも当然あった。けど、苦しくてしょうがないほどのギャップじゃない。上司に相談すれば解消しようと努めてくれるだろう。でも本心がそうしたがらないのは、何故?

ああ、きっと、真っ黒なリクルートスーツを着ていたあの時から私も「変わった」んだ。身体が年を取ると同時に心も経験を重ねた。昔は仲が良かったのに疎遠になった友人もいる。知らなかった世界を知り、いま自分のいる世界と比べる。こっちも楽しいけど、そっちにも飛び込んでみたい。飛び込んだらどうなるんだろう?思えば漫画家を志した小学生の頃から、ずっとその繰り返しだった。

仕事を選ぶ理由って、一生にひとつじゃない。

そう思えたとき、もう迷いは消えていた。


今の会社には、何も不満が無い。とても恵まれた環境で、面接で自分が新たに語った「この仕事を選んだわけ」を、間違いじゃなかったと確かめる日々が続いている。

それでも、ずっとその仕事をして生きていくのかと問われれば、いつだって「それは分からない」と言うだろう。どんな仕事に就いてもきっと私はそうなのだろう。もしも次に新たにやりたいことが出てきたとすれば、これまで以上に軽やかに踏み出す予感もする。

何度も言うけど、夢の有言実行はむちゃくちゃかっこいい。同じ仕事を何十年と続けている人は、まさにプロフェッショナルで、輝いて見える。でも世の中そういう人間ばかりじゃないし、私はそうじゃなかった。自分が理想に逆行しているような気がしていたけど、考えてみればこの生き方で不幸を感じた事もない。

転職を繰り返している人はそうでない人より採用されにくいとか、30代に入ると一気に採用されにくくなるとか、聞くこともある。「仮にそうだったとしても、会社で正社員として働くだけが仕事じゃないしな」、で自分としては納得できてしまう。それに会社側だって、やりたいことが他にあって目の前の仕事にモチベーションを保てない従業員を抱え続けるより、やる気のある新しい人を迎え入れたいだろう。自分らしく生きないことは、周囲の人も含めて誰も幸せにしないと肝に銘じることにした。

スティーブ・ジョブズは人生はConnecting the dotsだと言った。一見関係のないように見える点と点も、過ぎた後で後ろを振り返って見れば、繋がって線になるのだと。これは、私のような人間を優しく包み込む金言だ。やりたいことがコロコロ変わった私の人生には、いくつもの点が散らばっている。まだ繋がっていない点も沢山ある。でも一つだけ言えるのは、どの点も本気で味わって楽しんできた。そして、ひとつも無駄だとは思っていない。また舞い戻ることだってあるだろう。いつか思わぬ点から線が結ばれることだってあるだろう。だから、その時にやりたいことを、その時の自分に正直に、やってみれば大丈夫。誰とも何の約束もしなくて大丈夫だ。やりたいことが変わっても、その時その時で語った理由にひとつも嘘は無いのだから。

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