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年末年始まとめ③ 自然豊かな當麻寺

ご朱印は幼少の頃からやってきたのですが、ここ数年はほとんどやらなくなっていました。ただ、新年からは久しぶりにやろうかな、と思っていて、せっかく奈良で新年を迎えるからちょうどいいな、と思っていたのに、肝心のご朱印帳を家に忘れました笑

どこかで買おうかなと考えていましたが、最近のご朱印帳はデザインが良くても、ツルツルコート紙みたいなのだったり中の紙質が良くなかったりして、個人的にはいまひとつな印象。それなら、前から気になっていた當麻寺奥の院の素晴らしいご朱印帳を入手しようと思いました。ちなみに、奈良なら、唐招提寺の方円彩糸花網をあしらったご朱印帳はデザインも紙質も良くオススメです。


當麻寺には昔から何度も訪れていますが、奥の院は初めてでした。

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當麻寺は中将姫が蓮の茎で編んだ当麻曼荼羅を本尊とする寺ですが、そうした雰囲気によく合う花の寺としても有名です。冬なので花も緑もあまりありませんが、この季節ならではの冬牡丹は囲いの中でかわいらしく、蝋梅ももういい感じに咲いていたり。

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収蔵庫にも初めて入りましたが、法然上人行状絵伝や二十五菩薩、右から見ると顔を後から修復で付けたのかな?と見える神将像など、なかなか興味深いものがありました。

下に降りて當麻寺の中心である本伽藍へも行きました。

今は當麻曼荼羅を祀る本堂が中心となって、東西に伸びた伽藍のように見えますが、もともとは南を正門として作られた寺院です。今も古代からの配置と同じく、鎌倉時代に再建された金堂と講堂は南北に並んでいます。そして南側には東西の三重塔が揃っています。

講堂の基壇から見ると、金堂とその左右に塔が見えます。

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古代の東西両塔が揃って遺っているのはここだけです。東塔がやや古く奈良時代の建築。二重目と三重目が二間になっているのは特異で、そのせいか体部の見た目もなんとなくほっそりして見えます。西塔は平安初期のもので、こちらは三間。遠くから見るとそっくりな二つの塔ですが、よく見ると造形は結構違います。

本伽藍からは見上げる形になりますので、奥の院から見た東西両塔の写真です。

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金堂には、日本最古の丈六塑像である弥勒仏坐像が安置されています。それを取り巻くように同じく白鳳時代の四天王が立っていますが、持国天は東京国立博物館で開かれる「出雲と大和」展に出陳されるため、お留守でした。

この印象的な四天王は、法隆寺金堂の四天王に続いて古いもので、法隆寺像と同じく、静かな雰囲気です。足下の邪鬼にも、同様の変化が見て取れます。邪鬼はそもそも古代インドにおいては多聞天の配下の森の神で、インドでの造形においても、重いものを載せる、という役割でしたが、日本にやってきて、最初は同様だったものが、天平時代以降になると、四天王が怒りを表す憤怒相になるにつれて、邪悪の権化のように造形されるようになるのです。法隆寺像とこの當麻寺像は、天平以前の四天王と邪鬼の変遷を知る上では非常に貴重な例です。

体躯が直線的で穏やかなのは法隆寺像と似ていますが、顔には豊かな顎ヒゲを生やし、表情とともにエスニックな雰囲気があります。日本では他に例を見ない造形で、中国・成都にその由来を見るといいます。何度見ても非常にカッコいい。

ちなみに、これら四天王は脱活乾漆でできていますが、かなりの破損があります。増長天は下半身は木彫の後補ですし、広目天も体部の多くは木彫の後補、多聞天はすべてが失われて鎌倉時代の後補像となっています。持国天が比較的よく遺していますが、それでもかなりの部分に後補があります。本尊の弥勒仏坐像も、両腕や腹部等、多くの補修があり、官寺ではない氏寺で千年以上も安定して保つことの難しさを物語っています。

奥の院のご朱印帳はこちらです。これは銀バージョンですが、金バージョンもあります。

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