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小説「秘書にだって主張はある。」第二話

 二 「戦争」

 それにしても、北海道か・・・
 恭子は思い返した。
 実は、北海道は恭子にとって生まれの土地である。
 そして、10才の時、この石巻に引っ越すまで、親子3人で旭川に暮らしていた。
 父は、旭川市職員、母は専業主婦であったが、家計が苦しかったのか、時折パートに出ていた。
 それが幼かったそして一人っ子の恭子には、少しさびしかったのではと思う。
 その分、恭子の関心は環境に向き、幼少から少女期にかけての情操教育に、旭川の大地が大きな影響を与えたのは確かである。
 恭子は、今でも小さな頃を思い起こし、故郷の北の大地を歩いて、大人となった今の目線で再確認したいというあこがれを、ずっと抱いている。
 しかしそれがもう、実際には簡単に訪れることができる場所ではなくなっていて、恭子にとって、とてもさびしく残念なことであった。
 そう、日本は、露西矢(ロシヤ)と千島列島の南部、北海道からは東北方向に位置する北島を巡って領有紛争関係にあり、ようやく、2年ほど前の海生3年1月、休戦条約を締結したところなのである。
 つまり、現在、北海道は総じて紛争地域と言えるのだ。
 さかのぼって見てみれば、北島のある位置には、かつて歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四つの島が存在したが、平成31年1月、突如、マグニチュード9.5の群発巨大地震が襲い、加えて地殻変動によって、ついに完全に海没してしまった。
 たった3ヶ月間のことだった。
 歴史的に見て、先に北方四島と呼んでいたそれらの群島を、昭和初期まで領有していたのは日本だった。
 しかし、太平洋戦争末期、混乱に乗じて侵攻してきたのはソエビト連邦軍であり、その後もそのまま、自国民を居住させて実行支配していたのだった。
 ソエビト連邦から露西矢へと国名は変わったが、実際に居住していた露西矢国民にとってそれはあまり関係のあることではなく、四島の沈没は気の毒な災害であった。
 そして、隣国である日本は、地理的な理由から、そして人道上の立場から、災害救助活動を申し出て、その結果多くの露西矢国民を救助したのだ。
 その後、地震活動は引き続き起きていたものの、海生元年5月、これまた突然に始まった地殻隆起は、海生2年までその活動を活発化させ、面積約1000平方km、最高標高373mの「北島」を誕生させた。
 命名は日本によるものである。最初に命がけで上陸を敢行して、日本の国旗を打ち立てて島名を付けたのは、救助活動を継続していた消防隊員だったそうで、良い行いは、良い結果を呼ぶと言える。
 非の打ち所がない英雄だ。
 遡ること、平成31年すなわち海生元年、日本においては、国民投票により、憲法改正がなされ、九条はすでに書き換えられており、日本は自衛のための軍隊を保有することができるようになっていた。
 日本と係争地を共有する他国は、一斉に抗議したが、もともと世界各国の防衛常識に照らして憲法案は策定されたものでもあり、アメリカ合衆国などの友好国は、「日本の軍備は、世界各国標準になった」と会見で意思を示した。
 大勢としては、大多数の国が中立的立場をとり、もともとあまり友好的でなかった国でも、憲法改正に対する反対意思表明にとどまっていた。そして、挑発的な姿勢をとる国でさえも、ミサイル発射実験を行う程度のものだった。
 しかしながら、露西矢だけは強硬な態度を堅持した。日本の憲法改正以降、北島に最も近い自らの軍事拠点の強化を開始して、それを、確実に継続していったのだ。
 そしてついに海生2年4月、露西矢は日本国に宣戦布告し、北島に侵攻した。建前はともあれ、戦略的な目的は明白であった。
 戦況は一時的に激しくなったが、1ヶ月ほどしてゆるやかとなった。露西矢の細い補給線が原因だと言われている。要は本格的な戦闘をするための物資が届かなくなったからだろう。
 一方、日本の東北地方は、北海道の軍事活動を支える「工場」として、その産業形態を1次から2次へと劇的にシフトした。それは海生特需と呼ばれ、活気に溢れた。
 一般的に、現代においては、戦争が起これば、一時的であれ景気は落ち込むと予想される。関係国のほとんどが損をするからだ。そして、損をした国が得をしている国の景気さえ丸ごと飲み込んで、広範囲な不景気に突入してゆく。。
 しかし、今回の海生特需では、当初の競り合いはあったものの、2国間の本格的戦闘状態は長く続かなった。そのために、特需が成立したのではないかと言われている。
 受け売りなのが情けないところだが、恭子だって勉強してるのだ。もちろん、仕事のためだけれども。
 そのような状況下で、関東から北海道間、つまり東北の交通事情も、目を見張るほど発達した。
 宮城の実家には、逆に行きやすくなったと感じるほどだ。
 ただ、簡単に行き来できるのは東北までで、北海道は、申請さえすれば行けはするものの、用もないのに行く場所ではなくなってしまった。悲しくも北海道観光の需要は、激減して久しい。
 恭子は、10才の頃に旭川を離れて以来、もう15年、足を運んでない。
 日露両国間が落ち着いていることもあり、なんとかして、彼の地に行けないものかと思っている。
 そんな想いに浸りつつ、恭子は、またも眠気に誘われウトウトし始めてしまった。


     つづく 第三話 https://note.com/sozila001/n/n58e76c0be54f

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