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メキシコで強制送還されて、人生変わった話

2021年10月、私はメキシコに入国できず、日本に強制送還されました。そして、その翌日にメキシコに入国成功し、私の人生が変わりました。人生で一番やばかった出来事です。このことについて自分の記録としても詳しく書いていこうと思います。これからメキシコに行く人に、こんなこともあるんだと参考にしていただけたら嬉しいです。

当時コロナ真っ只中で、海外にも容易に行けないご時世で、メキシコには、ワクチンなし、コロナの陰性証明書なし、隔離なしで行くことができました。陰性証明を取るのも面倒だし、ワクチンを打っていなくて打つ予定もなかった私には、最適な国でした。

そして当時、メキシコ入国には、パスポートと何かWebでformを記入するだけで90日間滞在できました。(今はビザなしで180日滞在できると思います*要確認)

羽田発メキシコシティ着のANA直行便でメキシコシティに行きました。約14時間ほどかかりました。

メキシコシティに到着して、数時間後に乗り換えで、友達が待っているZacatecas(サカテカス)という中部にある都市に行くフライトに乗る予定でした。

少し急いでいた私は、セキュリティの人にスペイン語で、数時間後に乗り換えがあるから急いでいることを伝えて、列が短いメキシコ国民のところに通されました。


自分の番が来て、パスポートと帰りのチケットと滞在先の住所を見せて、もう完璧だと確信していました。すると、友達からの招待状(Carta de invitacion / invitation letter)は?と聞かれ、私は持っていませんでした。出国前に外務省や大使館のWebsiteでも確認しましたが、それが必要だということはどこにも書いていませんでした。招待状はないけど、友達の住所や連絡先の情報はあるし、必要なら今友達に連絡して作れることを伝えましたが、無理でした。

裏に通されて、もう一度面接みたいなのがあるみたいで、そこで待たされました。
待っているうちに次のフライトへの時間がどんどん迫っていきます。やばいと思った私は、近くにいたセキュリティの人に言いましたが、大丈夫大丈夫と言われるばかり。自分の番になり、再度面接官みたいな人と話して、招待状のことを言われ、何度も交渉しましたが無理でした。「本当に残念だけど日本に帰ってね」と言われ、強制送還が決定。

強制送還される人がたくさんいる場所に連れて行かれ、荷物を全部置いて、現金だけ身につけて持っていくよう指示されました。携帯は没収され、現金、カード、メガネ、コンタクトだけを持ち、手荷物のリュックをそこに置きました。荷物が雑に置いてあり、誰でも盗めるような状態だったので、「終わった。」と思いました。二つ持ってきたスーツケースは、どこにあるかもわかりません。私はショックすぎてその場で泣き崩れました。靴紐も外せと言われ(待機場所で危ないことをしないように)、泣き崩れて何もできなかった私を、同じく強制送還される中南米どこかの国のお兄ちゃん三人が励まして、助けてくれました。私の靴紐を外してくれたり、ハグしてずっと話を聞いてくれたり、、。この恩は一生忘れません。

お兄ちゃんたちが収容されていた部屋は、二段ベットがいくつか置いてあって、男の人だけしかいなくて、ゴミが散乱し、汚い場所でした。私もここで待つと言いましたが、ここよりもう一つの待機場所の方がいいからあっちにいけと言われました。お兄ちゃんたちによると、そこの部屋では、罵声をたくさん浴びせられて、いられたもんじゃないとのこと。強制送還になった人たちへの扱いが酷いとのこと。。。私は、もう一つの方に行きました。そこは広くて、二段ベットやベンチがいくつかありました。トイレもありましたがもちろん汚いです。20人ほどいろんな国の強制送還される人たちがいました。

切り替えて、この際、せっかくだからここにいるうちにスペイン語を練習しようと思い、いろんな人に話しかけました。二人のおばさんと仲良くなりました。ホンジュラス出身の40代くらいの女性、コロンビア出身の40代くらいの整形バリバリのグラマラスな女性です。私は、少ししかスペイン語を話せなかったにも関わらず、二人は、マシンガントークをしてきます。わからない私は、何度も聞き、次第に聞き取れるようになっていきました。そして10時間以上一緒に過ごした私たちは、マブダチになりました。待機場所に一人セキュリティーの人もいて、その人とも喋ったり、スペイン語を教えてもらいました。(私が一方的に聞きまくっただけ。)

すると、ANAのスタッフの方が、やっと来て、軽食をくれて、次の羽田行き(夜中1時くらい発)に乗って帰る旨を伝えられました。私は、往復で購入していたため、その帰りの分を予約変更して今回の分に回すということでした。(当たり前ですが、自己負担)

搭乗し、コロナ真っ只中なのでガラガラの飛行機でした。客室乗務員の方達が、優しく声をかけてくれて、一部始終を話しました。その日が誕生日っだった私に、誕生日プレートを用意してくれて、とっても嬉しかったのを覚えています。

羽田空港に着き、一旦荷物を取った私は、大きな決断をします。次の日のフライトでもう一回メキシコに行く!と。急いでパソコンを開き、フライトを確認して、購入しました。銀行の通帳には、チケットを買ったらもう10万円も残っていませんでした。でもなぜか大丈夫な気がしました。というか行くしかなかったです。ANAの方に、強制送還された次の日に入国した例はあるか聞きましたが、まず、そうしたことがある人は一人もいなかったそうです。せめて1ヶ月は待った方がいいとのことでしたが、私は無謀な挑戦をすることにしたのです。その時期は、メキシコ最大の行事、死者の日真っ只中です。私はこのためにメキシコに行きたかったので、この一週間を逃すわけには行きませんでした。そして、私がメキシコに着く次の日からすでに友達とGuanajuato(グアナフアト)旅行に行く予定があって、この予定を逃すなんて考えられませんでした。

羽田に着いてからやっとインターネットがつながり、メキシコ人の友達と電話がつながりました。24時間以上ぶり?サカテカスにいる友達と、友達の家族は、サカテカス空港で私を待ってて、もちろん時間になっても私が出てこないし連絡も取れないので、いろんな人に連絡を取って、ずっと心配だったことを伝えてきました。友達は、すぐに招待状を作ってくれて、スペイン語と英語の両方で5部ずつくらい印刷しておきました。準備万端で、空港でシャワーを浴び、次の日のフライトを、待ちました。メキシコシティーからサカテカスまでのフライトも購入しておきました。

無事、再度メキシコシティーにつき、招待状を見せて、入国に成功しました!!待機所で仲良くなっていたセキュリティーの人たちともたまたま会って、一緒に入国を喜びました。🤣サカテカスにも無事に着き、友達と感動の再会を果たしました。本当に友達には感謝しかないです。


合計丸々3ヶ月メキシコに滞在し、いろんなところに旅行もしました。メキシコ、中南米に魅了され、今の中南米が大好きな私がいます。その時にメキシコに再度行く決断をしていなかったら、中南米のことを一生知らずに終わってたかもしれないと考えると、リスクがあってでも最高の決断だったなと思います。直感でポンポン決めてしまった私ですが、その時の自分に感謝しています!

強制送還などの経験がある方、ぜひコメントで教えてください!😂



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