伊達政宗の酒癖

伊達政宗の茶事は、、、、当時の大名衆に大変恐れられていたとか。というのも、茶席に大酒が出て、亭主の政宗がこれを強く勧めるものだから、下戸の参客は大変疲れたようである。

そこへきて酒狂(酒豪?)とも恐れられた政宗である。逸話が多い。

2回連続で将軍秀忠の茶会を二日酔いで欠席し、遂には胃の薬効として秀忠から瓜が届けられてしまったとか。

酔って刀を江戸城内に置いて帰ったり。
これが面白い。

実は大名が江戸城内に入る時、刀の大小は玄関に預けるのがルールで、特別な儀式に限って小刀のみしか持ち込めない。実際松の廊下事件はそう言う日に起こっているが、伊達政宗に限っては、将軍3代に仕えた功績によって、家光から特別に刀を持って城内入を認められていたが、ある時政宗は江戸城の酒宴でその脇差を置いたまま中座し、家光に無断で帰ってしまう。

江戸城内に放置された凶器。
航空機内に持ち込んだ拳銃の状態で、誰かがそれを使えば将軍さえも暗殺できてしまう大事件です。政宗といえども、この失態は罰せられるところでしたが、大目付が手に取ると中身はなんと竹光(木の模造刀)でした。家光は大笑いして許したとか。

他にも
後陽成天皇の皇子でもある関白・近衞信尋の烏帽子を取ったりと、中々豪快。特に公家の冠を外す行為は、現代で言うところのパンツを脱がすのと同じくらいの屈辱と言われます。

これには遊び仲間であり先輩格の細川忠興が、政宗を諫めたという逸話もある。

とはいえ、
奥州の雄であり、外様の大藩である伊達家には名物茶器が多く収まっているのは周知の事実で、政宗に招かれてそれらが登場する茶事は名誉あるもの。当時の武家社会にとって茶の湯や鷹狩は、現代でいうゴルフに匹敵する社交ツールであり、誘いを断るのは野暮だろう。ドラえもんでいうところの、ジャイアンリサイタルでしょうか。

松平陸奥守宛森忠政書状


さて、 この手紙は、その出席者のひとりであった、美作津山藩主・森忠政公が松平陸奥守こと、伊達政宗に送った茶事のお礼状。

忠政公は当家の遠祖であり、世間では森蘭丸の弟というと通りが早いかもしれない。遡ること414年前の今日。1610年3月22日、仙台藩江戸屋敷では伊達政宗(43歳)による茶事があり、この礼状で忠政公(40歳)は次のように書いている。

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今朝はお茶を下さりありがとうございます。特にお掛物は初めて拝見、お茶入れも久々に拝見しました。素晴らしいご亭主ぶりでございましたが、思いもよらず沢山のお酒を頂戴してしまい、沈酔してしまいました。本来ならお礼に伺わねばなりませんが、このザマですので、とても行けそうにありませんから、お手紙にて失礼します。またお目に掛かれますように。
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道具の子細に触れられていないのが残念だが、「茶入は久々」とあり、2度も同じ客に披露するほどから政宗の愛用品であった可能性が高い。伊達家といえば岩城文琳や木葉猿あたりが念頭に浮かぶ。また、「本来なら参上してお礼を述べるところ、二日酔いがキツイので書中で失礼」とするあたりも興味深い。

茶事では後礼として、翌日お礼に伺う慣わしがあるけれども、実際大名自ら茶事の翌日にお礼参上に向かうことはほぼ無いとおもうのだが、住まいする津山藩の上屋敷は現在の東京駅新丸の内ビル付近で、比する仙台藩の上屋敷は日比谷公園のあたり。近所ではある。ただ、これは上屋敷であるので、茶事となると少し郊外の下屋敷あたりかもしれない。仙台藩の下屋敷は南麻布か東大井。籠での往復訪問は難しいであろう。

いずれにせよ、二日酔いを理由に後礼を詫びるところが、政宗の気質を彷彿とさせる。これで終わってしまうと、伊達政宗=ジャイアンという構図で印象付けてしまうので、政宗の酒の逸話をもうひとつ。

ある日も酔った際、些細な事でカッとなった政宗は、刀の鞘で小姓頭の頭を殴ってしまった。鞘とはいえ木刀に近いくらい硬く、危ないもの。また刀で殴られるという行為もまた、殴った相手が主君とはいえ武士にとっては最大も屈辱でもある。政宗は酔いが覚めてから自分のしたことに気づき、同僚の小姓に宛ててその家臣に謝罪します。その謝罪の手紙が現在に残されています。

「先日、酒の席で小姓頭の蟻坂善兵衛(ありさかぜんべえ)に手を出してしまった。善兵衛がいくら若輩者とはいえ、小姓頭の役まで任せた者をそれがしが脇差しの鞘でたたきつけたのは間違いだった。善兵衛の頭の傷が治ったら、また出てくるよう伝えてほしい」

一国も国主でありながら、酒の上の出来事でありながら、立場や酒を理由にしない姿勢もまた、現代のサラリーマンが模範とすべきところなのかもしれません。

他にも家光が利休物相(木葉猿)茶入を下賜しようと、小姓に持たせて江戸城内の水屋で点前の準備をしている政宗に届けさせたところ、政宗はこんな名器を水屋で貰うのは失礼と断り、改めて書院に於いて家光から正式に拝領するなど、堅いところもあり、茶の湯に対する姿勢は特別でした。

(直前であり、会記を変えたくなかったのかもしれません)

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