Marginalia

課題の供養

#1 まず自分の中で生じたのは柔らかさだった。ピアノの余韻がどこまでも響いていく中で新たに追加される音、繰り返されるフレーズ。低音域の揺らぎが安心感をもたらし、ゆったりとした曲調と不規則なようで均衡のとれたリズムに聞き入る。丘に寝そべり、そよ風に揺らぐ大樹の枝と木漏れ日、遠くに青い山並みが思い浮かぶ。

#2 ゆったりと時間が流れていく。挿入される声に歌詞はなく、人間かどうかさえ分からないほどに、動物的で、感情に訴えるような掠れた声音だった。落ちついた中・低音域の響きに、高音域ですばやく連続した音が浮いているように感じた。やさしい満月の湖畔と狼の遠吠え、水面にきらめく月明かり。

#3 前の二つよりシンプルで、規則的な響きだった。コインランドリーで洗濯物を待つときの、このあとどうしようかと想像を掻き立てる時間に似ている。

#5 1や2のそれより高い部分のメロディーが冒頭から一貫して響く。なんとなく温度の冷たい印象を覚えたのは、ガラスのコップに入った氷がとけてカランと回った音に聞こえたからかもしれない。凍てつくようなイメージを、中低音域のやさしげなメロディーが和らげる。初秋の公園、暑さも和らぎ、長い夏の終わりを知らせる、爽やかで寂しげな風。

#8 鳥の鳴き声が、随所に聞こえる。ホトトギスは初夏、田植えの時期になく風物詩として、和歌や近代文学のなかで親しまれている。低音が一定のリズムで響き、曲全体に時間が刻まれるような感覚がある。どんぶらこと流れていく小船。葉桜。緩やかな川の流れ。

#11 後ろで絶えず、おそらくギターが鳴らされている。不規則なリズム、音の強弱。芝生の上で、3・4歳くらいの子供が二人、ボールを投げあっている。鮮やかな色合いのそれが、地面で跳ねたり、転がったりする風景。

#22 はじめの方に低音が少なく、挿入される和音にやや不安な気持ちが掻き立てられる。スズムシの鳴き声だろうか。繰り返されるフレーズに心をよりながら、不気味な高鳴りを押さえつけていく曲調。月の明るい夜の雑木林を通る、帰り道。不安感ともうすぐ家に着くという期待の葛藤。そんな自分とは関係なしに満天の星がそこにある。

#23 無性別な人の声。子守歌に感じる。どこかで聞いたような気がする。同じようなフレーズが「Marginalia」のシリーズであったかもしれない。なんと歌っているのだろう。ピアノの響きも然ることながら、優しい声音が心を落ち着かせる。はじめて聞くはずなのに、なつかしさを覚える。

#25 異国の楽器の調べ。シタールだろうか。エキゾチックで落ち着いたメロディー。男性の低くそっとつぶやくような歌声とスズムシの合唱。焚火を囲み、ひとしきり踊り騒いだあとに、ひとりまたひとりと眠っていく情景が思い浮かんだ。

#28 これまでの中で、もっとも歌らしい音楽だった。なんとうたっているのか、何語なのかわからない。ピアノが何となく拙いような、それでいて高度に練られた響きであると感じる。部屋で弾き語りの練習をする女性をイメージした。

#36 鳥が鳴いている。近くに飛んできては、またどこかへ飛んでいく。ゆったりとした旋律。高音がメロディー全体を引っ張って、中低音の余韻が心地よく耳に残る。口ずさむ歌声が、曲が織りなす世界をなぞり、彩を加えていく。歌うことで、歌う人がどこかにいるというイメージが付加され、世界に物語性が加わる。丘の上のピアノ、木漏れ日に揺らぐ演奏者、その傍らで自分が座っているような感覚。

#37 この金属の弦と思われる響きは、もしかしてピアノなのだろうか。グランドピアノの、本来、ハンマーでたたく弦の部分を、爪先やピックで弾いているのか。いまだかつて自分が聞いたことのない類の音楽。新鮮な気持ち。一夜あけてをあけたら外は銀世界、降り積もったふかふかの雪を踏みしめる感触がかかとに伝わる。真冬のしみ込むような寒さと対照的に、一面の白い大地にひとり立つ、あたたかな高揚感。

#40 雷鳴、雨の流れゆく水音。軒先に滴るしずくがぽつりと地面に咲いた。わびしさともの悲しさ、やさしさのこもった声音が想像を掻き立てる。静かなピアノが部屋に響く。窓の水滴に閉じ込められた都会の街並みは、どんよりと鈍く、月並みな言い回しだが、雨粒に洗い流されるのをじっと待っているようだ。降水がアスファルトやコンクリートの上を、ただ流れていく光景。雨音によるイメージを膨らませると、いつもに増して自分の見ている世界が示唆に満ちたものかもしれないと感じた。小さな気づきを大切に、自分の感性に正直に生きていきたい。そんな思考をもたらしてくれた2分だった。

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