やる気のない課題

窓にびっしりと張った露に、東雲の空が沈んでいた。玉のように光る雫が、稲妻を描いて、夜の底に溶けていった。触れた指先に残ったのは、冷たさだけだ。
はじめての一人暮らし。期待に胸を躍らせ、大学の近くに借りたアパート。新座という知らない街に二本足で立つ。春の頃は、毎日が新鮮で、明日のことを考えると心が躍った。あれから、もうすこしで一年。未知にあふれていた新生活も、待ち遠しかった明日も、どこかに置いてきてしまった。つつじ、紫陽花、朝顔、向日葵と、花の旬が移ろうのを眺めながら、日に日に特別感が失われていき、気が付くと、面倒くさがりで怠惰な、等身大の自分がここにいた。
5時17分。蒲団に包まったまま伸ばした左腕で、窓ガラスをなぞっていた。あたりはまだ暗い。冬の朝はとにかく寒くて、苦手だ。四畳一間のこの小さな城のなかでは、どこに居ても、ベランダを仕切るガラス戸から冷気が流れてくるのだ。寝床から出るだけで、もはや一日のエネルギーの大半を持っていかれる気がする。ぐずぐずしていると、痺れを切らして、午前4時にかけたアラームの、2回目のスヌーズが鳴った。こうしてやっと、わたしは起きだした。
5時29分。夕飯に炊いた白飯にラップをかけて電子レンジでチンしたら、近くのスーパーマーケットで買った半額のたまごを落とし、醤油をかける。変わらない味。掻き込もうとして噎せる。思えば、日常のほとんどは、大学と家の往復だ。仲介した不動産会社によると徒歩わずか5分らしいが、睡魔に逆らえずギリギリまで寝てしまうことも少なくない私にとっては、走って1分50秒だった。一人暮らしをはじめる前より、生活の範囲がずっと狭くなった。いや、狭くしたのは自分だ。行く宛もなくこの街を歩いたことがあっただろうか。それは唐突な閃きだった。
5時47分。羊毛で編まれたマフラーを巻く。夜が明けきらないうちに、家を出た。首もとさえ暖かければ、人は多少軽装でもなんとかなるらしい。吐く息が煙となって流れていく。なかなか消えない。それほどに温度が低いのだ。外階段の踊り場で、珊瑚のような薄い紅色が、地平の縁を照らすのを見た。丁字路を曲がり、大きな道路に出ると、辺りがいっそうと明るくなった。空がひろい。さすがに昼間ほどの交通量はないが、それでも20歩進むたびに1,2台とすれ違ったり、追い抜かれたりする。
5時55分。小学校の前を通り、大学の角の交差点につく。来る途中で、グラウンドがかすかに夜霧に覆われているのをみた。新座ではよくある光景らしく、1時限目をとっている友人が、話していたのを思い出す。それをこの目で見たのは、今日が初めてだ。心なしか、空気も澄んでいる。振り返ると、珊瑚の色合いが、かなり橙に近くなっていた。
6時ちょうど。日の出、大学正門前。朝日は建物の陰に隠れていた。ほのかに土の匂いがする。この道をまっすぐ行った先の、新座駅のほうから漂ってくる。きっと、いつもバスで通るたびに見る、あの広い畑からだろう。深まった霧に、夜が紛れている気がした。
新座の朝は、非日常で、異質な時間が流れていた。おかげで少し朝が好きになった。
いま、私はここにいる。さて、どこへいこうか。

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