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成長するために

御社なら成長できると思い、志望しました。
就活生が志望動機を質問された際、よく使用される回答だ。

成長する人もいればしない人もいる。
同じトレーナーがついても成長する人もいればしない人もいる。

要は本人次第である。
平等に学校教育を受けても、100点をとる生徒もいれば赤点の生徒もいる。
先生の授業は誰かを贔屓していない。
むしろ誰でもわかるように設計されているわけで、優秀な生徒にしたら迷惑かもしれない。

繰り返しになるが本人次第である。
教え方が悪いから自分はできない、
そんな訳はない。
だったらその組織は全員仕事ができない、
となってしまう。

自身で成長していくしかないのだ。

もし、あなたが『今の現実に不安感や将来に対する恐れ』を感じているのであれば何に不安と恐れ、欠乏があるのか考える必要がある。

成長するためには、
まずは低次の欠乏欲求を満たす必要があり、
欠乏欲求が満たされることでようやく成長欲求が芽生える。そして成長欲求による本質的な成長により高次の領域に入っていくのだ。
優秀な人財はその領域で生きている。

【欲求のステップ】

①低次の欠乏欲求:「くれくれ」「もっと、くれー」

②高次の欠乏欲求:「足りないなら自分でなんとかしよう」

③成長欲求:「なんとかするために成長しよう」

他責から自責に変わらない限り成長はないのだ。
『くれくれ』星人は自覚がないケースが多いから厄介だ。
巧みに教えないのが悪い、環境が悪い、設備が悪い、など言いたい放題だ。
じゃあリッツカールトンのスウィートルームでMacBook Proを用意して、優秀なコンサルをつけたら、あなたのパフォーマンスは年収1,000万円の価値になりますか?と聞いてみたい。
恐らく、新たな言い訳が生まれるのだろう。

毎日ご飯が食べてれて、寝る場所があることに感謝していれば、他責にならない気がするが。。。色んな当たり前がどれだけ恵まれているかを忘れてしまっているのだろう。

自分でなんとかしようと考えて、なんとかできるように成長しよう、を繰り返せば日々充実するのに。

人生はあっという間に過ぎていく。
年齢を重ねれば成長するわけではない。
むしろ劣化する。

数年後、過去の自慢話を繰り返し、他責思考で愚痴ばかりの大人になりたいなら成長欲求は不要だろう。

そんな大人になりたくないなら、
『くれくれ』病から抜け出すしかないのだ。
それも早ければ早いほうが良いだろう。

自責の領域で誰かのために頑張っている若者は本当に素敵だ。
眩しいし、人が集まってくる。
当然だ。

仲間のために平気で頭を下げることができる。
なんともカッコいい。
『くれくれ』住民だとそうはいかない。
どうして他人のミスを自分の責任にされなきゃいけないんだ!となるだろう。
そりゃあ、あなたは悪くないかもしれないが、
お客様からしたら誰のミスだろうが関係ない。
会社に属している限り全体責任だ。
他責思考だと理解できないのかもしれない。
そうなると被害妄想が膨らむ。

誰かのために頭を下げることがそんなに嫌だろうか。
誰だって親に庇ってもらったことがあるだろう。
友人が庇ってくれたこともあるだろう。

誰かが自分にしてくれたことを、
あなたがまた誰かにしたら素敵ではないだろうか。

そうすれば『ありがとう』が増え、欲求が満たされていく。

せっかく生きているんだから、
少しくらい誰かの役に立って、それを実感すれば、仕事は楽しいはずだ。

成長すれば役に立てる領域が広がり、
実感の回数も増える。
そうなると人生までも愉しい。

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