私の闘病体験を誰かの糧に

★はじめに


ある日突然、楽器を持つ手が震えるようになりました。

昨年から私の各SNSの投稿に、度々「病気」「療養」というワードがあります。
(気付いて個別に連絡してくれた方々もいました、心配して頂いてありがとうございました)

ややこしいのですが先日Twitterに投稿した「手術したよー✌️」的な投稿は全く別件の病気です、病気まみれですね昨年からの私😇

これに関して詳細をSNSで発信することは無かったのですが長文になる覚悟でこの経験を文章にしようと思います。
なんで今更わざわざ書こうと思ったかというと発病してから1年が経ったからです👏🏼
なにもめでたくないね。
だけど悩まされ苦しめられ本当に嫌だったこれと1年間付き合ってこれた私偉い、支えてくれた周りの方々本当にすごい、ありがとうお疲れ拍手という気持ちで書きます。

こいつのせいで身体的にはもちろん精神的にも人生最大に病んだし演奏にも仕事にも生活にも影響出まくりで本当に散々な思いをした。
こうした病気や何かしらのハンデを持ちながら音楽をしている・仕事をしている人が実は沢山いるということを、知ってはいたましたが改めて身をもって体感しました。

私は1度トロンボーン吹きになるぞという夢を自分の実力不足に絶望して挫折しています(中学生の時にね)
このnoteを見ている方の中にも、もしかしたらいろんな理由で自信のなさで
「音楽でやってくなんて無理」
「(音楽に限らず)自分には才能ないから好きなこと続けるのは無理」
「身体的・精神的にハンデあるから無理」
と思っている方がいるかもしれない。
そんな方々に、こんなんでも今なんとか元気に生きてめちゃくちゃ好きなことやって生きてる人間いるよーという1つの事例を知って何かしら糧にして頂けたらいいなと思って書きます。
正直よくやってたやん頑張ってたやんと褒められたい気持ちはなくも無い。笑
でもメインはそこではない、色々な理由で悩む人を励ますほんの一部になったら嬉しい。
病んで病んでもう死んじゃおっかなーなんて考えてた時期も書くのでちょっとしんどいかもしれませんがご了承ください。

★発覚


発覚したのは2019年7月末のライブ中でした。
その日は「飲み会ライブ」という、お客様も演奏者も酒呑みながらライブするよ!という最高に頭のおかしいライブをやっておりました。笑
手が震えていることに気づいたのは本番合間の休憩中、トロンボーンを置こうとした時。
ですが本当に僅かなもので、共演者の方々に

「え、なんか私手震えてるんですけどおもろくないですか?笑笑」
と笑って見せて、私も周りも
「いやお前テンション上がりすぎだろ笑」と1つの笑いのネタになるくらいのものでした。

私元々緊張しいでステージで足が震えるくらいのことは経験したことありましたし、ましてやその時はお酒飲みながらです。
そりゃー手も震えるだろうと。
演奏に入れば震えてることなんて綺麗に忘れていました。

でも次の日楽器を持ってない時でも震えは残りました。
その次の日もでした。
当時私は楽器店で販売の仕事をしていたのですが、仕事はできるし日常的な行動はできるし楽器も別に吹ける、でもちょっと字が書きにくい。
さすがに少し不安になり病院に行きました。
が、筋肉や関節は特に問題無し。

更に数日後。
リハの時に震えが酷くなっていることに気付きました。
その数日後にコンサートがあったのですがやはりリハから本番中もずっと震えている、そしていつもより酷くなっている。
吹けないほどではないにしても徐々に演奏にも支障が出るようになってきました。
客席で聴く分には大差ないのかもしれませんが演奏中に余計なストレスと不安がずっとあって、曲や音や音符によってはやりにくい部分がありました。


段々と嫌な恐怖を感じるようになってきました。
私4人兄弟の長女でして、何かと入院を繰り返したり手術したりと貧弱な兄弟達の中で唯一なんの病気もしたことない超絶健康な22歳児でした。笑
そんな大病を経験したことない人間でも病気に関しては嫌な予感のようなものが分かるものなんですね。
熱が出るとか鼻炎が酷いとか、そんなのは比にならない得体の知れない恐怖でした。
痛みも他の不調も無い、ただ震えるだけですがそれが逆に怖い。
元気なのに手に不自由が生じている。
しかも楽器を持つと酷くなる、ここが1番怖い。
本番で人前で演奏している時が1番自分の手が震えていることを実感しました。

★闘病スタート


お盆に地元でもう一度病院に行き、東京に戻ってからまた病院に行き、色々な検査を経て「本態性振戦」の可能性があると診断されました。
ちなみにもう間違いなくこの病気だと思うんですがこの文章を書いている今も絶対に私は本態性振戦!と言いきれる訳ではないです。
本当に僅かですがパーキンソン病の可能性が無くもない、それは現段階では判断できないそうです。

本態性振戦は原因不明の脳の病気です。
その辺の伝達異常でなんでも無い時に震えが生じ、私の場合少しの心の機微や刺激で誤作動のように異常に震えてしまう。
例えば私が緊張していると感じで無いほどの僅かな緊張にも過剰に反応してしまうという、精神病のようで精神病じゃない恐らく神経の病気。

ステージに立つと震えが酷くなるというのはそういう訳です、どんなステージであれ人前に立つのは多少なりとも緊張がある。
それが酷くなる原因でした。
ただのリハでも気張ってる気持ちが震えに繋がっているんだと思います。トロンボーンを吹くことに命かけすぎなせいです。笑

これを抑える薬が何種類があって、暫くは自分に合うものを見つけるまで色々な薬を試すことになりました。
ここからが本当の闘病スタートでした。

この時の私は日常的な行動をする分にはやりにくい時があれどできなくはない、ということでまずは特に震えが酷い時・どうしても止めたい時(=ステージに立つ時)にだけ薬を飲む方向になりました。

弱い薬から飲み始めて段々強くしていきました。
どの薬も完全には震えを止めてくれませんでしたが、やはり強い薬はより強力に抑えてくれます。
が、その分副作用もある。
効いてる間は特に何もありませんが薬が切れるとすっっごい眠くなる、そして酷い頭痛。
ライブの日はどうしても震えを止めたかったので薬をのんで、本番中は元気に演奏して震えが抑えられてる分テンションも上げれるようになって、帰る頃には頭痛と眠気でフラフラになりながら帰っていました。
恐らくそんなに強くない副作用でも疲れなどが加わって更に悪化していたんだと思います。

1度、ライブ帰りの終電でもう本当に眠気と頭痛に耐えられずとんでもなく先の駅まで寝過ごしたことがありました。
最寄り駅に戻る電車はもう無いわ、たまたま手持ちのお金も無いATMでお金下ろせる時間でもないからタクシーも呼べないわで、3時間半かけてトロンボーン担いで徒歩で家に帰った時は違う意味で泣きそうでした😇

しかもこの状況が次の日まで続きます。
ヘロヘロで帰って布団に倒れたら次の日の昼過ぎまで起きれない、起きてもだいたい気持ち悪かったり頭痛かったりなので結局1日何もできず寝て回復を待つしか出来ませんでした。

★自分が嫌いな私の話


少し話は変わりますが。
思い返してみると私は中3の高校受験の時から今に至るまでの8年程、「休み」という概念が無かった人間でした。
というか作らないようにしていました。
高校受験の時は、勉強して勉強して空いた時間には楽器の練習。
高校の時は部活して勉強してそれがない日にはバイト。
専門生の時も授業受けて練習してまたバイト(しかも掛け持ちでいくつかやる)
楽器店で販売の仕事をするようになってからは仕事が休みの日に吹奏楽指導の仕事、リハと本番。
とにかく自分の人生に空白を作りたくなくて必死みたいな、そんな生活。

「努力家」「頑張り屋さん」と言って頂けることが割と多い人間でした。
もちろんそう言われると嬉しかったけど本当はそうじゃないんです。
私は信じられないくらいONとOFFの切り替えが下手くそなだけの人間なんです。
加えて実を言うと、私は私のことが超嫌いでした。
頑張って頑張ってやりすぎなくらい自分を追い詰めないと自分を認められない。
低い低い自己肯定感が、「努力」の全てを時間に換算して計っていました。

そうやって生きてきたので、薬のせいではあれど本番の次の日の何にもできない自分というのが吐き気がする程嫌でした。
寝てるだけで何もしないで終わって私は本当に何やってんだろう、絶対この時間でできたことが沢山あるのに、という死にたくなるような後悔に苛まれて悔しさに泣いて1日が終わる。

楽器店の仕事はどんどん休みがちになりました。
お店への罪悪感でまた落ち込みました。
こんな休みまくりな奴にも本当に本当に優しいスタッフの皆さんやお客さんのおかげで辛うじて働けていましたが、お店のためにももう今すぐ辞めようと何度も何度も思いました。

それでも。
帰り道フラフラになると知っていても、次の日副作用に苦しめられると分かっていても、罪悪感と嫌悪感で死にたくなると分かっていても、人前で演奏する日には必ず薬を服用しました。
この副作用がしんどいから飲むの止めますとはなれませんでした。
震えの症状は悪化していたからです。

★症状の悪化


手だけだったはずの震えは脚にも出るようになっていました。
日によっては首まで震えました。
トロンボーン吹きだからこそかもしれませんが、意外にも手が震えるより脚と首に震えがあるほうがダイレクトに演奏に支障が出ます。
最初は「楽器を持っている時、ステージに立つ時に震えが酷くなる」だったはずがそれに限らずとなっていました。

リハでも本番でもなんでもない普通の日なのに震えが酷い日が増え、料理が出来なかったりお化粧が出来なかったり、家を出て鍵穴に鍵を差し込めなかったり。
楽器を持つ時に酷くなることはもう確定しているけど、それ以外の日はもう運です。

朝目が覚めてまず自分の手を見て、その日の症状の具合を判断する。
目が覚めた瞬間の、目覚ましを止めるのも上手くいかなかった時の絶望。

というかそもそも、そんな辛いなら楽器を吹くこと自体お休みしたらいいじゃん?って話なんですがそれも出来ませんでした。
いつかトロンボーンが吹けなくなるんじゃないかと最悪の想像をし始めていたからです。

ステージに縋っていました。
これのせいで人前で演奏することを1度でも断ったら絶対に今以上に落ち込んでしまう。

私が出るライブは基本的にトランペッターの柴田さんと一緒に企画したり呼んでもらったりしていました。
専門の先輩で師匠、ユニットでやっているBrassMomentumの相方で金管五重奏チームQBQのメンバーです。
ライブの日程が続かないよう配慮してもらう事はあれど毎回必ず誘ってくれました。私もそれを断ることは1度もありませんでした。

以前まではお声がけ頂いたらどんなライブも仕事もやります!と言っていた私ですが声をかけて頂いた方にご迷惑をかけるのは本当に失礼なので、私の病気を把握している人がいる元で演奏するようになっていました。

実はこの病気になってからの1年、めっっっちゃめちゃ柴田さんに怒られていました。
立場上未熟で後輩な私が怒られるならまだしも、対等に喧嘩もめちゃくちゃしました笑
私が無理してなんでもやるって言って、結局できないことに落ち込んで、いつまでもいじけるなと怒られ、またやり直すの繰り返し。

よくこんなのを繰り返してたなと我ながら思います。
柴田さんはいつか楽器が吹けなくなる可能性があるなら後悔しないように今できることをやらなきゃだろと言ってくれました。
でも私はそれも受け入れられなかったのです。

楽器が吹けなくなるなら、それまでの演奏にどれだけ後悔があろうと無かろうともう死ぬしかないだろと本気で思っていました。
トロンボーン吹きじゃない自分なんて1ミリも想像したくなかった。
ただでさえ大嫌いな自分からトロンボーンを取り上げられたら、本当に何も残らないと思った。

ここまで読んでくれた方なら察しているかもしれませんが私は立派な鬱状態でした。
当時は精神科に行ったこともなく正式な診断もされていませんでしたが、今思うとさらっと今なら死んじゃえるな、誰か刺してくれないかな、なんて普通に考えてたのはやばい精神状態です。

楽器店の仕事を辞めた今だから言えますが、珍しく症状が軽くて今日は大丈夫働けるという日でも仕事にいけないこともありました。
ちゃんと仕事の時間に起きて身支度もしてあとは家を出るだけなのになぜかそれができない。
本当に迷惑かけまくりでした、販売員時代の私を知っている人がこれを読んでいるなら土下座で謝りたい。

止めたい時に薬を飲むのではなく、弱い薬を毎日飲み続けて日常から症状を抑える方法も試しました。
が、私には合わなかったようで、そんなに良くならないのに鬱だけが加速していく散々な結果になったのでこれはすぐに止めました。

★覚悟決めた時


そんな希死念慮と恐怖と不自由があっても、または薬による副作用があっても、演奏することが人前に立つことが何より楽しくて幸せでした。
この1年間、私がステージ上で暗い顔をしたことは1度も無かったと思います。

いつでも笑顔で吹いてたのは無理して笑ってたとかじゃなくて本当の本当に楽しいからなんです。
ステージ上が唯一自分の存在意義を感じられる、本番当日までの死にたくなる毎日もこの後に来る副作用も演奏してるその瞬間は全部忘れられる。
演奏できるのが幸せで嬉しくて楽しくて仕方がない、この気持ちがどうしたらお客さんにも伝わるかな、そう考えている時がこの時期で唯一楽しくて生きがいを感じる時間でした。


ちなみにこの本態性振戦という病気、開頭手術で治すことも可能です。
けど手術しても片手しか震えを止められないそうです。
超音波での治療法もありますがこれができたのは最近で、尚且つ治療しても再発の可能性があります。

もう耐えられないので手術して欲しいとお願いしましたが前述したとおり私はパーキンソン病の可能性がゼロではないのでもう少し経過を見ないといけない。
それと、こんなに体感としてはしんどい状態なのに本態性振戦という括りで見ると私の症状はまだ軽い方なのです。
自分で自分のことができるだけまだ軽いと。

そしてこの病気、別に珍しいものではありません。
私みたいに20代で発症することはちょっと珍しいのかもしれませんが60代以上の14%はこの患者だとか。

私は自分がなるまで「本態性振戦」なんて名前も知らなかったのですがこれに苦しめられる人が沢山いる、そう知った時本当の本当に健康体でいられる人間って逆に少ないんじゃないかと思いました。

この病気になってから、ヘルプマークを付けている人が目に留まるようになりました。
通勤時間帯の電車内、きっと普通に働いて普通に電車を使っているこの人も見た目には分からない何かを抱えて生きているのかと思うと、少しだけ頑張ろうという気持ちになれました。

生々しくて嫌な話ですけど生きるためにはお金が必要です。
当時の私はなんの仕事するにも体調次第。けど私の体調に合わせてくれる仕事なんて無いのです。
音楽がやりたいしできれば楽器店にいたい、けど生きるためには致し方ない、他の仕事をしないといけないかもしれない。
けどこんな手では何ができるのかも分からない。
本態性振戦は命に関わる病気では無いです。
けれども金銭的に生きて行けなくなるという違う意味での生命の危機は感じました。

毎日生きるのに精一杯でその日その日の体調と戦って先のことなんて何も見えていませんでしたが、金銭的な危機に直面してからいつまでもこんな生活をしていられない、何か変えなければと思いました。

もうやめたいと思うことが増えていました。
薬飲むのやめたい、病気と戦うのやめたい、お店に迷惑かけるのやめたい、周りに心配かけるのやめたい、生きるのやめたい。
全部全部やめたくなっても唯一変わらないことがありました。
トロンボーンをやめるという選択肢だけは1度も自分の中に出てきませんでした。
それに気付いてから色々なことへの覚悟が決まったように思います。

大変なことも沢山ありましたが私は働いていた楽器店が大好きでした。
スタッフもお客さんもお店の雰囲気も。
そんな場所を、今年の2月に辞めようと決意しました。

副作用や鬱などで出勤が難しいのもありますが、楽器店で働くというのは誰かの大切な楽器を預かったりこれから誰かの一生の宝物になるかもしれない楽器に触れる仕事です。
それらに緊張せずに触れられる自信がありませんでした。

楽器のこと、それ以外でも社会人として大切なこと、多くを学ばせて頂いたこの場所を辞める決意をしたなら、同時に私は一生トロンボーンを吹いて音楽をやって、好きなことをやって生きていく覚悟を決めなくちゃいけないと思いました。

これは初めた時から知っていましたが私にはトロンボーンの才能はありません。
ずば抜けて上手いなんてことは無く、幼少期から身につけた音楽知識なんてのも無く(ピアノも習ったことない)ただただ好きだからやりたいことだからここまでトロンボーンを吹いています。

ある意味「音楽に関わる仕事だから」という妥協点を見つけて楽器店で働いていた気持ちが、全く無かったといえば嘘になります。
そういう自分への自信の無さを捨てて、才能無いどころか厄介な病気持ちという自分のままで、やりたいことをやろうという覚悟を決めました。

★それからの生活


という訳で私はやりたいことをやって生きていくんだと覚悟を決め、散々迷惑をかけたにも関わらずお店の皆さんに温かく送り出して頂き、よし頑張るぞと思い始めた矢先にコロナの流行です😇

ライブもレッスンもその他諸々の仕事も全飛び。
すんごいタイミングで心折ってくる。笑
そして覚悟を決めたからといって震えの症状が良くなるなんてことは当たり前ですがありません。
体調悪い上に仕事辞めた上にいざこれからというものも全部無くなった、さすがにずーーっと心配をかけていた実家に強制送還されました。笑

3ヶ月ほど実家で療養して家族に癒され精神的に元気になって東京に戻ってきたものの、もう私の覚悟がどうとか以前に音楽が・演奏がしにくい状況。
ここから今に至るまではまた何度も何度も心が折れ悔しい思いをしてボロボロ泣くわ鬱は引きずるわまた違う病気になるわと散々な日々が続きますが、今回は持病の話がしたかったのでここは省略。笑

とにかくまた色々な問題や嫌いな自分を乗り越え。別件の病気も無事手術を終え。
周りに支えられながら今またトロンボーンが演奏できるように、ライブができるようになりました。

発病から1年以上経った今、症状は全く変わっていません。
というかなんならまた悪くなっている気もする。日によっては字が書けないどころかスマホで文字を打つのも難しい日があります。
今はこんな状況なのでライブの数自体以前より減っていますが、あいも変わらずライブの日は薬を服用しフラフラになって帰り、次の日寝込んでいます。

それでも人間の順応力って本当にすごいものです。
1年も経つと以前はこの震えじゃできないと思っていたことも工夫してできるようになりました。
薬の副作用で寝込む時間も短くなってきました。
以前だったら症状が酷い日は落ち込んで悪いことばかり考えていたのも、「なるほどなー今日はだめだ!料理するのやめよ!」とすぐ切り替えられるようになりました。

人前で演奏する日は起きた瞬間から本当に震えが酷いです。
でもそれを「私今日の演奏これくらい楽しみにしてんだな〜!」というバロメーター代わりに考えるようになりました。不便なのでイライラはするんですけどね。

★最後に、今の私

「実をいうと自分のことが超嫌い」と書きましたが今でも嫌いです。
死ねばいいのに自分と思うことは今でも何度もあります。
が、前ほど嫌いではないです。
少なくとも自分を嫌いすぎることは、発病してから心配してくれた沢山の方々に逆に失礼だと気付けました。

それに気付けたから病気になってよかったー!とはまっったく思えません。治せるなら一刻も早く治したいし無い方が良いに決まってる、本当にマジで健康が1番。
けど、私に必要な過程ではあったとギリギリ思えます。

この前のnoteに書きましたが私は今図書館で働きながら音楽活動をしています。
以前の私なら音楽に関係ないことをする自分のことなんて許せなかったと思います。
でもこんな長文書いてるあたり察していると思いますが私は本を読むのも書くのも好きです、やりたいことなんです。

トロンボーンに出会う前の私も否定せずその夢を一応叶え、やりたいことの良いとこ取りをしちゃっているずるい自分が今は少し好きです。
それに本を読むということは本当に自分の音楽に繋がる。
誰かの創作物にふれることは、自分の音楽の糧になることを日々実感しています。
だからこれも必要な過程だと思えます。

すーんごくバカらしいですが、今は私のファンが図書館に押しかけちゃって困るから仕事辞めてくれと言われることが夢です。笑

色々と考え方が変わった1年でしたが特に「休日」の概念は大きく変わりました。
図書館の仕事は大好きで本当に楽しいです。
できる限り沢山楽器の練習もしたいし本番もどんどん増やしていきたい。
でもお休みだと決めた日は本当になんの予定もいれないようになれました。
最近はもうできるだけ寝ていたい、昼まで寝れる日は本当に至福。笑
そして遊ぶぞと決めた日はちゃーんと遊ぶ。
こうして文章にすると至極当たり前なことがやっとできるようになりました。


私以上にこの病気を調べて考えて一緒に戦って、だけど私のやりたいことは1度も反対しなかった家族に感謝。
泣き言ばかり言うのを黙って聞いてくれて心の支えになってくれていた彼氏に感謝。
怒られ喧嘩し演奏者として超絶使いにくい私を1度も見捨てなかった柴田さんに感謝。
演奏者として未熟なだけに留まらずこんなものを持ってる私と演奏して下さり学ばせて頂けるステキなミュージシャンの皆様に感謝。
しんどい自分の状況も忘れるくらい楽しく遊んで飲んでくれた友達に感謝。

そして私の演奏を聞いてくださる皆様に感謝です。
私が存在意義を自己認識できるのは、これからこの病気がどんなに悪化しようと治療が辛かろうと絶対にトロンボーン吹くのやめてやらんぞと覚悟しているのは、聴いてくださる方がいるからです。

前述した通り私にはトロンボーンの才能はありません、けど演奏している時「こいつ楽しそうだなー」と思わせられる才能はあるようです。
これは私じゃなくて私の周りの人が認めてくれた才能だから、簡単に否定して無下にしてはいけないと思っています。

その他にも私が大したことないと思っていたものを周りが才能だと認めてくれたものを大切にしようと今は思います。
それがもっとちゃんと聞いている方に届くようにするのが私の課題です。

最後に拙い文章ではありますがここまで読んでくれた方がいたら。
ありがとうございます。
私の経験が誰かの糧になったらいいなと心から思います。
あわよくばこれを機にどんな演奏をするのかも聴いてくれたら嬉しいです。
が、そこは私の頑張り次第。
やりたいことしかやっていない私は「演奏家」という括りでは無いのかもしれません。
今はそれでいいなと思えます。
浅井そよ香という、なんだか不格好で泥臭く、でも少しだけ面白くてかっこいいコンテンツになれたらいいなと思います。

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