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カプ厨 そのいち

※公開すらしてなかったので公開。

※自分の考えを纏めるために書き出したものです。読んでもらうために開かれたnoteの読み物とよべるものではありません。為念。

庵野監督が言っていた「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」という発言をずっと考えていた。

まあ色んな意見もあるし、それを纏めたものもあるみたいだけど、自分なりに考えた事を書き残しておきたいので、noteに残す事にした。

完結作について、まとめサイトを読んでいると「漫画版で見た」「旧劇では何たらかんたら」というコメントが散見されるのが物凄く気になった。例えばアニメのまとめサイトなんかはTwitterのツイートを基に作られているけど、そこには純粋な感想も沢山あるし妄想入り乱れた発言も稀にはあるにはあるが、まずソースを書いてから語り出す人ばかりだったりする。

昔の2ちゃんなんかだと、適当な事を書いてそこから混乱と反論が入り乱れて収束していったのだが、それがない。ソースの根拠が不明で反論が入ったときにやり合っているくらいだ。

まあこれは今のTwitterでよく見かける日常風景でもあるけど。

今も昔も、この風潮が嫌いなのです

ボケには必ずツッコミが入るのだけれども、関東ではツッコミというのは『なんでやねん』というのを考えがちだけど、実際は(関西では)違うというのをご存知だろうか。ボケに対してツッコミが入るという形はもちろん変わらないのだが、ツッコミ=ボケの再提示をする事がツッコミなのである。アホなボケがあったら自己正当性を主張(なんでやねん)するのではなく、さらにあらぬ方向でボケをかますのが正しい。正しいというかその方が面白くなる。

これは正当性の主張や同意の提示では話が膨らまないからだ。

「隣の家に囲いが出来たってねえ」「へえ」

ではなく、

「隣の家に囲いが出来たってねえ」「ああ、悪魔が住んでるらしいな」

…いいツッコミが思いつかなかったのでアレだけど、ボケにボケを提示する的な文化なんだけど、実はこの文化をあまり見かけなくなってしまった。本場ではまだまだ盛んなんだろうけど、東京やテレビ、あとネットでもほとんど見かけなくなった。

特にTwitterが顕著だけど、バズったり炎上しているものは同意した(共感できます、最高です…等)か反論否定(クソリプ)ばかりで、提案がされる事は殆どない。初めのツイートから飛躍的に話が膨らむようなツイートは殆ど見かけない。

エヴァが流行っていた頃やそれ以前だと、色んな妄想を見たり聞いたりして楽しめていた時代だった。

エヴァが流行っていた頃、現実では何が流行っていたかはあんまり覚えていないし調べてもいないが、強烈に覚えていることがひとつだけある。エヴァの旧劇がちょうど東京に出てきた頃で、社会人になって知り合った知人友人と遊びに行ったり飲みに行ったりしたが、みんながみんな東京ウォーカーを読み、王様のブランチをみていたことだった。

嘘だろ?とツッコミが入るかもしれないが、これは事実なのだ。

実際、新人研修時は関西からきたばかりで部屋もなかったので、セミナーハウスの宿泊施設に泊まっていたのだが、土曜日の朝は皆んなが皆んな、王様のブランチを見ていたのだった。とにかく12時までは王様のブランチを見て、そこから行動を開始していた。私は他の番組が見たかった(吉本新喜劇はやっていないがそれでも王様のブランチ以外の何か)のだけど、私の意見を言える雰囲気ではなかった。なので、私も仕方なく見ていた。もちろんツッコミなしで見ていた。関東の情報番組のノリは当時から好きではなかった。

私が就職した企業は当時からそれなりの企業で、まあ今では大きくなりすぎたが、私のような異端児は少なく秀才や頭のいい人達が揃っていた。有名な私大の主席卒業もいた。大学には学食を食いに行くだけだったような私がそこに就職出来たのか。それは未だに謎なくらいに当時は優良企業だったのだが、その同期や先輩がこぞってそういった情報に群がっていたのが強烈だった。


※メモ『証拠がない者は提案すら出来ない』世界に変わってしまったことが大きいのかもしれない。

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