天然痘とその克服の歴史
最近、ウイルスや感染症について興味がある。
忌み嫌われる対象であるが、自然界にとってのその役割はどこにあるのかを知りたい。
今回は、デイビット・モンゴメリー著「土と内臓」の中で、天然痘の記述が出てくるので、ここに少しまとめておきたい。(p205〜)
天然痘は「まだらの怪物」と呼ばれる病気で、全身に膿疱ができ瘡蓋だらけになるらしい。
流行の間は3分の1で感染、5分の1で死亡。特に10歳未満の子供の死亡率は80〜98%、18世紀の終わり頃、ヨーロッパでは毎年40万人が死亡していたという新型コロナどころではない恐ろしい病気だ。
当時は見当違いの有害無益な医療行為が広まっていた。
有害な体液を汗として出すことが良いとされ、部屋を締め切って暖炉に火を焚いたり、ヒルに血を吸わせたり、金持ちの間では部屋中を赤くすると治るという迷信まで広まったという。
現在では「予防接種」の技術によってほぼ撲滅されたと言われている。
1716年トルコ人の行っていた予防接種の技術をイギリス人女性が知ることで、ヨーロッパにも予防接種の考え方が少しずつ広まるきっかけとなる。
天然痘の瘡蓋を粉末にしたものを傷口に入れたり、鼻から吸わせて感染させる技術がインドや中国では以前から行われていたらしい。
ヨーロッパで天然痘が広まる前からアジアにはこの病気があり、5〜6世紀の間にアジアからヨーロッパに侵入したようだ。
予防接種の技術は、その当時まだ科学的根拠もなく、統計的な根拠にも乏しかった。
まだ技術だったこともあり、リスクは完全には無くならなかったものの、死亡率は14%から2%に減少。
しかしこの予防接種キャンペーンに対し、医学団体・宗教団体が憤慨し意義を唱えるていたらしい。
頭の硬いおっさんばかりの組織はいつの時代もやっかいだ。
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