明治維新と環境問題の共通点
150年前と150年後
先日SELF(薩摩エマージングリーダーシップフォーラム)主催のオンライン合宿でテーマとしてあげられたのが、「150年後の世界に我々は何を遺すのか」というものだった。
正直150年後といってもあまりピンと来ない。
なぜ150年という数字なのかは、現在が明治維新から150年後だからのよう。
この明治維新とは日本という国の文明にとってどんな出来事だったのか、そして現在の私たちの時代との共通点はどこにあるのかを考えてみた。
明治維新とは要するにどういう出来事だったのか
高校では歴史とってたけど、はっきりいって苦手だった。
最近、家族で遊んでいた薩摩偉人カルタでやっといろんな人の名前を覚えたり、興味をもつきっかけができたというくらい。
Wikipediaによると明治維新とは、「明治時代初期の日本において薩長土肥の四藩中心に行われた江戸幕府に対する倒幕運動および、それに伴う一連の近代化改革を指す。」ってことらしい。
江戸時代って確か250年くらい長く続いた時代ですよね。
そして江戸の社会システムはとてもよくできていたみたいな話はよく聞くところ。
ところが、そこにペリーさんが来たり薩摩の人たちが密航留学して「ヨーロッパの文明やばい!このままじゃ日本も植民地化されちゃう!」ということで、近代化を進めたってことですよね。
要するに鳥の巣ですくすくと育つ雛鳥よろしく、限定された環境の中ですくすく成長していた日本文明が海外、つまり巣の外に広がっている世界を知ることで、
「これから巣の外の世界で生きていくためには、もっと成長して生きていく力をつけないと!」
ってなったということじゃないかな。
結局文明にせよ自然界にせよ、あらゆるシステムってこの繰り返しな気がする。
ある程度成熟すると、より大きなシステムに統合する力が働く。
それに適応できなければそのシステムは崩壊する。
明治維新と現在の共通点
江戸時代の人たちがペリーさんたちが来てやばい!ってなってる構造とおなじようなことが現在も起きていると僕は思う。
それが何かというと「環境問題」。もっと言えば新型コロナも同じ構造。
現在は地球という巣の中ですくすくと育ってきた「人間の文明」が、「自然システム」と摩擦を起こしている。
そことの統合が求められている時代だと思う。
当時薩摩の偉人たちがなぜ大きな功績を残せたのかっていうと結局一番大きかったのは、留学じゃないのかなあ。
直に外国に行って自分の目で見て、肌で感じ取ったこと。
日本の中にずっといたまま、想像の中の世界でこの問題に対処しようとしてたらきっと無理だったよね。
目の前の草花を愛でよ
偉人たちが外の世界の現状を肌で感じ取ったように、現在においても環境問題を解決するには、頭で考えるだけじゃなくてまずは五感でめいっぱい感じることが先だと思う。
まあそんときよりも目に見えない要素が増えていると思うけど、それを感じとる能力はちゃんとこの時代に生まれている人は持って生まれてると思う。
いくらニュースで今年は地球の温度が何度上がりましたとか、アメリカで森林火災がやばいですとか聞いて危機感が芽生えたとしても、それって一瞬で忘れちゃうものだと思う。(それがその人の人生にとってのテーマなら別ですが)
そうじゃなくて、今身近にある草花の美しさに気づくこと、日々の鳥や虫たちの鳴き声の変化に気づくこと。
環境問題という地球からのメッセージが、最も伝えたいのはそういうことな気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?