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1週間くらい前に随分と深いアパシーから目が覚めて、媚薬でも飲まされたように感受性がウズウズして、ものを見ては何にでも感動するような精神状況になった。

元々自分の容姿に自信があるわけでもないため、今更見た目なんて気にしてはいない俺でも髪も伸びて日に日に薄汚れて浮浪者のような見た目になっていく自分を鏡で見るのは嫌けがさしていて、どんどん散らかって汚れていく自分の部屋も合間ってかアパシーだった頃はこの世界がどんどん薄汚れてっていっているような気がしていた。しかし外に出て空を見上げてみると、鬱陶しいくらいに空は蒼く、ちゃんと世界は綺麗なんだなぁと実感してすごく安心したし、痛いくらいに照っている日光に当たると塩をかけられた水々しい蛞蝓の如く俺の心にこびりついた汚れが溶けて落ちていくような感覚になって心が随分と軽くなった。そんな感覚がとても気持ちいいし、元々自然とか風に吹かれることが好きなのもあってか最近は時間さえあれば散歩なりサイクリングをするために家を飛び出すようになった。俺は根っからの引きこもりだと思っていたが、家にいるのが好きなのではなく人と会うのが面倒だったり苦手なだけで案外外に出るのが好きだということに気づいた。それにしても散歩は楽しい。昨日は2時間くらい歩いていた。こんなことを言うと変態呼ばわりされそうなのだが俺は人の家を見たり、走っている車の中の人を見たり、歩いている人を見るのが好きだ。他人の家というのはそこに俺の家系とは全く異なる文化が存在していて、それを覗いている瞬間はまるで映画を見ている時のようなワクワク感がある。子供が見たことないような遊びをしていたり、よくわからない理由で怒られている光景は自分の家庭との違いが伝わってきて面白く、君たちはどう生きるかでコペルくんが屋上から世界を眺めた時に自分は分子の一つに過ぎないと感じたような感覚に俺も陥る。それは車の中を眺めた時も同じで、俺の家の近くには交通量の多い国道がドンと通っているのだが朝や夕方に信号が赤だと目測では数えられないような数の車が並んでいる。しかしその車一つ一つ覗いてみるとそこには小さな子供を乗せたお母さんだったり、サラリーマンのお兄さんだったり、買い物帰りのおばあさんが乗っている。俺はそれを実感する度になんとなく鳥肌が立つ。こんなにも多くの人間が違う目的地を持ってここからどこかへ向かっていくと思うと、世界の広さと言うかこの世の莫大さ、それと対比的に自分の見てる生きている空間があまりにもちっぽけことに愕然とする。その瞬間、ああ、何かを捨ててでも何も知らないようなどこか遠い場所へ行かなきゃなと思う。歩いている人を見るのはなんだかよりリアルで、何となくその人の熱が伝わってくる気がする。この前も夕方に散歩していると前方5メートルくらいのところを30代くらいの男女が手を繋いで歩いていて、それを見ると俺の味わったことのないような感情を抱いているんだろうなと何となく気が遠くなる感覚に陥った。

最近大学の中間試験がポツポツと始まって、3日くらい前にレポートを大学へ提出しに行った。そうすると帰り道にある高校の周辺に、沢山の高校生が帰路に就いていた。おそらく今の時期は部活もないのでみんな一斉に帰るらしい。しかしこの光景を見ると高校の時、掃除が無い日に一人足早に駐輪場へ向かう時を思い出してノイローゼになりそうになる。高校生のヒエラルキーと言うか集団意識みたいなものは例えばぼっち飯だったりを笑ったりと常々一人で行動する人間には残酷で、高2からはずっとぼっち飯だった俺からすれば集団で掃除をしている人達から一人で駐輪場へ向かうこの光景を嘲笑されているような感覚に陥った。だから高校生が集団だったり何人かで帰っているこの雑駁とした道を通り抜けている間もあの頃の、本当は誰も俺のことは見ておらず誰も嘲笑なんてしていないとわかっていながらも感じてしまう周りからの空想上の嘲笑を思い出し、本当に気が滅入ってしまう。ただそれ以上に怖いのは、スラッとしていて髪もツヤツヤ、そして芸能プロダクションにでも入っているのかと思うような容姿をしたJKに見られた瞬間だ。普通だったらむしろテンションの上がりそうな局面だし、かく言う俺もそんなJKを写真で見たら普通にテンションが上がるんだろうなと思うのだが、実際に目の前にすると本当に怖い。と言うのも高一の時に、前述したような学年1とささやかれている美人な同級生とクラスを牛耳っていそうな女子がたまたま俺のロッカーの前で話していたので、俺はなよなよした声で「あのぉ、ロッカー開けたいんでいいすか、、、」と言った。するとその瞬間その2人はまるで排水溝の中を覗く時のような表情で俺の方を見ては無言でそこを去っていった。俺は何か悪いことをしたわけではないのに恐ろしい表情で見つめられたのが今でもかなりのトラウマで、それを思い出すと普通にジョーズより怖い。それに、その2人がイケメンな同級生には芸能人顔負けの素晴らしい笑顔を振りまいている瞬間を見ているからこそ余計にキツかった。俺はたまに異性の目が怖い、と周りの人に言うのだがそのたびに別にそんなことないだろ、とか自意識過剰なのでは、と言われるのだがそれはあなた達が排水溝を覗くような表情で異性から見られた経験がないからだろと毎回思う、まじで。

まあそんな悲しい記憶が呼び起こされると随分と落ち込んでしまいそうになるのだが、それなりに美しい空を見ているとそんな話は随分とどうでもよく感じる。この空に比べたら人間なんて全員ちっぽけでどうしようもない。

最近はこうやって特に何も考えずにただフラフラと歩いて、空が綺麗だなとしみじみとしている瞬間が一番幸せなのではないかと思う。金とか欲望とか権威とか全部卑しい気がするので、ただ何をするわけではなくジーーーっと飼い主を待ち続ける犬のように、何をするわけでもなくただ死まで感情の赴くままにフラフラと散歩し続けるような人生を送ろうかなと思う。

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フィルムカメラ風な写真が撮れるアプリをインストールしてからは写真を取るのが楽しく、散歩するたびに10枚くらい写真を撮っている

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このジメジメとした気候と、汗ばむTシャツ、そして夕暮れ空を見ていると、高校の学園祭準備期間中に見たある月を思い出す。帰ろうと歩いていた目の前には俺とは全く仲良くない同級生の男女がいて、男子は月に背を向けて、女子は太陽に背を向けて2人は仲良さげに話していた。なぜかは覚えていないが、俺はその女子の背中越しに見える薄く薄く光る月を2、3秒をボーっと見ていた。もうすぐ落ちるというのに鬱陶しいくらいにメラメラと輝いている太陽は仲良く話す2人のようで、その太陽に対比するようにしょぼく光る月は滅入りながら帰る自分のようだった。今でも何ともないその光景はぼんやりと俺の脳裏に焼き付いている。

夕方の薄く光る月、派手さはないけど素朴ゆえの美しさがあるので俺は結構好きです。