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学園祭と宗教

俺は高校2年の時、朝の学園祭の合唱練習に行かなかったことで合唱リーダー的な人に軽い暴言を吐かれ、合唱練習に参加する様に圧力をかけられたことに対して未だに納得していない。こういう事を書くと学園祭を愛する人から脊髄反射的に、練習をサボった事を正当化するのか、みんな頑張っているのにその態度は何だ、とお怒りを食らうかもしれないのですが、出来れば一旦落ち着いてこれから書く事を読んで欲しい。別に貴方達の好きなものを否定したい訳ではないんだ

↓一応参考までに俺の学園祭に対する思いを


学園祭というものは宗教によく似ていると思う。そもそも宗教とは以下の様に定義されている(定義はたくさん存在する)。

『世界宗教事典』での上記の定義のまとめに沿って、もう少し具体的な例も含めて示せば、宗教とは、超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)についての信念、超越的なものと個人の関係、超越的なものに対する個人の態度(信仰など)、信仰に基づいた活動(礼拝、巡礼など)、組織・制度(教会、寺社制度など)、信者の形成する社会、施設(教会堂、モスク、寺院など)等々である。

もう少しわかりやすい定義だと、

宗教とは、神や仏といった超自然的な存在に対しての信仰や、それにかかわる営みを指す言葉です。神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働きのことです。

この様になる。

一応「信仰」の定義も貼っておく。

信仰とは、 キリスト教神学的には、神の存在と啓示を真実として信じる事。 神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。 人やものごとを信用・信頼すること。 証拠抜きで確信を持つこと。またそれらを信じることを正当化する要因。

そもそも学園祭は普段の学校生活の形式からは随分とかけ離れたものであるため、それ専用に準備をしなければ成立しない。その準備は時間や労力の伴うものであり、これは言い換えれば準備する人間の人生や体力を削るということになる。しかしそれでも学園祭が成立しているのは、多くの学生が学園祭を行うことで楽しさや感動を得られると信じているからであり、これは「学園祭」という対象を信仰していると捉えることもできる。彼らにとって「学園祭」は憧れであり楽しいものだ。

その一方で理由は様々だが俺の様に「学園祭」が楽しくない、むしろ苦痛な学生も存在する。集団生活が苦手だったり、自分の時間が削られることに嫌悪感を抱いていたり、音痴で合唱で歌うのが怖いなど、そんな学生がいるのも必然だろう。彼らは各々「学園祭」ではなく例えば「自分の趣味」、「一人の時間」を信仰していると言える。

つまり学園祭にやる気がある生徒とそうではない人間では信仰している対象が違う。もはや他教徒みたいなものだ。学校では「学園祭」を信仰する人間の割合が極めて高いため、あたかも学園祭に積極的に取り組むことが正義でそうでないことが悪の様に錯覚してしまうのだが実際はそうではない。そもそも信仰している対象が違うのだ。

俺が合唱の練習に参加しなかったのは「学園祭」を信仰していなかったからである(信仰していない≒楽しくないものに時間をかけることが苦痛だった)。それに対して合唱リーダーが俺に練習に参加する様に圧力をかけてきたのは意図は違えど結果的には、信仰する対象を無理矢理押し付けた様なものだ。考えてみてほしい。その街に住んでいる人間の大多数がキリスト教だからといって、少数のヒンドゥー教徒が教会へ礼拝へ行かない事を攻めるだろうか?

宗教というスケールの大きいものと比較して論証するのは卑怯だ、やや概念が変わってくると言う人もいるかもしれない。確かにそうかもしれない。しかし俺が言いたいのは各々には大なり小なり多種多様な価値観や感性、信仰する対象があって、それを認識せずに行動すると例えそれがどんなにミクロなものだとしても傷ついたり苦しむ人間が出てきかねない、と言うことだ。勿論生徒が全員参加しないといけなかったり、そうしないと勝つことができない構造上、「学園祭」を信仰している人が練習をサボる人間に怒りを感じることは俺だって理解はできる。しかし、価値観や感性によっては学園祭に参加することで本当に苦しかったり精神的に辛い思いをする人がいるんだから、怒りの対象は学園祭の全員参加しなければいけないという「構造」であるべきだと思うのだ。俺は何も学園祭を開催するなと言っている訳ではない。学園祭を中止するのは他教徒がキリスト教徒に対して世界中の教会を燃やす様な行為であり、「学園祭」を信仰する人間を悲しませ、また怒りを買う行為だ。俺は多種多様な信仰対象を認めてあげる、つまり学園祭を任意参加にしてほしいと思っているだけなのだ。

俺はずっと周りに質問し続けた。何故信仰していないものをマイノリティーだからと言って無理矢理信仰させられるのだと。でも誰一人として答えてくれなかったし、お前は捻くれてるだのと軽く貶されまでした。その度俺はそれぞれの価値観を邪険に扱われている様な気がしてとにかく悔しく思った。この文を読んだ人が少しでも、学園祭とかかなり色素の強い色眼鏡を外して他人の価値観を認識して行動してくれると嬉しい。



ちなみに宗教の自由は世界人権宣言及び市民的及び政治的権利に関する国際規約の共に第18条、日本国憲法の第20条で規定されています。

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。


参考までにいくつかの宗教思想も

自宗教の絶対的優越性を強く主張し、他の宗教の価値を認めない思想ともされ、この場合他の宗教は『無価値』な『偽り』の宗教であり、それによっては何ら救済はないことになる。
他の宗教の存在を認め、その教えに一定の価値があることを承認するものの、究極的な自宗教の優越性への信念は放棄しない思想である。この場合他の宗教は自宗教の理想を一段劣った形で伝えるものとみなされる。
さまざまな宗教が同じ社会に存在することを認め、お互いの価値を認めながら共存していこうとする宗教的態度、思想である。


名曲、

鏡が全部割れたなら 作り笑いはできないし
ここで息ができないなら 火星にでも引っ越そうか


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