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2人分の命

夜分遅くの投稿失礼します。
シャッツです。



僕が昔から
好きな
RADWIMPSさんから
新曲が発表されましたね、
「新世界」という
曲です。


その一部の歌詞に
妙に注目させられました。

 

傷だらけの迷子だけが
生まれることを許された
この地球の上で何を
「優越」などとのたまう

実況席で今日も構える神よ
何を想う
あなたの眼で見届けたまえ
このカタストロフィの結末を



カタストロフィというのは
劇で使用する言葉としては
「悲劇」「大変動」「破滅」という意味になります。


生きることは
それ自体を
悲劇、破滅と解釈しているのでしょうか?




話は変わりまして、
この歌詞聞いて
思い出したことがあります。


僕が生まれる前
母は
一つの命を身籠っていました。


その子が生まれていたら
あなたのことを
生もうとはしなかったと思う。


そんな話を聞かせてもらったことがあります。


そこから
色んなことを連想しました。


不思議とそれは
ネガティブなことではなく、
想像するとワクワクするようなもので。


・もしもその命が生まれていたら
どんなパーソナリティだったのだろう

・どんな名前をつけられて、
どんな人と関わっていくのだろう


それはそれは
自分の別な主観、
別な人生のの可能性を語るかのように。


ただ、

僕の今の命は
その命の
「犠牲」で生まれた
命でもある

同時に気付かされました。


誰かの「命」を種に
僕の命は
本物になった。


その命に
僕は今も
生かされているんだ。

なんだか胸がいっぱいになりました。

いや。


もしかすると
「犠牲」になったのではなく
その命も
僕のなかに
一緒に生きているのかな。


そんなことも考えたり。


だとしたら、
僕の中には
2人分の命が存在している。


だとしたら、
二人で
人生の終焉が
カタストロフィなのか
どうか


ふたりで見届けてみたい。

今を生きる
また原動力になりそうです。



今日から
毎朝を二人で迎える気分です。

今日もあなたに
僕は生かされてる。

これからも共に
いろんな世界をみていこうね。