2.僕には選べない
あの冬の日の出来事から数ヶ月が経ち、私は小学3年生になっていた。
ある日の夜、母が私と姉に言った。
「今から○○に泊まりに行くから準備して」
※ ○○は母の実家
○○に泊まりに行くのか!でも急だし、平日だし、なんでだろ?まいっか。
そんな気持ちだったと思う。
当時の母の実家は新築したばかりで、とても立派な家だった。
母の実家に着くなり、私と姉は和室に集められた。
二間続きの広い広い和室。
客間の奥の、仏壇と床の間がある部屋の端っこに、私と姉は母と向かい合って座った。
その時3人が居た位置は、今でも鮮明に覚えており、今でも母の実家に行くと思い出す。
母が話し始める。
「お母さんは...お父さんと離婚したい」
そう言って母はその場に泣き崩れた。
すごく衝撃的な光景だったと思う。
どうしたらいいかわからなかったと思う。
私は黙りながら、そんな母の姿をただ見ていることしかできなかった。
少し落ち着いてから、母は何かを話していたが、気付けば私も泣いていた。
シクシクではなく、ボロボロ泣いていた。
小学3年生の低学年とはいえ、離婚の意味くらいは知っている。
離婚という言葉と、泣いている母の姿。
悲しいという感情よりも、そんなことを言いながら母が泣くとは思っていなかったから、パニック状態だったと思う。
話の最後の方。
「お母さんと一緒に暮らしてほしい」
姉は即答でお母さんと暮らすと答えた。
お姉ちゃんはお母さんと暮らすと答え、目の前でお母さんが泣いている。
この状況からすれば、僕もお母さんと一緒に暮らすと答えるのが自然な流れのような気がする。
でもその時、私は意外と冷静だった。
「お父さんの事もお母さんの事も好きだから、僕には選べない」
冷静なんかじゃない。
ただただ素直な気持ちだっただろう。
後から聞いた話だが、この時母は、私がそう言うなんて思っておらず、お母さんと一緒に暮らすと言ってくれると思っていたらしい。
離婚したいと思っている親からすれば、自分と一緒に暮らしてほしいと思うのは当然のことだろう。
でもそれは親の都合であって、子供からすれば、そんなに簡単に決められることではない。
そしてそれは、子供の頭ではどう頑張っても言語化できない、複雑で混乱する感覚だ。
まだ9歳の子供。
お父さんの事もお母さんの事も大好き。
みんなで一緒に暮らしたい。
そう思って当然だろう。
今になって客観的に考えると、なんて残酷な選択を迫られていたのだろう。
私は覚えていなかったのだが、後から聞いた話によると、この時姉は
「Sowaと一緒じゃなきゃ嫌だ」
そう言っていたらしい。
喧嘩は多かったが、弟想いの姉だった。
母と一緒に暮らさなければ、姉とも離れることになる。
そんな不安もあっただろう。
でも、どっちと暮らすかなんて決められない。
家族みんな一緒がいい。
それ以外の答えなんて、どこにも見つかるわけがない。
その後、母がどのような言葉を言ったかは細かく覚えていない。
一緒に暮らしてほしいと、再度お願いされたような気もするし、なんで一緒に暮らしてくれないんだ、と言われた気もする。
はっきりと覚えていない。
最終的に、今決めなくていいから、そんな内容で話は終わったと思う。
でも、今思えば、あの時即答で
「お母さんと一緒に暮らす」
そう答えていれば、もしかしたらその後はもっと穏やかな生活を送れたのかもしれない。
「お父さんの事もお母さんの事も好きだから、僕には選べない」
この、決して間違った答えではない、素直な気持ちを話した事が、その後の生活が不安と恐怖の日々になってしまったきっかけだったような気がしている。
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