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批評・論考・体験談

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美術展への批評、芸術概念への論考、体験談経験談などをまとめたノートです。
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記事一覧

演劇的な映像 ー演劇記録の可能性、あるいは演劇の拡張の試案ー

(本論考は映像芸術論レポート課題として提出したものを加筆修正したものです。) 演劇作品の…

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souya_h
6年前
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神田明神の節分祭で豆を撒いてきた話

インターネットを探してもあんまり情報がなかったので、1万5千円払って下々の者に豆を撒いて悦…

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souya_h
6年前
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東京藝大・先端芸術表現の修士受験記

もともと学部時代、所謂「美大」「芸大」に所属していなかった私ですが、そんなガッチガチの専…

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souya_h
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「装飾は流転する」、また装飾は流転させる

先日、東京都庭園美術館で開催中の「装飾は流転する」展に足を運んできた。ちなみに2/25までな…

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souya_h
6年前
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日本の芸術の歩みを押し留めているもの

結論から言えば、やはりそれは教育なのかな、という話をします。 「日本の今年の美術展ガイド…

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souya_h
6年前
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比較資料の不足した美術館展示 ~森美術館「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの…

※本文は授業レポートとして作成したものに加筆修正したものです。 作品展概略本展は日本の建…

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souya_h
6年前
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演劇の純表現 -石原朋香『見てをりぬ』を観て-

石原朋香の『見てをりぬ』は30分程度の演劇作品である。東京芸術大学取手キャンパスで開催中のWIP展での初演を鑑賞したところ、文章をしたためるべき衝動に駆られたので本稿を走り書きする。 文学の文学的表現にフォーカスしたジャンルを純文学と呼ぶならば、演劇の演劇的表現を活かしたジャンルは純演劇と呼ぶことが出来るだろうか。本作は演劇表現の美しさを持ち、しかしそれでいて難解でない構成を持つ。演劇の持つ諸要素を活用しながら自己批判的なのみでない作品として成立している。 本作は石原の祖父母

展示はメッセージであれ -水戸芸術館「中谷芙二子 霧の抵抗」展を観て-

展示はメッセージである。 故に、複数の場面を連ねて一つのストーリーを組み上げる演劇のよう…

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souya_h
5年前
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展示の無意味の意味 - 「奇想の系譜」展を観て -

この展示をやる意義はなにか。展示を開催するという行為には、如何なるレベルにせよ、その意義…

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souya_h
5年前
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