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命短シ、恋セヨ乙女。(戯曲)

【これは、劇団「かんから館」が、2023年11月に上演した演劇の台本です】

近未来のバーチャルホスピスの話。生きるのも死ぬのも大変ですね、というお話です。

 〈キャスト〉

  吉村奈緒(公務員)
  西条有佳(大学生)
  小野和美(大学生)
  高橋渚(高校生)
  須藤達彦(無職)

    とある場所の、とある室内。
    テーブルと椅子がある。
    緑と有佳が座っている。

渚   ちょっと暑くないですか?
有佳  そうですか? ‥‥私はちょうどいいです。
渚   ああ‥‥そうですか。
有佳  ‥‥私、冷え性なんです。夏でもクーラーとか苦手で。喫茶店やデパートとか行くと、寒くって。‥‥ああいう所って、やたらと冷房入れてるじゃないですか?
渚   え? そうですか?
有佳  ええ、入れてますよ。‥‥あの、髙橋さん、アルバイトとかはしてます?
渚   え? ‥‥ああ、まあ、コンビニとか。
有佳  コンビニとかも冷房きつくありません? それに、立ちっぱなしだし‥‥。
渚   そうでも‥‥ないですよ。‥‥立ってるのは、もう慣れちゃったし。
有佳  ああ、そうですか。
渚   ええ。

    しばしの沈黙。

渚   ‥‥けっこう待たせますね。
有佳  そうですね。
渚   もう三十分は経ってるんじゃないですか?
有佳  ああ‥‥そうかもしれませんね。
渚   ひょっとしたら‥‥もう来ないのかな?
有佳  え? いや、そんなことはないでしょ?
渚   かな? だって‥‥。
有佳  もしそうだったら、連絡があると思いますよ。
渚   ああ‥‥。それもそうですね。

    しばしの沈黙。

有佳  ‥‥あの、ちょっと聞いてもいいですか?
渚   え? ああ、いいですよ。
有佳  どうして高校生なんですか?
渚   え? ‥‥うーん‥‥どうしてかなあ? うーん。
有佳  いや、特に理由がないんだったら‥‥。
渚   夢があるから‥‥かな? そう、たぶん夢ですよ。
有佳  夢?
渚   ほら、社会人になっちゃったら、どんな仕事でも、それなりにイヤなこととかあるじゃないですか。あるいは失望とか。こんなはずじゃなかった~とかね。
有佳  ああ。
渚   だから、夢見てる時が一番いいんじゃないかなあって。
有佳  ああ、なるほど。‥‥でも、それだったら大学生の方がいいんじゃないですか?
渚   え? そうですか?
有佳  そりゃそうですよ。大学生の方が自由だし、気楽でいいですよ。
渚   ‥‥自由で、気楽ねぇ。
有佳  ほら、だって、高校生だと、しょっちゅうテストとかあるじゃないですか? 中間テストとか期末テストとか。それで成績が上がったとか下がったとか‥‥。親に文句言われたり。それに、そうそう大学受験もあるし。受験勉強とかしなくちゃなんないし。
渚   ああ‥‥まあ、それはそうですね。
有佳  高校生って、結構大変ですよ。
渚   まあ、そう言われたら、そうかもしれないけど‥‥。
有佳  私ね、テストがずっと苦手だったんですよ。今でも時々テストの夢とか見るんです。全然勉強しないでテストを受けて、もうチャイムが鳴るのに答案用紙が真っ白で。それで目が覚めたりして。無駄に冷や汗をかいてたりして。
渚   ふーん。‥‥私はそんな夢は見たことありませんねぇ。
有佳  え? そうなんですか? ‥‥みんな見てると思ってた。
渚   それに、大学だってテストあるでしょ?
有佳  ああ‥‥まあ、一応あることはありますけど。
渚   一応って?
有佳  まあ、行ってる大学や学部によって違うとは思うんですけど‥‥高校の時ほどきつくはないかな? ‥‥それに、高校生ほどしょっちゅうあるわけじゃないし。
渚   へぇ。‥‥そんなもんですかねぇ?
有佳  はあ‥‥まあ。
渚   ああ‥‥それに、ほら、ナントカってあるじゃないですか?
有佳  ナントカ?
渚   大学卒業してから良い会社に就職するために、いろいろやったりするじゃないですか?
有佳  ああ、就活?
渚   ああ、それそれ、就活です。就活。
有佳  就活が‥‥何か?
渚   最近は、その就活って、無茶苦茶早くからやるんでしょ?入学してすぐとか?
有佳  いやあ、さすがに入学してすぐってことは‥‥。でも、早い人だと一年生の時から始めたりもしてるみたいですね。
渚   ほーら。やっぱり。
有佳  え? 何がやっぱり?
渚   だからね、大学生は、言うほど自由でも気楽でもないんですよ。
有佳  え? ‥‥あの、何が言いたいんですか?
渚   だから、さっき、夢の話してたじゃないですか?
有佳  え? 夢?
渚   夢見てる時が一番良いって。
有佳  あー、それですか?
渚   だから、夢見るんだったら、やっぱり大学生より高校生ですよ。
有佳  ああ、そこに戻って来るんだ。
渚   戻って来るんです。
有佳  ああ。それで、髙橋さんは高校生に‥‥?
渚   まあ、そんな感じかな?
有佳  なるほどー。
渚   まあ‥‥それだけでもないんですけどね。
有佳  へー。そっかー。

    しばしの沈黙。

有佳  あの、夢って何ですか?
渚   え?
有佳  その、髙橋さんの夢って。
渚   ああ、私の夢ですか?
有佳  ええ。
渚   まだ、はっきりとはしてないんですけどね、できたら、歌手か女優になりたいんです。
有佳  ミュージカルですか?
渚   いや、そうじゃなくって、歌手か女優。両方でもいいんですけど。
有佳  じゃあ、ミュージカルでいいじゃないですか?
渚   まあ、それでもいいんですけど‥‥。

    和美が入ってくる。

和美  こんにちは。
渚・有佳  こんにちは。
和美  ‥‥ここでいいんですよね?
渚   ええ‥‥たぶん。
和美  ああ‥‥そう。
渚・有佳  ‥‥‥。
和美  座る場所って決まってるんですか?
渚   どこでもいいんじゃないですか?
有佳  どこでもいいと思いますよ。
和美  ああ、そうですか。

    和美、座る。
    しばしの沈黙。

和美  お二人は知り合いですか?
渚   え? ‥‥いや。
有佳  さっき知り合いになりました。
和美  じゃ、自己紹介しましょうよ。
渚・有佳  え?
和美  じゃあ、私から。‥‥小野和美って言います。十九歳、大学一年生です。‥‥それじゃ、あなた。(有佳に)
有佳  あ‥‥私は、西条有佳です。十九歳、大学一年です。
和美  あら、それじゃ、私とおんなじね。どうぞよろしく。
有佳  よろしく。
和美  じゃ、あなた。(渚に)
渚   高橋です。高橋渚って言います。
和美  渚ちゃん。かわいい名前ね。
渚   あ‥‥はあ。
和美  学生さん?
渚   高校生です。高校二年生です。
和美  ってことは‥‥。
渚   十七歳です。
和美  十七歳! セブンティーン! ‥‥なかなかやるわね。
渚   あ‥‥はあ。
有佳  夢を追いかけているんだそうですよ。
和美  夢? ふーん。‥‥えっと、これで全員?
有佳  いや‥‥よくわかんないんですけど。

    達彦が入ってくる。

達彦  こんにちは。
達彦以外  こんにちは。

    しばしの間。

達彦  ‥‥あのう。
達彦以外  ‥‥‥。
達彦  座る場所って決まってるんですか?
達彦以外  え?
和美  ‥‥ここの人‥‥じゃないんですか?
達彦  え? ‥‥ここの人?
和美  いや、だから、所長さん‥‥とか?
達彦  え?
達彦以外  ‥‥‥。
達彦  いや‥‥私は、所長さんとかではないです。
達彦意外 え。(お互いに目を合わせる)
和美  ‥‥だったら。
達彦  だったら?

    不条理の間。

和美  ‥‥あなたは‥‥誰‥‥なんですか?
達彦  ああ。‥‥申し遅れました。須藤達彦と申します。
和美  す、須藤‥‥さん?
達彦  はい。須藤です。

    再び不条理の間。

有佳  あの。
達彦  あ、はい。
有佳  須藤さんは‥‥。
達彦  はい。
有佳  誰なんですか?
達彦  はい?
有佳  あ、すみません。言い方が変でしたね。
達彦  ああ‥‥。
有佳  えーと、何て言ったらいいのかな?
渚   須藤さんは、どういう関係の人で、どうしてここにいらっしゃるんですか?
有佳  あ、それ!
和美  ナイス!
渚   へへっ。
達彦  ああ‥‥それですか。ああ‥‥確かに。確かに。
達彦以外 ?
達彦  たぶん‥‥みなさんと一緒ですよ。驚かれると思いますが。
達彦以外 え?

    またまた不条理の間。

有佳  ‥‥あの。
達彦  え? はい。
有佳  みなさんと一緒って‥‥。どういうことですか?
達彦  え? ああ‥‥だから、募集に応募したんです。
達彦以外 え?
渚   ‥‥あのぅ。
達彦  はい。
渚   ここって、確か‥‥。その、女子の‥‥。
和美  そうそう、女子寮じゃん。
有佳  まあ、寮じゃないかもしれないけど。
達彦  ああ、そうですね。
和美  そうですねって。‥‥あなた、女子じゃないでしょ?
達彦  ああ、そうですね。
和美  それに、おじさんじゃん。
達彦  ああ、そうですね。確かに。
和美  だから‥‥。
達彦  ああ、そうですね。ややこしくならないように、説明しておいた方がいいですね。
達彦以外 ‥‥‥。
達彦  私は、おっしゃる通り女子じゃありません。
達彦以外 ‥‥‥。
達彦  でも、男でもないんです。
達彦以外 え?
渚   女子じゃなくって‥‥。
有佳  男でもない‥‥。
和美  何よ、それ? わけわかんない。
達彦  えーと、ほら、LGBTQとか話題になってたでしょ? ジェンダーフリーとか。
和美  ああ、それ知ってる。あなた、もしかして、二丁目とかそっち系の人なの?
達彦  うーん。それとはちょっと違うんだけど‥‥ま、いっか。
和美  私、そっち系の知り合いとかも結構いるけど、どうしておじさんな
の?
達彦  いや、だからそれもちょっと‥‥。
和美  えー、何よ? もったいぶってないで、はっきりしてよ。
達彦  うーん。別にもったいぶってるわけじゃないんですが‥‥。あの‥‥ノーバイナリーって知ってます?
和美  ノーバイナリー? 何それ?
有佳  あ、何か聞いたことある。それって、もしかして宇多田ヒカルとかが言ってたやつですか?
達彦  ああ、それそれ。それです。
和美  え? 何なの、それ?
有佳  何かねえ、男でも女でもなくて、性別がない人みたいなの。
和美  性別がない? 何、それ? 宇宙人?
達彦  いや、宇宙人ではなくて‥‥いや、地球人も宇宙人だから、やっぱり宇宙人かな?
和美  話をややこしくしないで! あんた、おちょくってるの?
達彦  すみません。
渚   最近は、ほんといろんな人がいるわよねぇ。何か、ややこしくて、よくわかんない。
達彦  まあ、簡単に言っちゃうと、人間なんです。ただの人間として生きようと思って、ただの人間として生きてるんです。
和美  またー! 私だってただの人間よ。どうしてそういう言い方しかできないの?
達彦  いや、困ったな。‥‥説明してもいいんですけど、話が長くなるとイヤでしょ?
和美  イヤよ。
達彦  そうなんだよなあ。弱ったなあ。
和美  弱ってるのはあたしたちの方なんだけど。

    奈緒が入ってくる。

奈緒  こんにちは。
奈緒以外 こんにちは。
奈緒  吉村奈緒と言います。この部屋の室長になりました。よろしく。
奈緒以外 よろしく。
和美  あの、室長さん。この人のことなんだけど‥‥。
奈緒  ああ、須藤さん?
和美  何なんですか、この人?
奈緒  ‥‥えーとねぇ。
達彦  簡単には説明したんですが、なかなかわかってもらえないみたいで‥‥。
奈緒  ああ、そっか。
奈緒・須藤以外  ‥‥‥。
奈緒  うーん。‥‥えっと、須藤さんのことについては、また、時間を作ってお話しますから。‥‥それでいいですか?
達彦  私はいいですよ。
奈緒  みなさんも、いいですか。
有佳・渚 はい。(和美、小さく「えー」)
奈緒  じゃあ、話を始めますね。
和美  はい、質問!(手を挙げる)
奈緒  え? 何ですか?
和美  室長って何ですか?
奈緒  ああ‥‥。まあ、あんまり固く考えないで下さい。簡単に言うと、本部との連絡係みたいなもんです。
和美  ふーん。
奈緒  それじゃ、みなさん、だいたい基本的なことは聞いていらっしゃると思いますが、一応、ここでの生活のルールをまとめてプリントにしてきましたので、もう一度確認して下さい。

    奈緒、プリントを配る。
    全員、プリントを読む。

和美  けっこういろいろあるねぇ。
有佳  まあ、これぐらいは仕方ないんじゃないですか?
和美  好きにやらせてくれたらいいのに。
達彦  一応、集団生活ですからね。
和美  え? あんたもここで一緒に生活するの?
達彦  ああ‥‥まあ‥‥一応。
和美  へー。‥‥そうなんだ。‥‥ふーん。
達彦  ‥‥‥。
有佳  まあまあ、仲良くやりましょうよ。
渚   あの‥‥これで全員ですか?
奈緒  そうです。この部屋のメンバーはこの五人です。‥‥基本のルールさえ守っていただけたら、あとは自由にやって下さっていいそうです。‥‥何かご要望があれば、私に言って下さい。本部に伝えますので。
和美  ほんとに自由にやっていいの?
奈緒  まあ、一応。
和美  ほんとに何でも?
奈緒  ‥‥その辺は常識の範囲で考えて下さい。
有佳  室長さんをいじめたらダメですよ。
和美  ハハハ‥‥。大丈夫、大丈夫、子供じゃないんだから。その辺のことはわかってるって。
有佳  ‥‥‥。
和美  はい、質問!(手を挙げる)
奈緒  え? 何ですか?
和美  あのさ、室長さん。ここ、カラオケとか、温泉とかあるの?
奈緒  ああ‥‥。ありますよ。一応。大した施設じゃないですけど。
和美  よっしゃ! それじゃ、みんな温泉に行こうよ。コミュニケーションは、まず裸のつきあいから、だよ!
和美以外    ‥‥‥。
和美  ねぇ。
和美以外  ‥‥‥。
和美  何だよ、何だよ。みんなシケシケじゃん。せっかく若いんだから、もっと若さをエンジョイしなきゃ!
和美以外  ‥‥‥。
和美  じゃ、あたし先に行ってるから、みんなもおいでよ! 室長さん、温泉どこ?
奈緒  あっちです。(指さす)
和美  それじゃ、お先に。‥‥あ、そこの‥‥ただの人間の人はさ‥‥。
達彦  ああ、わかってますよ。その辺のことは。
和美  あ、そう。‥‥だっら安心ね。‥‥じゃあねー。

    和美、去る。
    しばしの間。

達彦  ‥‥若さをエンジョイ‥‥てか。
有佳  まあまあ、仲良くやりましょうよ。
渚   ‥‥ですよね。
達彦  ‥‥‥。

    暗転。

    とある場所の、とある室内。
    奈緒以外の全員がいる。

有佳  だから、渚ちゃんは、ミュージカルスターになりたいんだって。
渚   だから、ミュージカルじゃないです。歌手か女優です。
和美  え、それ、どこが違うの?
緑    だから、歌手は歌を歌う人。女優はお芝居をやる人。
有佳  でも、両方でもいいんでしょ?
緑   まあ、そうですけど‥‥。
有佳  だったら、やっぱりミュージカルよ。歌って、踊って、お芝居するんでしょ? ねぇ。
渚   まあ、そういうのもないことはないですけど、ちょっと違うんです。
和美  え、何が違うのよ? 要するに宝塚でしょ?
渚   あ、それ、もっと違います!
和美  何がよ! ‥‥歌ってお芝居するんでしょ?
渚   だから、歌ってお芝居じゃなくって、歌かお芝居。
達彦  ミュージカルって言ったら、ブロードウエイだよね。ニューヨーク
の。日本でもミュージカルやってるけど、やっぱり本場のは迫力が全然違うんだよね。お客さんのノリなんかもすごいし。
有佳  え? たっちゃん、アメリカにいたことあるの?
達彦  あ、まあ、昔々の話だけど。
有佳  へえ。そうなんだ。
渚   ああ、それは確かにそうですよね。私も、ブロードウエイで、「美女と野獣」観ましたよ。すっごくよかったです。
和美  え? ‥‥へえ、渚ちゃん、高校生なのに‥‥。やるじゃん。
渚   あ、いや‥‥だから、それは昔‥‥。
和美  え? 何? 昔?
渚   あ‥‥すみません。
和美  渚ちゃん、留学でもしてたの?
渚   ‥‥ええ、ちょっと。
有佳  和美さん!
和美  いいじゃん、ちょっとくらい。室長もいないんだからさ。好きにしゃべらないと肩こっちゃうよ。
有佳  でも‥‥。
和美  いいって、いいって。‥‥で、住んでたの?
渚   ‥‥ええ。
和美  じゃあ、英語とかペラペラなわけ?
渚   ペラペラってことはないですけど、まあ日常会話ぐらいなら。
和美  へー、すっげーじゃん。‥‥だったらさ、アメリカ帰り同士で、今からさ、達彦君と渚ちゃんで英語で話してみてよ。ペラペラって。
達彦  いや、それは‥‥。
渚   ちょっと‥‥。
和美  いいじゃん。減るもんじゃないんだし。
有佳  ねぇ、話戻しましょ。
和美  えー。
有佳  ‥‥ええっと、どこまでだっけ。そうそう、ミュージカルスターの
話。
渚   だから、ミュージカルじゃないですって。
有佳  それじゃ、次は、和美ちゃん。
和美  えー、あたし?
有佳  そう、あたし。
和美  そうねぇ、あたしはねぇ、特に夢なんかないんだけど、お金がほしいなあ。それと、男。
達彦  えらく現実的だね。
和美  そりゃそうよ。現実は厳しいのよ。夢なんか見てても、おなかはふくらまないし。その点、お金はウソつかないしね。
達彦  そうでもないよ。お金がいくらあっても、夢とか理想がない人の人生はさみしいよ。
和美  それは、お金のある人の言い分よ。贅沢な悩みっつーの?
達彦  そんなことないよ。お金で買えないものはたくさんあるから。
和美  たとえば?
達彦  え‥‥。たとえば、月並みだけど、ほら、幸せとか愛とか。
和美  幸せと愛ねぇ‥‥。ふーん。幸せも愛もお金があれば何とかなるわ
よ。
達彦  ならないって!
和美  ほう‥‥えらくむきになるわね。‥‥ひょっとして、達彦君は不幸せなお金持ちなわけ?
達彦  それは‥‥。
和美  おや、おや、どうやら図星みたいね。
有佳  和美さん! ‥‥ねぇ、みんな仲良くやりましょうよ。
渚   私もそう思います。
和美  はいはい、私が悪うございました。‥‥それにしてもさ、男がいないのってつまんないわね。‥‥ああ、一人いたっけ? でも、男でも女でもないただのおじさんだしねぇ。‥‥なんかだまされた感じ。
達彦  ‥‥‥。
有佳  和美さん。‥‥それは言わない約束でしょ?
和美  おとっつぁん、それは言わない約束だよ。シクシク。‥‥まるで時代劇だね。‥‥あーあ、ほんと不自由な世の中だよ。全く。
和美以外  ‥‥‥。
有佳  ‥‥それで、渚ちゃんは、そっちの方面に進学するのかな? 音楽大学とか、演劇学校とか?
渚   え、私ですか?
有佳  ええ。
渚   あの‥‥実は、がんばって勉強して、医学部に行きたいんです。
有佳  え? 医学部?
達彦  何、それ?
有佳  歌手と女優は?
渚   いや、それも夢なんですけど、お医者さんになるのも夢なんです。もう少し現実的な意味で。
有佳  ああ、夢ねぇ。‥‥そう言えば、渚ちゃん、夢見てる時が一番だって言ってたわね。
渚   ええ。
達彦  それにしても、かなり極端に違うよね。歌手と女優と医者じゃ。
有佳  何でお医者さんなの?
和美  そりゃ、やっぱりお金でしょ?
有佳  和美さん!
和美  はいはい。
渚   あの‥‥私、癌とか難病とかが治るようにしたいんです。
有佳  へえ‥‥癌とか難病ねぇ。‥‥それは立派な考えね。
達彦  ほんとだねぇ。‥‥そう言や、もう癌なんかとっくに治る病気になってると思ってたのになあ。
和美  エイズもね。
達彦  え? エイズはとっくに治る病気だよ。
和美  うるさい!
有佳  もう、二人とも!
達彦・和美  すみませーん。

    奈緒が入って来る。

奈緒  なんか盛り上がってるわねぇ。‥‥ねぇ、ねぇ、何の話?
有佳  みんなで将来の夢を話してるの。
奈緒  へぇ。
有佳  あ、そうだ。ねぇねぇ、奈緒さんの夢って何?
奈緒  え? そんなに急に聞かれてもねぇ。‥‥そうだなあ、何か人の役に立つことかな?
有佳  人の役に立つって、例えば?
奈緒  そうねぇ、私ねぇ、できればカウンセラーになりたいんだ。
有佳  カウンセラー?
奈緒  うん。最近、世の中は豊かになったけど、その反面、心の病気とか、心を病んでる人が多いでしょ?
有佳  うん。
奈緒  そういう人の手助けをしてあげたいなあって。
有佳  へえ。‥‥みんな立派な考えを持ってるんだ。
達彦  ほんとだね。‥‥誰かさんとは大違いだ。
有佳  たっちゃん!

    しばしの間。

達彦  お金と男にしか夢を持てない誰かさんとはね。
有佳  たっちゃん!
和美  え? ‥‥ひょっとしてあたしのこと言ってるわけ?
達彦  さあねぇ?
和美  言いたいことがあるんなら、はっきり言いなさいよ!
達彦  ‥‥‥。
和美  ふん、みんな優等生なんだから‥‥。悪いけど、あたしはみんなと違って、お育ちが悪いもんでね、良い子ぶるのは苦手なんだよ。思ったことは口にしないと収まらないタチでね。
和美以外  ‥‥‥。
和美  なんか、みんな勘違いしてるみたいだから言わせてもらうけどね、そうやって将来の夢なんかしゃべってむなしくないわけ? あたしたちにいったいどんな将来があるって言うのよ?
有佳  和美さん!
和美  ご立派な夢を持ちたければ勝手に持てばいいさ。でも、あたしゃごめんだね。あたしには今しかないのよ。今だけが楽しければそれでいいのよ。
奈緒  和美さん!
和美  どうせみんな死んじゃうんじゃないの! 今楽しまなくて、いつ楽しむのよ!
奈緒  和美さん! それはルール違反よ。それ以上言うと、退場になっちゃうわよ。
和美  ルール、ルール、って、うるさいわね! こんなに不自由だと知ってたら、初めっからこんなとこに来なかったわよ!自由な人生をやり直させてくれるからって言うから来たのに、そっちの方が約束違反じゃないの! せめて最後ぐらい自由にさせてくれたっていいじゃないの!(泣く)

    長い沈黙。
    和美泣いている。

奈緒  ‥‥和美ちゃん。‥‥私が悪かったわ。‥‥でもね、つらいのは、みんなおんなじなのよ。そうでしょ? だから、それを言っちゃったらおしまいなのよ。‥‥だから、それを言わないのが約束。ルールなのよ。どうかわかって。
和美  ‥‥そんなの‥‥わかってるわよ。

    和美泣いている。

奈緒  ‥‥ルールについては、もう少し緩めてもらうように、私からも言っておくから。

    和美泣いている。

奈緒  和美ちゃん。‥‥保健室に行きましょ。しばらく休んだ方がいいわ。
和美  ‥‥室長さん。
奈緒  何も言わないで。‥‥今は何も言わなくていいから。

    奈緒、和美を連れて行く。

奈緒  それじゃ、後はお願いします。

    奈緒、和美、去る。
    長い沈黙。

有佳  ‥‥みんな、仲良くやりましょうよ。‥‥ねぇ。

    しばしの間。

渚   ‥‥有佳さん。あなた強い人ですね。‥‥若いのに。
有佳  え? ‥‥そんなこと、高校生に言われたくないわ。
渚   あ‥‥そうでしたね。‥‥すみません。

    全員、微苦笑。

    暗転。

    ダンス音楽!
    音楽終わる。
    明かりがつくと誰もいない。
    やかて、全員がバタバタと部屋に戻って来る。

和美  イエイ! 最高じゃん!
有佳  ほんと、ほんと、楽しかったあ!
渚   不思議ですねぇ。あれだけ激しく踊っても、全然疲れないし、息も上がらないし。
達彦  ほんと、まるでウソみたいだな。
和美  ここ、温泉は小さいし、カラオケルームもダサいけど、このダンスレクレーションだけはいいよね。
有佳  こんなんだったら、何時間でも平気だよね。昼ご飯食べたら、もう一遍行こうか?
渚   いいですね。行きましょ。行きましょ。
和美  なんとかリアリティって、ほんといいよねぇ。
渚   バーチャル・リアリティ。
和美  そうそう、それそれ。‥‥じゃあ、毎日、午前と午後とやろう! OK?
達彦  いや、それはちょっと‥‥。
有佳  え? たっちゃんイヤなの? さっき、ウソみたいって言ってたじゃ
ん。
達彦  いや、全然疲れないのは、そうなんだけど‥‥。
有佳  だったら、何?
達彦  いやあ‥‥ダンスがさ‥‥。
有佳  え? ダンスがどうしたの?
達彦  昔からダンスというのはどうも苦手で。ボックス踏むのも必死だったりするし‥‥。
渚   え? そうなんですか?
和美  何、それ? うけるー!
有佳  そんなの全然気にしなくていいから。盆踊りでも何でもいいのよ。ストレスが発散できたらいいんだから。
達彦  まあ、それはそうなんだけど‥‥。みんな、上手だから‥‥。
和美  いいってことよ。そんなの気にしない気にしない。楽しんだ者勝ち
よ。
渚   そうそう。
有佳  朝と昼だけじゃなくて、夜も踊っちゃわない?
和美  おっ、いいねー。毎日、朝から晩までダンス天国だあ!
奈緒  ごめん。それはちょっと‥‥。
和美  えー。またルールの話?
奈緒  いや、ルールじゃなくて、私の話。‥‥私はちょっと無理。体がついて行かない。
渚   どうしたんですか? 奈緒さん、お若いのに。
奈緒  いやいやいや。今ので、もう十分にバテバテだから。
奈緒以外 ?
渚   あ。
有佳  あ。
達彦  あー、そっかー。
和美  え? 何? 何? そっかーって何?
達彦  いや、だから‥‥。
和美  え? 何よ? もったいぶらないでよ。
渚   あのぅ、和美さん。
和美  え?
渚   ‥‥バーチャルじゃないから。
和美  え? 何が?
有佳  だから、奈緒さんは、リアル・リアリティだから‥‥。
和美  え? リアル‥‥リアリティ? 何よ、それ?
有佳  要するに、奈緒さんだけは、生身のリアルな人間だから。
渚   マジで疲れるし、息が上がっちゃうんですよ。
和美  あー、そっかあ! なるほどねー!
達彦  つまり‥‥そういうこと。
奈緒  ごめんねー。
有佳  いやいや、そんなの謝ることじゃないから。
奈緒  だからさ‥‥みんなで踊って来て。私も元気な時は行くからさ。
渚   オッケーです。
有佳  ラジャー。

    全員座る。

達彦  ダンスなんて、ほんと久しぶりだなあ。昔はしょっちゅうクラブに行ってたんだけどなあ。
有佳  え? 踊り、苦手じゃなかったの?
達彦  いや、苦手だけど、嫌いではなかったんだ。でも、踊るのは友達で、飲みながら見てるの専門だったけど。
有佳  何よ、それ? そんなことして楽しいわけ?
達彦  まあ、クラブの雰囲気を楽しむって感じ?
和美  クラブ? 達彦君はデスコでナイトフィーバーでしょ?
達彦  馬鹿にすんなよ。クラブだよ、クラブ。
渚   クラブって、ナイトクラブ? 銀座とかの?
和美  あっ、そっか。渚ちゃんは、ゴーゴー喫茶だもんね。
渚   何言ってるんですか! 私をいくつだと思ってるんですか!
渚以外 十七歳!
渚   あ‥‥。‥‥そうでしたよね。
渚以外 アハハハハハ‥‥。

    しばしの間。

有佳  ‥‥あのう。
和美  え? 何?
有佳  ‥‥今言ってたデスコとかゴーゴー喫茶って‥‥?
有佳以外 え‥‥。
和美  またまたあ‥‥有佳ちゃんたら、若ぶっちゃってぇ‥‥。
有佳  え‥‥いや‥‥。

    しばしの間。

達彦  ‥‥もしかして‥‥ひょっとして‥‥、それ、マジで聞いてる?
有佳  はあ‥‥まあ。

    しばしの間。

達彦  ‥‥ということは、ひょっとして奈緒さんも?
奈緒  え? ‥‥いや、クラブというのは聞いたことはありますよ。
達彦・和美・渚  え。

    しばしの間。

達彦・和美・渚  そっかー。そうなんだねぇ‥‥。
奈緒  え?
有佳  何? 私、なんか悪いこと言った?
達彦  いや‥‥別に‥‥いいんだけどねぇ。
渚   あの‥‥やっぱり、ルールを元に戻した方がいいんじゃないですか?
和美  ‥‥かもねぇ。
有佳  あ、あなたがそんなこと言うわけ? 文句を言ってたのはあなたじゃない?
和美  ‥‥それは、そうなんだけどね‥‥。また、別の問題が出てきたって言うか‥‥。
有佳  別の問題って何よ?
達彦  ジェネレーション・ギャップ。
有佳  え? ジェネレーション・ギャップ?
達彦  そう。

    しばしの間。

奈緒  まあまあ、あんまり細かいことは気にしないで、適当にやろうよ。いい意味でさ。
和美・渚   細かくない!
奈緒  え。
和美  トシの問題って、一番気になるところじゃない? 女にとってはさ。
渚   見た目が若いだけに、よけいにねぇ。
和美  そう、そう。
有佳  いいじゃない? みんな若いんだし。
渚   まあ、見かけはね。‥‥見かけだけじゃなくって、中身も若くならないんですかねぇ?
有佳  なってるよ。気持ちはバリバリ女子大生!
和美  それはそうなんだけどねぇ‥‥。やっぱり記憶の部分がさあ‥‥。
有佳  え? じゃあ、何もかもバーチャルにやりたいっていうわけ?
渚・和美  ‥‥かな?
有佳  私はそんなのはイヤよ。
渚・和美  え?
有佳  だってそうでしょ? 見かけは女子大生。気分も女子大生。それで記憶まで女子大生だったら、ほんとの私はどこ行っちゃうわけ?
渚・和美  ‥‥‥。
有佳  そんなの、私が私でなくなっちゃうだけじゃん。私であって私でない私‥‥。なんかワケわかんない別の私になっちゃうだけじゃん。違う?
和美  それは、そうかもしれないけどさ‥‥。
有佳  私は、あくまで私のままで生きたいわ。そして、私のままで死にた
い。
渚・和美  ‥‥‥。
有佳  みんな、ちょっとわがままなんじゃない? 年齢通りにふるまえってルールが不自由だって言うから、ルールを緩めてもらったのに、そしたら、今度はそんなことを言い出すわけ?
渚・和美  ‥‥‥。
有佳  ジェネレーション・ギャップなんて、実際にトシの差があるんだか
ら、仕方ないじゃない? それで中身まで変えたいなんて‥‥。
渚・和美  ‥‥‥。

    しばしの間。

渚   まあまあ‥‥みんな、仲良くやりましょうよ。ねぇ。
有佳  ‥‥それは、私のセリフよ。
渚   ‥‥‥。

    しばしの間。

達彦  ‥‥帯に短し、たすきに長し、か。
和美  え? 何よ、それ?
達彦  バーチャル・リアリティって言うのも、なかなかうまく行かないものなんですねぇ。‥‥科学がいくら進歩しても、何もかもうまく行くわけじゃないんですねぇ。
和美  何よ。年寄り臭いこと言って。
達彦  ああ、年寄りで悪かったですね。
和美  ふん。
渚   ねえねえ、ケンカしてても始まらないから、ここは、奈緒さんにお任せしませんか?
全員    ‥‥‥。
渚   ということで、奈緒さん、よろしくお願いします。
奈緒  え? ‥‥よろしくって言われてもねぇ。
全員  ‥‥‥。(奈緒を見る)

    しばしの間。

奈緒  じゃ‥‥じゃあ、とりあえず、問題点だけ整理しましょうか?
渚   はい。
奈緒  ‥‥まず‥‥あなたたちは、自分で希望してバーチャルな人生を生き直すことを選んだ。そうよね?
渚   ‥‥ええ。
奈緒  そして、自分の戻りたい年齢に戻ることを希望した。‥‥これも自分自身の希望よね?
渚   はい、そうです。
奈緒  で、ここからが問題なんだけど‥‥みんなは、若さを手に入れた。手に入れたけど、その若さを演じさせられることはイヤだった。自分はあくまで自分らしく自由に生きたい。‥‥だから、そんなルールに縛られるのはイヤだった。‥‥そうだっわね? 和美さん?
和美  ああ‥‥そうよ。
奈緒  すると、今度は、ジェネレーション・ギャップの問題が出てきちゃった。‥‥見かけの年齢と中身の年齢に大きなギャップができちゃった。
有佳  うん。
奈緒  ‥‥要するに、バーチャル・リアリティとリアリティがごちゃごちゃになっちゃってるのよねぇ。
全員  ‥‥‥。
奈緒  それを、どうすれば解決できるか?
全員  ‥‥‥。
奈緒  わかんないわ。私も。
和美  何よ! それー!
奈緒  だって、わかんないんだもん。‥‥それが私の正直な感想。
全員    ‥‥‥。

    しばしの間。

奈緒  ‥‥まあ、早い話がね、ここはゲームの世界なのよ。‥‥そのゲームの世界にプレイヤー自身が登場してくるもんだから、こんな風にややこしくなっちゃうのよねぇ。
全員  ‥‥‥。
奈緒  ‥‥まあ‥‥若さを選ぶか、自分らしさを選ぶか、どっちかしか選べないってことかなあ?
全員    ‥‥‥。
有佳  若さを選ぶか‥‥。
和美  自分らしさを選ぶか‥‥。

    長い沈黙。

達彦  ‥‥でも‥‥それって、ちょっと違うと思います。
奈緒  え?
達彦  これはゲームなんかじゃない。‥‥私たちは、ゲームのプレーヤーなんかじゃない。
奈緒  それ‥‥どういうこと?
達彦  これは‥‥人生なんです。人生そのものなんですよ。
奈緒  え?
達彦  ねぇ、そう思いませんか?

    奈緒以外、うなずく。

達彦  だって、そうでしょ? もし、ゲームだったら、途中でやめたり、リセットだってできるんです。‥‥だって、プレイヤーには戻れる元の世界があるから‥‥。
全員    ‥‥‥。
達彦  でも、私たちにはこの世界しかないんです。‥‥確かに、ここはバーチャル・リアリティでウソの世界かもしれない。でも、私たちには戻れる世界なんかないんです。そうじゃないですか?

    奈緒以外、うなずく。

達彦  ‥‥だから、私たちは‥‥少なくとも私は、ここで生きるしかないんです。‥‥だから、これが人生そのものなんです。‥‥やり直しなんかできないし、気に入らないからってリセットなんかできやしないんです。
全員    ‥‥‥。
達彦  ‥‥私は、そういう世界を選ぶしかなかったんだから。

    長い沈黙。

有佳  ‥‥そう‥‥よね。‥‥これが私の人生よね。
渚   そうですよ。‥‥もう、これしかないんですから。
和美  そうだね。
有佳  ‥‥考えてみたら、おんなじだよね。‥‥リアルな人生だって、どうせリセットなんかできないんだし。
渚   そうですよね。‥‥人間は、与えられた人生を、与えられたままに生きていくしかないんですよね。
和美  お、渚ちゃん、なかなか深いね。
渚   そんなことないですよ。だって、そうだと思いません?
和美  いや‥‥意味はよくわかんないんだけどさ‥‥。
渚   何ですか? それ?
和美  まあ、いいじゃん。
有佳  ‥‥リアルな人生だって、いろいろと問題はつきものよ。‥‥それを一つ一つ解決したり、折り合いをつけていくしかないんだから。‥‥考えてみたら、そんなにうまくばっかりいく人生なんかないもんね。
渚   人生、山あり谷ありですからね。
和美  お、さすが、亀の甲より年の功。
渚   何ですか。人を年寄り扱いしないで下さいよ。
有佳  そうそう、なんてったって花の女子高生だもんね。
渚   もう! 人を馬鹿にして!
渚以外 アハハハハハ‥‥。

    暗転。

    奈緒と有佳と和美が座っている。

奈緒  有佳ちゃんは、国文だったよね?
有佳  うん。
奈緒  どの時代が好きなの?
有佳  え?
奈緒  ほら、国文って言っても、いろいろあるじゃない? 万葉集とか源氏物語とか、夏目漱石とか村上春樹とか?
有佳  ああ。‥‥まだ、はっきりとは決まってないんだけどね、とにかく恋愛物語が好きかな? 古典でも、現代でも。
奈緒  ふーん。
有佳  古今集とかの愛の歌も好きだし、恋愛小説も興味あるし。‥‥でも、どっちかというと、古典かな? 平安時代とか。
和美  へー、古典。あんなわけのわからないもんが好きなの? いと何々けりとか、をかしとかむかしとか?
有佳  ‥‥うん。
奈緒  有佳ちゃんはロマンチストなんだね。
有佳  ‥‥そんなことないけど。
奈緒  そうよ。
有佳  でも素敵だと思わない? 昔の恋愛は奥ゆかしくってさ。和歌で気持ちを伝えたりして‥‥今の恋愛とは全然違うよね。
奈緒  そうねぇ。
和美  えー、全然そんなことないって。‥‥あたし聞いたことあるよ。平安時代とかは、フリーセックスでさ、男が夜な夜な女の家に忍び込んで、取っ替え引っ替えバンバンやりまくってたんだって。
奈緒  和美ちゃん。そういう下品な言い方はやめてよ。
和美  だって事実だもん。
奈緒  そりゃ、そうかもしれないけどさ‥‥。
和美  源氏物語とかもさ、主人公の男がさ、あっちこっちでやりまくって、子供作りまくって、それで「いとあはれなり」とか言って、シクシク泣いたりしてるんだって。バッカみたいな話よねぇ。
奈緒  もう、やめてよ!
和美  だって、ほんとの話だもん。
奈緒  ほんとだったら、何でも言っていいってもんじゃないわよ。‥‥あなただって、女の子でしょ? 恋にあこがれたりしないわけ?
和美  恋にあこがれ? ‥‥そんなのはないわねぇ。恋愛なんて、ぶっちゃけ言っちゃえば、男と女が寝るだけの話じゃない? ただ、それまでの駆け引きを楽しんでるだけよ。
奈緒  ‥‥‥。そんな言い方したら、味もそっけもないじゃない? あなたって、ほんとにロマンチックのかけらもないのねぇ。有佳ちゃんとはまるっきり正反対だわ。
和美  それは、それは、悪うございましたねぇ。味もそっけもない女で。

    しばしの間。

奈緒  ‥‥そう言えば、和美ちゃんは大学で何を勉強してるんだっけ?
和美  え‥‥。
奈緒  ねえ。
和美  ‥‥さあねぇ。
奈緒  え?
和美  ‥‥あのさ。
奈緒  うん。
和美  大学って、勉強するところなの?
奈緒・有佳  え?
奈緒  ‥‥それ、どういう意味?
和美  遊ぶところじゃないわけ?
奈緒・有佳  え?
奈緒  ‥‥そ、そりゃそういう人もいるだろうけどさ。
有佳  一応、学校なんだから。
和美  ‥‥ああ、やっぱりそうなのか。
奈緒・有佳  え?
奈緒  何言ってるの?
和美  いや‥‥。言っちゃおうかなあ?
奈緒  だから、何よ?
和美  いや、だからさ‥‥、ぶっちゃけ言っちゃうと‥‥。
奈緒  うん。
和美  あたしさ、大学って、よく知らないんだ。
奈緒・有佳  え?
有佳  ‥‥それ、どういう意味?
和美  いや‥‥だからさ‥‥行ったことないからさ。
奈緒・有佳  え?
和美  あたし、実はさ、大学行ってないんだ。‥‥いや、高校もさ。
奈緒・有佳  え?
和美  だから‥‥中卒なの、あたし。
奈緒・有佳  え?
奈緒  それ、どういうこと?
和美  これってルール違反だよね。それはわかってるけど。
奈緒  ‥‥まあ、ルールのことは置いといて、‥‥もうちょっとはっきり事情を話してよ。
和美  ‥‥だからさ‥‥あたし、ほんとは中卒なんだよね。‥‥それでさ、人生やり直させてくれるって話だったから、そんならさ、一回女子大生ってやつをやってみたいなあってさ‥‥そう思ったわけ。
奈緒・有佳  ‥‥‥。
和美  ‥‥悪いとは思ってるよ。‥‥でも、ずっとあこがれてたんだよね。‥‥女子大生になったらどんな気分だろうなあって。‥‥あんたたちにはわからないかもしれないけどね。中卒の気持ちはね。
奈緒・有佳  ‥‥‥。
奈緒  ‥‥そうなの。
和美  ‥‥うん。
奈緒  そうなんだ。
和美  うん。
奈緒  ‥‥そっかあ。
和美  ‥‥‥。

    しばしの間。

有佳  ‥‥ねぇ、奈緒ちゃん。
奈緒  え? 何?
有佳  和美ちゃんのこと、本部には黙っててあげて。
和美  有佳ちゃん‥‥。
奈緒  ‥‥‥。
有佳  ねぇ、お願い。
奈緒  ‥‥大丈夫だって。
有佳  ほんと?
奈緒  ‥‥これでも、私は、血も涙もある女だから。
有佳  ありがとう!
和美  ‥‥ありがとう。‥‥有佳ちゃん。奈緒ちゃん。
奈緒・有佳  ‥‥‥。
和美  ほんとにありがとう‥‥。
奈緒  いいってことよ。‥‥私たち、友達じゃない?
和美  奈緒ちゃん‥‥。
有佳  ‥‥‥。

    しばしの間。

有佳  ‥‥あのさ。
和美  え?
有佳  別に言いたくなかったら言わなくていいんだけど‥‥ほんとは何をしてたの? 中学卒業してから。
和美  ああ‥‥。そうねぇ。いろいろしてたなあ。
有佳  うん。
和美  東京出てきて、いろんな仕事したよ。フツーの仕事から怪しい仕事まで、ほんとにいろいろ。
有佳  怪しい仕事?
和美  うん、初めはホステスとかやってたんだけど、そのうちキャバクラ嬢になって、それからフーゾク。まあ、お決まりのパターンね。
有佳  へぇ。
和美  で、最終的にはソープ嬢。
有佳  え、ソープ嬢?
和美  うん、ソープって手っ取り早く稼げるからね。‥‥あたしね、お店持ちたかったんだ。小料理屋みたいなの。‥‥でもさ、あたしらみたいな中卒にそんなお金稼げるわけないじゃん? まあ、とびきりの美人だったら、パトロンとかできるかもしんないけどさ。
有佳  うん。
和美  そうすると、結局、フーゾクになっちゃうわけ。ソープの仲間にも、そういう子多かったよ。実際にお店とか始めた子もいたし。
有佳  ふーん。
和美  でもさ、あたしの場合、お金貯められなかったのよねぇ。‥‥けっこうストレスたまるから、バンバン派手に買い物とかしちゃうし、好きな男ができて、貢いだり。‥‥まあ、これもお決まりのパターンなんだけどね。
有佳  へぇ。
和美  あたしにも本気で好きになった男がいてさ、そいつと同棲してたん
だ。もしかして結婚しようかなあなんて思ってたりもしたんだけど、結局、その男に洗いざらい持ち逃げされちゃった。‥‥まあ、中卒のソープ嬢が人並みの幸せを手に入れようなんて思ったのが、身の程知らずだったのよねぇ。
有佳  ふーん。
和美  それでどんどんトシだけ食ってくわけじゃない? だんだん仕事も減っていくし、そのうち周りから「そろそろ潮時じゃない?」とか言われてさ‥‥それからはさ、貯金もないし、学歴も資格もないし、食ってくだけで精一杯。‥‥で、そのうち、病気が出てきてさ。‥‥泣きっ面にハチとは、このことよねぇ
有佳  へぇ。大変なんだ。
奈緒  でも、病院とか行かなかったの?
和美  行ったよ。でも、医者にエイズだと言われても、なんだかピンとこなかった。まあ、治る病気だと思っちゃったのよね。
奈緒  今なら、ちゃんと治療したら、治る病気よ。
和美  ちゃんと治療したらね。‥‥でもさ、エイズの治療って、一生薬を飲み続けなきゃならなくて、時間とかもきっちり守らなきゃなんないし、とってもめんどくさいのよ。それにお金もけっこうかかるしね。‥‥それで、ちょっと医者行ってはやめて、また医者行ってはやめて、の繰り返しでさ、そのうち、もうどうしようもない状態になっちゃったってわけ。
奈緒  ふーん。
和美  まあ、自業自得ってやつ? アハハハ‥‥。
奈緒  笑い事じゃないでしょ?
和美  ‥‥だって、もうどうしようもないんだよ。‥‥せめて笑うぐらいしかないじゃん。
奈緒  ‥‥‥。

    突然、和美泣き出す。

奈緒  和美ちゃん‥‥。
和美  ‥‥あたし、死にたくないよ。‥‥まだ死にたくないのよ。‥‥ね
ぇ、どうしたらいいの?
奈緒  和美ちゃん‥‥。

    和美、泣いている。

有佳  ‥‥だったら、生きなさいよ。
奈緒・和美  ‥‥え?
有佳  なんちゃって女子大生でもいいじゃん。生きられる間、精一杯生きなさいよ。
奈緒・和美  ‥‥‥。
有佳  私は、そう思うわ。
奈緒・和美  ‥‥‥。
有佳  ねぇ、そうじゃない?
和美  有佳‥‥ちゃん。
有佳  私はねぇ、こう見えてもベテランなのよ。‥‥ハタチ過ぎに筋萎縮症になって、エイズと違って治る見込みがないからね、その時点で死ぬことが約束されてしまったわけ。私、何日も何日も泣いたわ。ほんとに涙が枯れるまで泣いた。‥‥でもさ、そのうち考え方が変わったのよね。‥‥じっと黙って死ぬ日を待つのはやめようって。‥‥だってそうじゃない? 消化ゲームみたいに生きるのってもったいないじゃない? ‥‥病気であろうが、なかろうが、人間いつか死ぬものなのよ。でも、それまでは生きてるのよ。確実に生きてるのよ。‥‥だから、命ある限り、精一杯生きようって思った。だから、このバーチャルホスピスの話を聞いた時は、文字通り飛びついたの。気力はあっても、もう体が言うことをきかなくなってたからね。‥‥だから、こうして、もう一度女子大生になれて、自由に動けて、私、とっても幸せよ。‥‥今、私は最高に幸せなの!
奈緒・和美  ‥‥有佳ちゃん。
有佳  だから‥‥だから、和美ちゃんも、生きようよ。命ある限り精一杯生きようよ。
和美  ‥‥‥。
有佳  私だって、なんちゃって女子大生よ。ほんとはベッドで寝たきりのおばさんなんだから。‥‥ここにいる人はみんな「なんちゃって」よ。ねぇ、そうでしょ?
和美  ‥‥そう‥‥だね。
有佳  だから、私たちは同じ穴のムジナよ。‥‥偽物同士、仲良くやりましょ。
和美  ‥‥そうよね。あたしたち、どうせ偽物だよね。
有佳  そうよ。
和美  そう考えたら、何だか気が楽になっちゃったな。アハハハ。
有佳  お、さっき泣いたカラスが、もう笑った。
和美  う、うるさい!
全員  アハハハハ‥‥。

    渚が入ってくる。

渚   おやおや、ずいぶんと楽しそうですね。
和美  お、なんちゃって女子高生のお出ましですよ。
奈緒・有佳  アハハハ‥‥。
渚   え? 何ですか、それ?
和美  いいの、いいの。とにかく、今あたしたちとっても幸せなの。とっても楽しいのよ。さあ、渚ちゃんも一緒に笑いなよ。アハハハ‥‥。
渚   え?
有佳  ほら、ご一緒に。アハハハ‥‥。
渚   え、え? ‥‥こうですか? アハハ。アハハハ。
和美  そうそう、その調子。
全員  アハハハハ‥‥。

    暗転。

    有佳と達彦が座っている。

有佳  たっちゃんは何年生まれ?
達彦  昭和六十三年。
有佳  わ、昭和なんだ。
達彦  ギリギリね。
有佳  ギリギリ?
達彦  昭和は、六十四年の一月で終わってるんです。だから、ギリギリ。
有佳  ああ、そうなんだ。
達彦  はい。
有佳  惜しかったね。
達彦  惜しかったって?
有佳  あと一年遅かったら平成生まれなのに。
達彦  ああ、確かに。‥‥でも、そんなの気にするんですか?
有佳  え? そりゃ、昭和生まれと平成生まれじゃイメージがかなり違うじゃん。
達彦  そうですかね?
有佳  そりゃそうよ。昭和生まれって言ったら、いかにも昔の人って感じがするじゃない?
達彦  へー。そんなもんですか?
有佳  そんなもんよ。
達彦  ふーん。そんなの、考えたことなかった。
有佳  ええ? ふつー考えるでしょ? 少なくとも、女の子だったら絶対考えるわよ。まあ、たっちゃんは‥‥。
達彦  ‥‥フフ。別にいいですよ。男でも。
有佳  ごめんなさい。
達彦  いや、ほんといいんです。そういうの、全然気にしてませんから。
有佳  へえ、そうなんだ。
達彦  はい。
有佳  ‥‥そういえば、たっちゃんって、何か不思議な人よね。
達彦  え? そうですか? どこが?
有佳  まあ、いろいろと‥‥。そういうこだわりとかないところとか?
達彦  こだわりって?
有佳  ほら、たとえば、ゲイの人とか、トランスジェンダーの人とか、男扱いとかされたら怒ったりするじゃない?
達彦  ああ、まあ、そういう人もいますね。
有佳  それに‥‥ほら、ここって、好きな年代とかにしてくれるのに‥‥。
達彦  何でおじさんなのか? って?
有佳  ごめんなさい。
達彦  いや、いいんですよ。全然。‥‥うーん。ひょっとしたらそこのところだけ、こだわりがあるのかもしれないな。
有佳  え? どういうこだわり?
達彦  何て言うのかな? ‥‥ほら、以前、私は、男でも女でもない、ただの人間だって言ったでしょ?
有佳  ああ、うん。
達彦  そういう、ただの人間って言うか、ただの自分でありたい、みたいな‥‥そんなこだわり?
有佳  ん? ‥‥よくわかんないんだけど?
達彦  まあ、簡単に言っちゃうと、ありのままの自分でいたいってことか
な? 外見とか年齢も含めて。無理に若い自分に戻ろうとかしたくないって‥‥あ、いや、皆さんのことを批判してるんじゃないんですよ。人それぞれに考えがあるから。
有佳  ふーん。‥‥ありのままの自分ねぇ。‥‥♪ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの
達彦  ああ、そんな歌ありましたね。懐かしいな。
有佳  もうすっかりナツメロよねぇ。
達彦  でも‥‥そんな感じかもしれない。
有佳  そっかあ。‥‥そうなんだ。
達彦  はい。

    しばしの間。

有佳  たっちゃんは、強い人だね。
達彦  え? そうですか?
有佳  そうよ。だって、私たち、みんなワケアリだからさ、ぶっちゃけ言っちゃえば、ありのままの自分でいたくないからここに来てるみたいなもんじゃない? 現実逃避っていうやつ?
達彦  それは‥‥それは、私だってそうですよ。
有佳  え? そうなの? どういうこと?
達彦  ありのままの自分でいたいとか言ってますけど、だったら、死んでゆく自分も含めて、ありのままの自分なわけですよね? ありのままでいたいんなら、そこのところもちゃんと引き受けなきゃね。
有佳  ‥‥‥。
達彦  姿形はありのままでいたい。でも死ぬのは除くって。これじゃ、ご都合主義っていうか、卑怯っていうか。
有佳  やめましょ。
達彦  え?
有佳  そういう話は、辛いっていうか、悲しすぎるわ。‥‥ワケアリの私たちにとってはね。
達彦  ああ、そうですよね。‥‥すみません。‥‥本当にごめんなさい。
有佳  ‥‥‥。

    しばしの間。

有佳  ‥‥私ねぇ、この世界に住むようになってから、何だか中身まで若くなってきた気がするのよ。
達彦  え? そうなんですか?
有佳  踊ったり、騒いだり、年甲斐もないことばっかりやってるせいかしらね? ‥‥これ、絶対若くなってるよ。見かけだけじゃないよ。
達彦  ああ、そうかもしれませんね。
有佳  たっちゃんもとびきりの美少年にしてもらったらよかったのに。絶対もてもてだったのに。惜しいことしたね。
達彦  あはは。‥‥ああ、それは考えなかったなあ。ちょっとしくじっちゃったかな?
有佳  そうよ。‥‥私なんか、寝たきりどころか、もう話すことも動くこともできなくなってたんだから、ほんと夢みたいだわ。みたいどころじゃなくて夢そのものよ。
達彦  ‥‥‥。
有佳  あーあ、このままでずーっとやっていけたら最高なんだけどなあ。
達彦  それは‥‥そうですねぇ。
有佳  ‥‥この世界が、老い先短い人間だけに与えられた特別な世界で時間だってことはわかってるわよ。‥‥わかってるけど‥‥こんなに若くて元気な自分を経験すると、死ぬって実感が全くなくなっちゃうのよねぇ。何だかウソみたいでさ。
達彦  それは、確かにそうですねぇ。
有佳  でしょ? まるでもう一回人生をやり直せそうな気さえしてくるのよねぇ。
達彦  しますねぇ。
有佳  そう考えてみると、このバーチャルホスピスって、ちょっと残酷なシステムよね。
達彦  え? それって、どういうことですか?
有佳  ほら、腹ぺこの人間の前に、おいしそうなラーメンを目の前に置いておいて、食べさせないで取り上げるみたいな。‥‥そういう刑罰ってなかった?
達彦  そんなの、ありましたっけ?
有佳  とにかくそういう感じなのよ。‥‥たとえバーチャルにしてもさ、若くて元気な自分を一度経験しちゃうとさ、かえって死ぬ覚悟がにぶっちゃうみたいな。
達彦  ああ、そういう意味ですか。
有佳  そう。
達彦  なるほど、そうかもしれませんね。
有佳  ‥‥あーあ、死にたくないなあ。
達彦  ‥‥‥。
有佳  ‥‥たっちゃんは、死ぬのが恐くないの?
達彦  え? ‥‥恐いですよ、もちろん。
有佳  さっき、ありのままの自分でいたいけど、死ぬのはイヤだって言ったわよね?
達彦  ええ。言いました。
有佳  でもさ、そんな風に見えないのよ。
達彦  え? どういうことです。
有佳  たっちゃんを見てるとさ、いつもひょうひょうとしててさ。何か我が道を行く、みたいな、そんな感じがするからさ。
達彦  そんなことないですよ。‥‥私は、そんな強い人間じゃありません
よ。
有佳  でもさ、少なくとも、死におびえて生きてる、みたいなイメージは全然ないのよね。そんな感じがするの。感じだけどね。
達彦  そうなんですか?
有佳  うん。
達彦  そっかあ‥‥。

    しばしの間。

達彦  ‥‥死におびえるイメージが私にはないって言いましたよね?
有佳  うん。
達彦  もしかしたら、そういうことなのかもしれない。
有佳  え? 何がそういうことなの?
達彦  ‥‥あの、笑わないで聞いてくれます?
有佳  え、何?
達彦  ‥‥あの、実を言うと、私、あんまり違わないような気がしてるんですよ。このバーチャルな世界も、現実の世界も。
有佳  え? それ、どういうこと?
達彦  どっちも夢みたいなもんじゃないかなって、そう思うんです。
有佳  え、夢?
達彦  はい。
有佳  どういう意味?
達彦  有佳さん、「人間五十年」って知ってますか?
有佳  え、「人間五十年」?
達彦  織田信長が、好んで歌って踊っていた曲です。
有佳  織田信長って、あの織田信長?
達彦  はい。あの織田信長です。‥‥大河ドラマの本能寺の変のシーンとかでよくやってるから、聞いたことあると思いますよ。
有佳  私、大河とか見ないからなあ。‥‥どんなの?
達彦  人間五十年。下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬ者のあるべきか。‥‥知りません?
有佳  ああ、それ、聞いたことはあるかも。
達彦  地球や宇宙の長い長い歴史から見たら、人間の一生なんてほんの一瞬のはかない夢か幻みたいなものだと思うんです。朝、目を覚ました瞬間に消えてなくなってしまう、浅い夢みたいな。
有佳  ふーん。‥‥そういうの、高校の時の古典の授業であったわねぇ。
達彦  え? 古典の授業?
有佳  ほら、方丈記とか徒然草とか。ほら、えーっと、仏教的無常観ってやつ?
達彦  ああ、ああ、そういうの、ありましたねぇ。‥‥有佳さん、よく覚えてますねぇ。
有佳  ま、これでも一応国文科だからね。
達彦  ああ、そうでした、そうでした。‥‥これは誠に失礼致しました。
有佳  いえいえ、なんちゃって国文科ですから。
達彦  いやいや、めっそうもございません。

    二人笑う。

達彦  ‥‥それで‥‥このバーチャルの世界は、ウソの世界で、ほんとに幻なんだけど、それじゃ、今まで生きてきた現実の世界が、どれほど確かな世界だったかというと、どうなんでしょうか?
有佳  ああ‥‥それね。
達彦  はかなさという点で考えたら、言うほど違わないと思いませんか?
有佳  ‥‥うーん。言われてみれば、確かにそうかもしれないわねぇ。
達彦  でしょ?
有佳  うん。

    しばしの間。

達彦  ‥‥私もね、自分の命がもう長くはないとわかった時、やっぱりショックだったんです。‥‥ああ、もう私の人生は終わっちゃうんだって。‥‥でも、しばらくして、私は、そんなに惜しく思うほど確かな人生を送ってきたのかなあって思ったんです。ただ、何となく生きてきただけじゃないか、と。
有佳  ふーん。なるほどねぇ。‥‥何か、その感じ、すごくわかるわ。
達彦  そうですか? わかってもらえるとうれしいです。
有佳  そりゃそうよ。私たち、同じ穴のムジナじゃない?
達彦  ああ、そうでしたね。
有佳  そうよ。
有佳・達彦  アハハハハ。

    暗転。

    達彦が座っている。
    和美が入ってくる。

和美  おはよう。
達彦  おはよう。

    和美、座る。

和美  さてと。‥‥今日の朝ご飯は何かな?
達彦  え? そんなの気になるの?
和美  気になる。気になる。‥‥だって、昨日の晩ご飯、エビフライだったじゃん。それと鳥釜飯。
達彦  それがどうかしたの?
和美  あたし、エビとトリ、ダメなのよ。
達彦  へぇ、そうなんだ。
和美  あんなの嫌がらせよ。拷問よ。‥‥だから、もうおなかペコペコで、なかなか寝られなかったのよ。
達彦  ふーん。言ってくれたら、カップラーメンあげたのに。
和美  えー、そんなの持ってたのー? 言ってよー!
達彦  和美ちゃんが言えばよかったんだよ。
和美  だってー。
達彦  だって、何?
和美  別にー。
達彦  変なの。‥‥そうそう、ひょっとして今日の朝ご飯も、トリの照り焼きだったりして。
和美  やだー! やめてよー!
達彦  バカだね。朝からそんな脂っこいもの出るわけないだろ?どうせ焼き魚と納豆定食だよ。
和美  ‥‥そっかー。
達彦  きっとそうだよ。‥‥安心した?
和美  うん。安心した。
達彦  ‥‥それよかさ、有佳ちゃん、どうしたんだろ?
和美  え、有佳ちゃん?
達彦  ほら、昨日の夕食の時、いなかったじゃん?
和美  ああ‥‥。体調が悪い、とか、奈緒ちゃん言ってなかったっけ?
達彦  言ってたけど‥‥。あれから会った?
和美  ううん。
達彦  まだ具合悪いのかな?
和美  さあ?

    渚、入ってくる。

渚   おはようございます。
達彦・和美  おはよう。
緑    今日は珍しく遅かったね。
渚   ええ、ちょっと。
達彦  いつも、最初にここに座ってるのに。
渚   ええ、ちょっと。
和美  そうだね。老人は早起きだから。
渚   老人って、失礼ですね。
和美  ごめん、ごめん。お年寄りは早起きだから。
渚   もう! おんなじじゃないですか!
和美  アハハハ‥‥。
達彦  そういえば、何時に来ても、渚ちゃんが先にいるよね。
渚   ああ、そうですね。
達彦  いったい何時に来てるの?
渚   そうですね‥‥まあ、日によって違いますが、五時か五時半ぐらい。
和美  えー! 五時に来てるの?
渚   ええ。
和美  毎日、そんなに早く起きるの?
渚   いや、起きるのは四時半頃です。一時間ぐらい、布団の中にいるんです。
和美  ひえー!
達彦  どおりで勝てないわけだ。
渚   たっちゃんは、何時に起きるんですか?
達彦  まあ、五時半ぐらいかな?
和美  えー、あんたも十分に早いじゃん。‥‥やっぱり老人は、いや、お年寄りは早起きだねー。
達彦・渚  老人で悪かったね!(和美をにらむ)
和美  アハ。アハハハ‥‥。
達彦・渚  ‥‥‥。
達彦  ‥‥あ、そうそう、渚ちゃん、有佳ちゃん見なかった?
渚   え?
達彦  ほら、昨日、体調が悪いって。
渚   ああ‥‥。そういえば、見てませんねぇ。
達彦  そっか。‥‥後でお見舞いに行こうか?
渚   そうですね。
和美  そうだね。

    奈緒が入ってくる。

奈緒  おはよう。
達彦・和美  おはよう。
渚   おはようございます。
達彦  ねぇ、有佳ちゃん、まだ具合悪いの?
奈緒  え。

    しばしの沈黙。

達彦  だからさ、有佳ちゃんどうなの?
奈緒  ああ‥‥それね。それなんだけどね‥‥。
達彦  うん。

    しばしの沈黙。

奈緒  ああ、ちょっと忘れ物したから、取ってくるね。
達彦  え?

    奈緒、去る。
    しばしの間。

達彦  ‥‥どうしたんだろ?
和美  忘れ物でしょ?
達彦  いや、あれは違うよ。何かあるよ。ねぇ?
渚   ああ‥‥そうかもしれませんね。

    長い沈黙。

    奈緒が戻ってくる。

奈緒  お待たせー。
達彦  ねぇ、何を忘れたの?
奈緒  いや、それは‥‥。まあ、いいじゃない?
達彦  よくないよ。‥‥ひょっとして、有佳ちゃんに何かあったの?
奈緒  ‥‥‥。
達彦  ねぇ!
奈緒  ‥‥あのね。
達彦  うん。
奈緒  この話は、朝食がすんでからしようと思ってたんだけど‥‥。
全員  ‥‥‥。
和美  ‥‥え、何よ? 有佳ちゃんのこと?
奈緒  うん。(うなづく)
和美  ‥‥‥。

    しばしの間。

奈緒  みんな落ち着いて聞いてね。
全員  ‥‥‥。
奈緒  ‥‥実は、昨日、有佳ちゃんは、卒業しました。
全員  ‥‥‥。
和美  ‥‥え、それ、どういうこと?
奈緒  だから、有佳ちゃんは、ここを卒業しちゃったのよ。
和美  卒業って、どういうことよ?
奈緒  だから、もう、ここにはいないの。遠くへ行っちゃったのよ。
和美  遠くへ行くって、どういうことよ?
奈緒  ‥‥遠くは、遠くよ。遠い遠いところよ。
和美  遠い遠いところってどこよ?
奈緒  もう、あんたはどうしてそんなにものわかりが悪いの! お星様になったとでも言えばいいの!? そうよ、有佳ちゃんは、お星様になりました!

    長い沈黙。

和美  ‥‥‥。そのぐらい‥‥わかってるわよ。
奈緒  ‥‥そう。
全員  ‥‥‥。

    長い沈黙。

達彦  ‥‥それ、いつのこと?
奈緒  ‥‥たぶん、昨日の夜中。
達彦  たぶんって‥‥奈緒ちゃん、知らないの?
奈緒  ‥‥見に行った時は、もういなかったのよ。
達彦  いなかった?
奈緒  そう‥‥消滅してたのよ。
達彦  ‥‥消滅。
奈緒  ‥‥うん。
達彦  ‥‥消滅‥‥しちゃうんだ。
奈緒  ‥‥うん。
全員    ‥‥‥。

    長い沈黙。

和美  ‥‥アハ‥‥アハハハ‥‥。
全員  ‥‥‥。
和美  アハハハハハハ。アーハハハハハ‥‥。
奈緒  ‥‥和美ちゃん。
和美  アハハハ‥‥。そうなんだ。消滅しちゃうんだ。アハハハ‥‥。
全員  ‥‥‥。
和美  ‥‥そっか、消滅しちゃうんだねぇ。アハハハ‥‥。
バッカみたい。
全員  ‥‥‥。
和美  ‥‥‥。

    長い沈黙。

    暗転。

    奈緒と達彦と渚が座っている。

渚   ここにいると季節感とか全くありませんよね。
達彦  ですね。春なのか、夏なのか、秋なのか、冬なのか、さっぱりわからない。
渚   まあ、夏とか冬じゃないことはわかりますけどね。そんなに暑くもないし、そんなに寒くもないし。
達彦  ねえ、奈緒ちゃん、ここ、季節はいつに設定してあるんですか?
奈緒  うーん‥‥季節とかないんじゃない? 一応、温度は二十度から二十五度ぐらいに設定してあるみたいだけど。
達彦  季節だけじゃなくて、場所もわかんないですよね。海辺なのか、山なのか?
渚   そうですね。
達彦  あーあ、一度外に出てみたいなあ。草原とかを思いっきり走りたいなあ。
渚   そうですねぇ。
奈緒  ‥‥まあ、もう少し技術が進歩したら、そういうこともできるようになるかもしれないけど。まだ、テスト段階だから仕方ないのよ。がまんしてね。
達彦  あーあ、私の生きてるうちに何とかしてほしいなあ。
奈緒  それはちょっとねぇ‥‥。
達彦  まだまだ時間がかかりますかねぇ?
奈緒  まあ、どのくらいかかるかわかんないけど、五年や十年じゃ無理じゃないかなあ?
達彦  そこまでがんばって生きるしかないのか‥‥。
奈緒  うん‥‥がんばって。
達彦  はあ‥‥。ちょっと自信ないですねぇ。
奈緒  そんなこと言わないで。
達彦  あーあ。
奈緒・渚  (苦笑)

    しばしの間。

奈緒  ‥‥そう言えば、和美ちゃんは?
渚   さあ?
達彦  また、寝てるんじゃないですか?
奈緒  え? 寝てるの?
達彦  あの人、暇さえあれば、すぐに寝ますよね。
渚   そうですね。
達彦  よくあれだけ寝られるもんですね。
渚   まあ、寝る子は育つって言いますからね。
達彦  今さら育つトシでもないでしょ?
渚   ああ、それもそうですね。
三人  ハハハ。
奈緒  でも、そろそろおやつの時間だから‥‥ちょっと起こして来るわ。

    奈緒、去る。

達彦  食っちゃ寝、食っちゃ寝、か。
渚   え?
達彦  和美ちゃん。あんな生活してたら、体に悪いと思いますよ。
緒    まあ、バーチャルの世界ですから。
達彦  まあ、それは、そうですけど。
渚   それに、私たちもあんまり変わらないんじゃないですか?特に何をしてるわけでもないし。
達彦  まあ、そう言われたらそうですよね。‥‥その辺りも改善が必要かもしれませんね。
渚   そうですね。

奈緒の声 キャー!

達彦・渚 !
達彦  ちょ、ちょっと行って来ます。

    達彦、走り去る。

渚   ‥‥‥。

    非常に長い間。

    やがて、奈緒が達彦に抱えられるようにして戻って来る。

渚   ‥‥奈緒ちゃん。
奈緒・達彦  ‥‥‥。
渚   ‥‥何があったの?
奈緒・達彦  ‥‥‥。
渚   和美ちゃんが‥‥どうかしたの?
奈緒・達彦  ‥‥‥。
渚   ねぇ。
奈緒・達彦  ‥‥‥。
渚   ねぇ! 答えてよ!

    長い沈黙。

達彦  ‥‥あの。
渚   うん。
達彦  あの‥‥落ち着いて聞いてくれますか?
渚   ‥‥はい。
達彦  和美ちゃんは‥‥和美ちゃんは‥‥死んでしまいました。
渚   え‥‥。
達彦  ‥‥‥。
渚   ど‥‥どういうこと?
達彦  ‥‥自殺‥‥したんです。
渚   え。
達彦  ‥‥首を吊って。
渚   ‥‥‥。

    長い沈黙。

渚   ‥‥それで?
達彦  え?
渚   ‥‥それで、救急車とか呼ばないんですか?
達彦  ‥‥‥。(奈緒を見る)
奈緒  ‥‥もう、遅いわ。‥‥それに、ここには救急車とかないから。
渚   ‥‥‥。
達彦  ‥‥ねぇ。
奈緒  え?
達彦  ‥‥和美ちゃん‥‥どうするんですか? あのままにしとくわけにもいかないでしょ?
奈緒  ‥‥いいのよ。
達彦  え? いいって? ‥‥どういうことですか?
奈緒  いいから。
達彦  でも、あのままじゃ‥‥。
奈緒  いいのよ。‥‥もうすぐ消滅するから。
達彦  ‥‥消滅?
渚   ‥‥消滅。
奈緒  ‥‥そう。消滅するわ。
全員  ‥‥‥。

    長い沈黙。
    全員、黙ったまま座る。
    長い沈黙。

渚   ‥‥あの。
奈緒  何?
渚   自殺したら、どうなるんですか?
奈緒  え?
渚   ここで自殺したらどうなるんですか? 現実の世界でも死んでしまうんですか?
奈緒  ‥‥‥。
渚   ねぇ!
奈緒  わかんない。
渚   え?
奈緒  そんなのわからないわ。‥‥想定外の出来事だから。
渚   ‥‥‥。
奈緒  ‥‥でも‥‥たぶん死なないと思う。
渚   え? ‥‥じゃあ?
奈緒  バーチャルの世界からリタイアするだけだと思うわ。
渚   じゃあ‥‥和美ちゃんは?
奈緒  たぶん‥‥病院のベッドの上で目が覚めてると思う。
渚   ‥‥そう‥‥ですか。
奈緒  ‥‥うん。
渚   それは、よかった‥‥のかな?
奈緒  ‥‥さあ? ‥‥私にはわからないわ。
渚   ‥‥そうですよね。
奈緒  ‥‥うん。

    しばしの間。

達彦  ‥‥さびしかったんですよね。
奈緒・渚  え?
達彦  和美ちゃん‥‥。
奈緒・渚  ‥‥‥。
達彦  きっとさびしかったんですよ。‥‥いや、恐かったのかな?
渚   ‥‥恐かった?
達彦  有佳ちゃんが死んじゃって‥‥いや、消滅しちゃって。‥‥ショックですよね。
奈緒・渚  ‥‥‥。
達彦  私も消滅しちゃうんだって‥‥思いましたよ。
奈緒・渚  ‥‥‥。
達彦  死ぬのと、消滅しちゃうのと‥‥どっちがいいんでしょうねぇ?
奈緒・渚  ‥‥‥。
達彦  まあ、どっちも似たようなものかもしれませんけど‥‥。
奈緒・渚  ‥‥‥。

    しばしの間。

達彦  ‥‥命ある限り精一杯生きようよ。
奈緒・渚  え?
達彦  有佳ちゃんが言ってましたよね。‥‥命ある限りって。
奈緒・渚  ‥‥‥。
達彦  その有佳ちゃんが最初に死んじゃって。‥‥皮肉なもんですよね。
奈緒・渚  ‥‥‥。

    しばしの間。

達彦  ‥‥死んだら、どうなるんですかねぇ?
奈緒・渚  え?
達彦  何もなくなっちゃうんでしょうねぇ。‥‥笑ったことも、泣いたことも、怒ったことも、恨んだことも‥‥生きてたあかしが全部なくなっちゃうんでしょうねぇ。こんな人間が、こんな風に生きてたってこと自体がなかったことになっちゃう。‥‥ほんとに消滅ですねぇ。
奈緒・渚  ‥‥‥。
達彦  ‥‥それなのに、どうして生まれてくるんでしょうか?
奈緒・渚  ‥‥‥。

    しばしの間。

達彦  ‥‥生きるさみしさと、死ぬさみしさと‥‥どっちがさみしいんでしょう?
奈緒・渚  え?
達彦  ねぇ、どっちだと思います?
奈緒  ‥‥さ、さあ?
渚   そんなの、わかんないよ!
達彦  ‥‥そうですよねぇ。‥‥わかりませんよねぇ。

    しばしの間。

奈緒  ‥‥生きるさみしさ。
渚   ‥‥死ぬさみしさ。

    しばしの間。

達彦  人間五十年。下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり。

    暗転。

    奈緒と渚が座っている。

渚   すっかりさみしくなりましたねぇ。
奈緒  そうだね。
渚   二人ぼっちになっちゃいましたねぇ。
奈緒  そうだね。

    しばしの間。

渚   みんな逝っちゃいましたねぇ。
奈緒  そうだね。
渚   ‥‥結局、たっちゃんはどうだったんですか?
奈緒  ‥‥わからない。
渚   え? わからないって?
奈緒  うーん。‥‥本部に問い合わせたらわかるんだろうけど。
渚   問い合わせてないんですか?
奈緒  うん。
渚   どうして?
奈緒  うーん。何でかな? わからないままの方がいいんじゃないかって思っちゃったのよ。‥‥何でそう思ったのか、自分でもよくわからないんだけど。
渚   ああ‥‥。それ、何かわかるような気もします。
奈緒  何か、よくわかんない人だったから、わかんないままで終わりにした方がいいんじゃないかな? って思ったのかもしれない。
渚   ああ‥‥それ、わかります。‥‥変っていうか、不思議な人でしたからねぇ。
奈緒  でしょ?
渚   そもそも何でここに来たのかもよくわかんなかったし。
奈緒  そうよねぇ。‥‥まあ、選ばれてここに来たんだから、それなりの事情はあったんだろうけど。
渚   ですね。
奈緒  それで、ある朝起きたら、いなくなっちゃってて。
渚   消滅じゃなかったんですよね?
奈緒  うん。変なだるまの絵の描いた置き手紙みたいなのがあったからね。‥‥だるまさんがころんだ、って。
渚   だるまさんがころんだ‥‥って、どういう意味なんでしょうね?
奈緒  さあ? わかんない。‥‥でも、やっぱり、家出‥‥なのかな?
渚   ‥‥バーチャル空間で家出って‥‥。何なんでしょうね?
奈緒  本部も困ったんじゃないかな?
渚   もしかしたら、アレですかね? ほら、年寄りの猫がいつのまにかいなくなるって話があるじゃないですか?
奈緒  ああ‥‥。自分の死期を悟って消えちゃうって話?
渚   ああ、それです。‥‥自分の死体を見られたくないから、とか言いますよね。‥‥そんな感じなのかな?
奈緒  死体を見られたくないとか‥‥ここじゃ消滅しちゃうからそんな心配いらないのにね。
渚   ああ、確かに。そうですよねぇ。
奈緒  案外、その辺が抜けてるよね。あの人。
渚   それは、そうだ。

    二人、笑う。

渚   それにしても、消滅っていうのはきついですよね。何度経験しても。‥‥ある朝起きたら、もういなくなってる。‥‥まあ、死んだ人にお別れが言えるわけでもないですけど。
奈緒  ‥‥そうだね。
渚   ‥‥後は、私にお迎えが来るのを待つだけですね。
奈緒  何言ってるのよ。渚ちゃんらしくもない。
渚   命ある限り精一杯‥‥でしたね。
奈緒  そうそう。

    二人、笑う。

渚   ‥‥あの、奈緒ちゃん。
奈緒  何?
渚   この仕事、つらくないですか?
奈緒  ‥‥そうねぇ。
渚   奈緒ちゃん、私が死んだら、この仕事はおしまいにした方がいいですよ。
奈緒  え? ‥‥どうして?
渚   明日のある若い人がやる仕事じゃないと思うんですよ。
奈緒  ‥‥‥。
渚   ね、そうでしょう?
奈緒  ‥‥でもね、もう少しやってみようかなって思うの。
渚   え? どうして?
奈緒  確かにすごくヘビーな仕事だけど、でも、その分、いろいろ考えることができたから。‥‥生きることとか、死ぬこととか。

    しばしの間。

奈緒  今ね、こういう経験って、めったにできないと思うのよ。私自身にしても、この三十年間、何となく生きてきたと思う。そして、「私は生きてるんだ」っていう実感がなかなかつかめなかった。‥‥それでね、皮肉みたいに聞こえるかもしれないけれど、ここのみんなの生きることへのこだわりとか、死んでゆく様子を見てきた中で、「生きる」ってことの意味がわかりそうな気がするのよ。
渚   生きる意味って、何ですか?
奈緒  それは、まだわからない。はっきりとした形ではわからないけど、モヤモヤした霧のようだったのが、少し手触りのあるものに変わってきたような‥‥そんな気がするのよ。
渚   ‥‥手触り‥‥ですか。
奈緒  そう、手触り。
渚   ‥‥生きる手触りですか。
奈緒  生きる意味の手触り。

    しばしの間。

奈緒  ‥‥ねぇ、渚ちゃん。
渚   え、何ですか?
奈緒  一度聞こうと思ってたんだけど‥‥。どうして女子高生を選んだの?
渚   ああ‥‥それですか。‥‥まあ、別に大した理由があるわけじゃないんです。
奈緒  大したことなくてもいいからさ、よかったら聞かせてくれない?
渚   そうですか?
奈緒  うん。

    しばしの間。

渚   ‥‥あのね。
奈緒  うん。
渚   実は私、高二の時に休学したんです。
奈緒  休学?
渚   はい。‥‥いわゆる不登校ってやつです。
奈緒  ふーん。そうなの。
渚   はい。
奈緒  いじめとか?
渚   いや、そんなんじゃないんです。‥‥あくまで私の個人的な問題なんです。
奈緒  個人的な問題って?
渚   うーん、今から考えると馬鹿みたいな気もするんですが、あのくらいの年代って、よく意味もなく精神的にナーバスになったり、病んだりするじゃないですか? ‥‥今から思うと、そんな精神状態だったんだと思います。
奈緒  ふーん。
渚   それでね、実は死のうと思ったんですよ。
奈緒  え?
渚   何もかもがめんどくさくなって、死んじゃったら楽になるだろうなって思い込んじゃったんですよ。‥‥それでね、死ぬ方法をいろいろ考えたんです。‥‥首吊りや飛び降りは死体が汚いからイヤだなとか、薬は手に入りにくいし、苦しいだろうとか‥‥。そんなことを考えてるとね、変な話ですが、すごく楽しいんですよ。奈緒さんもそういう経験ありません。
奈緒  いや‥‥私は、そんなこと考えたことないから。
渚   それでね、凍死にしようって決めたんですよ。二月の中旬に、信州に行って、雪の中で死のうって。‥‥雪の中って冷たくて寝られないって思うでしょ? だから、睡眠薬を用意したんです。私、心療内科でカウンセリング受けていたから、「眠れません」って言ったら、睡眠薬はすぐにもらえるんです。それで、ウイスキーの小瓶を持って行って。‥‥お酒を飲んだら体が温まるし、睡眠薬の効き目も増大しますからね。‥‥どうです? 完璧なプランでしょ?
奈緒  ま‥‥まあ、そうかもね。
渚   それでね、実際に電車に乗って、長野まで行ったんですよ。‥‥ところが、その年は記録的な暖冬で、雪が全然ないんです。山の上の方には残っているんですが、私、登山の経験もないし、「そんなことまでして死ぬか?」って思ったら、馬鹿らしくなっちゃって。‥‥それで結局死にそこなっちゃったんです。
奈緒  ふーん。
渚   だからね、このバーチャルホスピスの話を聞いた時、その時に、高二の時に戻ろうって思ったんです。あの死ぬはずだった日から、もう一度やり直してみたいなって思ったんですよ。

    しばしの間。

奈緒  それって、相当大した理由じゃない?
渚   そうですか?
奈緒  そうよ。全然すごいよ。
渚   いや、それほどでもないんですよ。‥‥少なくとも、今の私にとっては。
奈緒  ‥‥そうなの?
渚   はい。‥‥昔々のお話です。
奈緒  ふーん。
渚   でも、それからですね。「生きる」とか「死ぬ」とかいうことに敏感になっちゃって、いろいろと考えるようになったのは。‥‥若い頃、友達によくそんな話をふっかけて、「年寄りくさい」とか「お坊さんみたい」とか言われました。
奈緒  ふーん。

    しばしの間。

渚   ‥‥でも、考えてみると、おかしな話ですよね。
奈緒  え? 何が?
渚   私、生き直そうとしたんですよね。でも、それは死ぬためなんですよね? 死ぬために生き直すって、変な話だと思いませんか?
奈緒  ‥‥そう言われてみれば、そうよね。
渚   私に限らず、みんなそうだったと思うんですよ。有佳ちゃんも、和美ちゃんも、緑ちゃんも。
奈緒  ‥‥それは、そうだね。

    長い沈黙。

渚   ♪命短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬ間に

奈緒  それ、何て歌?
渚   題名は知りません。昔々の歌です。私のおばあちゃんが好きで、よく歌ってたんです。それでいつの間にか覚えちゃったんです。
奈緒  ふーん。‥‥渚ちゃんて、おばあちゃん子だったんだ。
渚   そうですね。初孫だったんで、よくかわいがってもらいました。
奈緒  わたしもね、おばあちゃん子なのよ。
渚   え、そうなんですか?
奈緒  うん。
渚   元気にしておられるんですか?
奈緒  五年前になくなったわ。
渚   そうですか。おいくつだったんですか?
奈緒  七十八。
渚   ああ、それじゃ、私と同世代ですね。
奈緒  ああ‥‥そっか。
渚   じゃあ、私は、奈緒ちゃんのおばあさんのトシなんですね。そのおばあちゃんのおばあちゃんだから、奈緒ちゃんからしたら、私のおばあちゃんは、もう昔々の人ですね。
奈緒  そうね。
渚   何だか不思議ですね。
奈緒  ‥‥そうね。

    二人、笑う。

渚   ♪命短し 恋せよ乙女 赤き唇 あせぬ間に
    熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを

奈緒  ‥‥いい歌ね。
渚   でしょう?
奈緒  うん。‥‥何だか懐かしい感じがする。
渚   でしょう?
奈緒  うん。

    しばしの間。

渚   ねぇ、奈緒ちゃん。
奈緒  え、何?
渚   浦島太郎の話ってあるでしょう?
奈緒  うん。
渚   あれって、ここと似てる話だと思いません?
奈緒  ここって‥‥ここ?
渚   うん。ここ。
奈緒  どこが似てるの?
渚   ほら、浦島太郎が竜宮城から帰ってきて、玉手箱を開けると白髪のおじいさんになるでしょう?
奈緒  うん。
渚   あれって、もしかしたら、初めから白髪のおじいさんだったんじゃないかって‥‥。
奈緒  え? それ、どういうこと?
渚   だから、ほんとは白髪のおじいさんが、バーチャルリアリティで若い浦島太郎になってるんですよ。
奈緒  うん。
渚   それが、玉手箱がスイッチになってて、フタをあけると、煙が出て、現実の世界に戻っちゃうって考えたらどうでしょう?
奈緒  ああ‥‥そういう話?
渚   ええ。‥‥そういう風に考えたら、似てると思いませんか?
奈緒  ふーん、なるほどねぇ。
渚   ね。

    しばしの間。

奈緒  ‥‥じゃさ、こういう浦島太郎の話、知ってる?
渚   どういう話ですか?
奈緒  浦島太郎は、実話だったって話。
渚   え、実話?
奈緒  そう、実話。‥‥浦島太郎がさ、竜宮城から戻ってきてさ、玉手箱を開けたくなるのよね。でもさ、「決して開けてはいけません」って乙姫様に言われてるじゃん。それで、浦島太郎は、悩むわけ。「開けようか」「いや、開けちゃいけない」「開けたいなあ」「いや、開けちゃいけない」ってそんな葛藤にずーっと苦しむわけよ。それで、知らないうちに長い長い年月が経っちゃうわけ。近所の人からみたら、「あの人毎日毎日あそこの砂浜にいるよね」って感じなんだけど、当人は全然気づかないわけよ。それで、ついに決意してフタを開ける頃には、もうすっかり白髪のおじいさんになっちゃってるわけ。
渚   ‥‥‥。
奈緒  どう? この話、おもしろくない?
渚   ‥‥‥。

    渚、いつの間にか机に突っ伏してる。

奈緒  おやおや、もうおねむなの?
渚   ‥‥‥。
奈緒  渚ちゃん、そんなところで寝てると風邪ひくよ。
渚   ‥‥‥。
奈緒  ねぇ、渚ちゃん。
渚   ‥‥‥。
奈緒  ‥‥‥。

    奈緒、じっと渚を見つめている。
    やがて、奈緒、立ち上がると、部屋から出て行く。
    しばらくして、毛布を持って、戻ってくる。

    奈緒、渚に静かに毛布をかける。

    そして、遠くをみつめる。

奈緒  ねぇ‥‥おばあちゃん。

    音楽。

    暗転。

                        おわり

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