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亡霊とともに生きること

私の抱えているマモちゃんへの執着の正体とは、一体何なのだろう。これは、もはや恋ではない。きっと愛でもない。(映画「愛がなんだ」山田テルコの独白より)

映画「愛がなんだ」は、山田テルコと田中マモル(マモちゃん)の間の奇妙な、しかしどこか既視感のある関係をめぐる物語である。テルコの世界は、マモちゃんと出会い恋に落ちたその時から、マモちゃん一色に染まっていく。深夜に突然マモちゃんの家から追い出されても、マモちゃんが遠因となり会社をクビになっても、マモちゃんに「もう好きじゃなくなった」と嘘をつくことになっても、マモちゃんの好きなすみれさんに会うためにダシにされても、マモちゃんと一緒にいられる選択肢を常に選択しつづける。冒頭の独白の直後には、マモちゃんとすみれさんが二人きりになれるように、同席した好きでもない男性と二人で抜け出すことすらする。

テルコがマモちゃんへ抱く気持ちは、本人の言う通り恋でも愛でもない。それは亡霊への恐怖である。マモちゃんが自分の世界から消えた時、自分の中に埋め込まれた無数のマモちゃんが亡霊が、至る所で自らを痛めつける。その痛みに比べれば、マモちゃんを眼前にした時の胸の痛みなど、大したことはない。テルコはそう考えているのではないか。

ここで「亡霊」という言葉を用いたが、これは比喩ではない。仮にマモちゃんと絶交したら、いるはずのないマモちゃんがテルコの前に現れるだろう。マモちゃんは、すでにテルコの一部になっている。テルコが生きる上で、マモちゃんがいない方がもはや不自然なのだ。その認知的な不協和から逃れるべく、テルコは無意識的にその不協和を修正しようとする。しかしマモちゃんの存在を否定することはできない。マモちゃんはテルコの一部なのだから。結果、テルコが否定するのはマモちゃんの「不在」である。これにより、マモちゃんは存在するようになる。

つまり、マモちゃんがいなくなれば、マモちゃんの亡霊が現れるだけの話なのだ。マモちゃんとマモちゃんの亡霊、その二択を選ぶくらいなら、たとえ自分が道具のように扱われたとしても、本物のマモちゃんと一緒にいたい。テルコがなんとしてもマモちゃんと離れないよう涙ぐましい努力をするのは、こういう理由によるものなのではないか。

津波で流されたはずの祖母が、あの朝、出かけたときの服装のままで縁側に座って微笑んでいた。夢の中であの人にハグされると体温まで伝わってきてうれしい。亡くなったあの人の携帯に電話をしたらあの人の声が聞こえたてきた。悲しんでいたら、津波で逝ったあの子のおもちゃが音をたてて動いた-。これから僕が書こうとしているのは、こうした「不思議な」としか形容できない物語ばかりである。(奥野修司『魂でもいいからそばにいて』pp.1-2)

亡霊は時に、身体を伴って現れる。

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奥野修司『魂でもいいからそばにいて』では、震災で親族や友人を亡くした人々が経験する不思議なエピソードが集められている。これらは一見すると、非科学的でスピリチュアルなものばかりにうつる。そしてそれは確かに、再現性がないという意味で非科学的なのかもしれない。しかし科学でないということが、そのアクチュアリティを否定する根拠になるわけでもない。

先述の通り、僕らの身近な人々は、世界の整合性を担保する一部として組み込まれてしまっている。そしてそれは認識の世界の話だけではない。いや、むしろそれは身体的である。髪の匂い、手の柔らかさ、ハスキーな声。身体を通じて我々は存在を確かめ合い、共時性を認め合う。誰かがそこにいることが、そのままこの世界の存在の要石になっている。大切な人がいる、だからこの世界がある。一見すると逆に思えるかもしれないが、しかし立ち止まって考えてみると、この順番に強いリアリティを感じる人もいるのではないだろうか。

そんなリアリティの要石が、突然この世界から蒸発する。場合によっては死体すら残らない。ただただいなくなる。しかしとても残酷なことに、あの人がいない世界は、今日もおそろしいほど簡単そうに回る。この日常性は、僕らに強烈な不協和をもたらす。なぜあの人がいないのに、世界は存在しているのか。あの人の「あの」性が強ければ強いほど、その矛盾は耐え難いつらさになっていく。

しかし、不運にも僕らは世界を終わらせられない。明日も明後日も続く世界に、どうしようもなく存在してしまう。そんな自分を救済する亡霊は、やはり身体を伴っていなければならない。だって僕らは、おもちゃの音やハグの体温で、縁側の日差しや電話先のくぐもった声で、あなたを通じて世界を確かめていたのだから。

世界とあなたが無媒介につながる。だから、あなたが損なわれたら、僕らは亡霊だってなんだって呼び起こす。亡霊はあなたを苛んだり、慰めたりする。それによって、僕は世界をなんとか信じられる。亡霊とともに、僕はら今日も生きている。

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