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戦後75年の平和学習|ひめゆり学徒隊の足跡を辿る ~沖縄南部 戦跡巡り モデルコース~ vol.20

#沖縄南部 #沖縄戦 #ひめゆり学徒隊 #戦跡 #モデルコース

★スタート★


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①沖縄陸軍病院南風原壕群20号

米軍の艦砲射撃が始まった1945年3月末期。南風原町の黄金森に構築された沖縄陸軍病院壕群に、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒、合計222人が看護補助要員として配属されました。彼女たちが「ひめゆり学徒隊」です。全長約70mという規模の壕には、次々と負傷した兵士が運び込まれ、ひめゆり学徒隊は軍医、看護婦、衛生兵らとともにその看護を行いました。5月下旬に米軍が迫ると病院は解散となり、重症患者にはその場で青酸カリが配られ、多くの命が犠牲になりました。約30の横穴壕が作られたものの、そのほとんどが崩落し、現在は病室・手術室として使われていた20号だけが復元されています。1990年には南風原町の文化財にも指定されました。第二次世界大戦の戦争遺跡が文化財に指定されたのは、これが日本全国で初めてのことでした。内部を見学するには事前に予約が必要です。

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ホームページ
https://www.haebaru-kankou.jp/index.php/peace-education/military-hospital.html
住所:沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武地内 黄金森公園
最寄りのバス停:福祉センター入口


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②糸数アブチラガマ

戦局が悪化するにあたり、糸数アブチラガマは南風原陸軍病院の分室となりました。全長270mのガマ内は、最大で600人以上の負傷兵で埋め尽くされ、1945年5月1日からはひめゆり学徒隊も配属されました。1945年5月25日に病院は閉鎖となり、その後は住民と日本兵が雑居する状態となりました。ひめゆり学徒隊は糸満市の伊原糸数分室壕(第一外科壕)へ移動しました。その後、糸数アブチラガマは米軍の攻撃にも遭いながら、8月22日に避難民と負傷兵は米軍に収容されました。現在は壕内のほぼ全域が公開されており、当時の様子を見学することが出来ます。入壕にはガイドの同行と懐中電灯の持参(レンタル可能)が必要です。

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ホームページ:http://abuchiragama.com/
住所:沖縄県南城市玉城字糸数667-1
最寄りのバス停:糸数入口


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③平和祈念公園

沖縄では今から75年前、住民を巻き込んだ悲惨な戦争が行われました。糸満市にある平和祈念公園は、米軍に追い詰められた日本軍が最後に辿り着いた地。那覇空港からは車で約30分ほどです。東京ドームおよそ8個分にもなる広い公園内は、各都道府県の沖縄戦による戦没者の名が刻まれた「平和の礎」をはじめ、多くの慰霊碑があり、平和を祈る特別な場所です。公園内にある平和祈念資料館には、戦時中の写真や遺品が展示されており、戦争の悲惨さを知ることが出来ます。多くの修学旅行生が平和学習を行う場所でもあります。沖縄旅行に訪れた際には、ぜひ訪れてほしいスポットのひとつです。

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ホームページ:http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/index.html
住所:沖縄県糸満市字摩文仁444番地
最寄りのバス停:平和祈念堂入口


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④ひめゆり平和祈念資料館

平和祈念公園の周辺には多くの慰霊碑が点在していますが、ひめゆりの塔もその1つ。那覇空港から南部へと延びる、国道331号線沿いに位置してます。戦時中の「伊原第三外科壕」の跡地にあたり、ここでは米軍の馬乗り攻撃により多くのひめゆり学徒隊や職員が犠牲になりました。沖縄戦では男女合わせて21の学徒隊が編成され、今の中高生と変わらぬ年代の学生たちが戦争に動員され犠牲になりました。当時の沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女学生たちで編成されたのがひめゆり学徒隊。隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」には沖縄戦で亡くなられたひめゆり学徒隊227名の遺影が壁面にかけられ、生存者の手記や証言、伊原第三外科壕のレプリカも展示されています。沖縄であった戦争の歴史を知り、平和を考えるきっかけとなる場所です。

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ホームページ:http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html
住所:沖縄県糸満市伊原671-1
最寄りのバス停:ひめゆりの塔前


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⑤荒崎海岸

1945年6月18日、ひめゆり学徒隊がいた伊原第三外科壕に解散命令が出されました。壕を出された学徒隊は、米軍が迫り砲弾が吹きすさぶ戦場を、行く当てもなく彷徨うことになります。糸満市にある荒崎海岸は米軍に追い詰められた学徒隊の一部が自決した地です。3ヶ月の沖縄戦で、ひめゆり学徒隊は194名が亡くなりましたが、うち128名が解散命令後に亡くなっています。現在、荒崎海岸には「ひめゆり学徒散華の跡」の碑が設置され、「喜屋武海岸及び荒崎海岸」として国指定名勝・天然記念物にも指定されています。

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ホームページ
http://www.city.itoman.lg.jp/kankou-navi/docs-kankou/2013022300247/
住所:沖縄県糸満市字束里
最寄りのバス停:山城入口

※バスはルートはダイヤの都合上、最適な経路として「徒歩」が表示されることがあります。

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