2024/08/16 シームレス曲間コールごり押し問題に寄せられた意見に対する見解
先日投稿した記事「シームレス曲間コールごり押し問題」。ざっくり内容を説明すると、先日発表されたロッテ小川の新応援歌が、小節数が偶数なのに○○ヒット系で、身もふたもなく言えばセンスがないぞという問題提起をさせていただいたのですが、ありがたいことに、お読みいただいた方から様々反応をいただいておりました。
というわけで、それら御意見に対する私の回答を説明しつつ、私の違和感の正体がどこにあるのか、もう少し掘り下げて分析してみようと思います。
小節数が奇数でも受け入れられる応援歌はある
さて、まずは先日の記事にお寄せいただいたコメントのほうから御紹介させていただきます。
私が書いた内容に対して、全体的に異を唱える内容とお見受けしました。このようなコメントをお寄せいただくのは勇気のいることですが、その根拠も丁寧に述べていただきつつ、率直な思いをぶつけていただき、ありがとうございます。
ちなみに、コメント冒頭のファーストインプレッションというのは、私の旧Twitterアカウントの投稿のことを指していることと思います。こちらをフォローしていただいていることにつきましても、重ねて感謝申し上げます。
正直、感覚論のせめぎあいにもなりかねず、どこまで納得していただけるかはわかりませんし、最終的に折り合えない部分は感性の違いということで片づけていただいて構わない問題でもあるのですが、一方で、言い出しっぺの私が議論を投げ出すのも無責任なので、ここから、御意見に対する私の見解を述べていきましょう。
まず、小節数が奇数であることが違和感の原因なのかという点について。これについては、正しく理解していただくならば、メロディ部分の小節数が偶数なのに、シームレス曲間コールを取り入れているせいで、曲全体で奇数小節になっている、というのが違和感の根源です。単に小節数が奇数だからおかしい、というのは、半分正解半分外れという感じです。
もう少し整然とした分析がほしい、とのことでしたが、これについては、前回記事にもリンクを掲載した「シームレス曲間コールの用法を考える」にて、ある程度書いていたつもりでいました。記事構成が悪くてすみません。
この記事の最初の見出し「応援歌における安定したリズムは4拍子×2小節」の中で書いたことが私なりの分析でして、この項目の要点を再掲いたしますと、以下のとおりです。
応援歌の基本形は、8小節のメロディ+2小節or4小節の曲間コール。分解すると、4拍子×2小節の集合体というのが、応援歌における安定したリズム感を生んでいる。
長い応援歌の歴史の中で、様々な長さの応援歌が生まれており、その中には、メロディ部分の小節数が奇数のものも存在する。全体的に不安定な印象をもたらしているが、その不安定さもひっくるめてかっこよく昇華させている応援歌もある。
コメントで挙げていただいた巨人長野や南海河埜も、小節数が奇数の応援歌となりますが、別にこれら奇数小節数の応援歌を全否定するつもりは毛頭ございません。巨人長野の応援歌なんかまさしく、ドラムパターンの変化も含めてうまくアクセントにしていて、奇数小節数の中でもかっこいい応援歌の代表例だと私も思います。
(ちなみに、これも感覚は人それぞれでしょうが、南海河埜に関しては、ある程度聴き慣れた域に達していないと、初見では変なリズム感の応援歌と思われる部類に入るかと思っています。少なくとも、昔々私が初めて聴いた時は、ちょっとした衝撃を受けました…)
小節数が偶数でもおかしなリズム感の応援歌もある
私がポイントにしているのは、4拍子×2小節のリズム感です。これを端的に説明しようとしたがあまり、奇数だと何もかも変、という間違ったメッセージになってしまったのであれば、私の不徳の致すところです。
この論法で行くと、逆に、全体の小節数は偶数でも、なんだかおかしなリズム感の応援歌というのも存在します。悪い事例として紹介してしまうのは心苦しいところですが、例として西武ヘルマンの応援歌を挙げさせてください。
歌詞とは裏腹になかなかリズムに乗せて歌うのが難しいこの応援歌ですが、メロディ部分の小節数を数えてみると16小節です。曲間コールも、当時の西武スタンダードのゴーゴーレッツゴーコールで4小節。小節数だけで言えば、偶数で収まっているのです。
なのに、この応援歌のリズムを取るのが難しく感じられるのはなぜか。それは、4拍子×2小節の集合体になっていないからと分析します。
便宜的に、この応援歌を前半部「Let's go! ホームを~リズムに乗せて」と、後半部「Let's go! ヘルマン~突撃」に切り分けてみましょう。すると、前半部が9小節で、後半部は7小節。どっちも4拍子×2小節の形になっていません。
そしてこの応援歌、ドラムパターンは連打系を基本として、ところどころ変化を入れているのですが、この変化のつけ方も、癖がありすぎと言いますか、この応援歌を初見で正しく手拍子できる人は果たしているのでしょうか。
小節数が奇数であっても、先ほどの巨人長野しかり、ここでリズム感が変わるというのがわかりやすければ、うまく仕上がると思うのですが、西武ヘルマンについては、変化をつけすぎていて、もう何が何だかわからないものが出来上がってしまった、というのが私の印象です。
他に、小節数が偶数でもリズムに違和感のある応援歌として、私が思い浮かべるのは、横浜鈴木尚典1作目「♪走ればラッキー投げればラッキー~」や、広島瀬戸1作目「♪お前ビッグレッドマシン~」。
これらも、全体としてみれば8小節と偶数なのですが、歌詞の切れ目がなんだか変なところにあって、4拍子×2小節が保てているとは言い難い応援歌です。それが癖になると言われれば、否定はしませんが、大衆に受け入れられるか否かという観点で言えば、いずれの応援歌も後年変更されたのが答えなのではないかと…。
小節数が偶数ならばコール前に一旦流れを切るべき
それから、いただいたコメントの中でもう一つ気になったのが、ロッテ小川の応援歌構成であれば、この曲間コールで流れが遮られる印象が薄いとおっしゃられている点。
そもそもシームレス曲間コールと言うのは、メロディからの流れそのままにコールに入るものですし、流れを遮るか否かで評価するとなると、私としても、メロディからコールにかけての流れは遮っていないものとして同意します。
ただ、私が問題視したいのは、メロディの小節数が偶数ならば、一旦メロディ部分で流れを完結させてから曲間コールに入ったほうが、リズム感としてよりしっくり来るのではないか、という点です。
これも、前回記事の前提となっている「シームレス曲間コールの用法を考える」の中で、ロッテの○○ヒット系応援歌を余すことなく取り上げて分析したつもりなのですが、シームレス曲間コールが採用されていたのは、今年発表の小川と昨年発表の平沢2作目以外は、すべてメロディの小節数が奇数でした。
逆に、狭義では○○ヒットではありませんが、似たような曲構成でも、荻野貴司や曲間コール撤廃前の藤岡裕大など、メロディの小節数が偶数であれば、シームレスにせず一旦メロディ部分のドラムパターンを切ってから、曲間コールへと入っていく形が主流だったのです。
以上の経緯がございまして、ロッテの過去の応援歌の蓄積から言っても、私が主張したいことがそこまで的外れなものではないと思っている次第です。先の記事だけを見られると、確かに、私の感覚論に過ぎないと思われてしまうかもしれませんが、一応、自分なりにできるだけの分析をした上で、主張を繰り広げていたつもりでした。
もしくは、この程度であれば、整然とした分析にはまだほど遠いということかもしれませんが…。こればかりは、こんなにダラダラ長ったらしい記事を書いていながら、真に伝えたいことを伝えられずにいる私の文章力のなさの問題です。
阪神にも忍び寄るシームレス曲間コールごり押し問題
ところで、Waveboxのほうには、こんなメッセージをいただいていました。
逆に、と言うよりもむしろ、これが問題の本質です。ロッテ小川も平沢2曲目も、小節数が偶数なのにシームレス曲間コールなのが気持ち悪いんです。
ロッテの応援歌ばかり取り上げてしまって、他球団で似たような事例があったときにここまで熱弁を振るわずにいたのは、私の視野の狭さが出てしまっていますね。すみません。
一応、旧Twitterの投稿を見返してみたところ、小野寺の応援歌が発表された後の第一印象で、シームレス曲間コールについて苦言を呈していたので、問題意識としては同じものということで御理解いただければ。
ただ、本曲に関しては、球団柄という観点から、応援歌の歌い終わりからコールへとシームレスに入れるようにした意図として、考えられる部分もあります。
阪神は、ファンの絶対数が多いせいなのかもしれませんが、下手に間を作るよりも、ひたすらコールで押していった方が、応援の圧倒感が出る印象があります。その顕著な例が、チャンス襲来。応援団が意図していないタイミングでも、「オイオイオイオイ」だの「かっ飛ばせ」だの、合いの手だらけ。
ということで、小野寺の固有曲間コールを取り入れるにあたり、歌い終わりとコールの間に間を入れたとしても、ファンがその間を待てるか不安視したのではないか。それであれば、そもそも歌い終わりとコールをつなげてしまったほうが、勢いよく声を出せるのではないか。これが私の推測です。
まあ、そうは言っても曲全体で言えば違和感はありますし、だったらメロディ部分の小節数を奇数にして、シームレス曲間コールにしても違和感のない曲構成にしてくれればよいだけの話なので、あまり擁護できる材料とは思っていませんが。
実は、阪神でこの手の変なシームレス曲間コールというのは、小野寺のちょっと前にもありました。それが、'22途中に発表されたロドリゲスの応援歌です。
これも、歌い終わりとコール出だしのレッツゴーの間に空白を作りたくなかったのかもしれませんが、そのせいで、やたら急転直下で曲間コールに入る印象が強い応援歌になってしまいました。というか、ロッテ平沢2作目よりも先に出た応援歌なので、下手したら阪神ロドリゲスがシームレス曲間コールごり押し問題の元凶説も有り得ます。
○○ヒット系だからと盲目的にシームレスにしているようにしか見えないロッテとの比較で言えば、阪神でシームレス曲間コールが取り入れられているのは、前例のない新たな曲間コールが生み出された中での話であり、新境地を切り拓こうとする姿勢は買いたいところ。後は、曲全体のリズム感にも配慮が行き届いて、メロディ部分の小節数を奇数にしてくれれば、文句なしの応援歌が出来上がりそうなのですが…。
このほかにも、シームレス曲間コールでメロディの小節数が偶数なのに、比較的違和感が少ない事例(先の記事で挙げた例だとロッテ今江3作目)と、今回槍玉にあげている応援歌の違いとかについても、いろいろ私なりに考えていました。
ただ、既に文字数が大変なことになってきたので、今回はこのくらいにしておきます。いつもまとまりがなくてすみません。
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