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潮干狩りに行きたい

85歳の祖母が、潮干狩りに行きたい、と突然言い始めた。

良いけど誰と行きたいの?と聞いたら、みんなで行きたいのだと言う。みんなって誰?と聞くと、少しくちごもってから、叔母と、僕の母親と、それから僕と弟の名前を、一つずつ丁寧に返す。

祖父は僕が大学生の時に死んだ。母は葬式に出なかったので、僕が祖母と一緒に祖父を見送った。親不孝だと泣きながら母を罵る叔母の相手をしながら、早く終わらないかなぁとずっと思っていたのを覚えている。会ったことのなかった祖父の妹は、僕に全く目を合わさずに、叔母をまっすぐ見つめて、『一緒に墓を守っていこうね』と目を濡らして語りかけていた。

死ぬ直前まで、誰の目にも止まらないボロボロのアパートで生活保護を受けながら暮らしていた祖父の世話をしていたのは、いつだって僕の母だったけれど、2人はつまらないことで喧嘩をしたっきり、一度も会わずに、そしてあっという間に祖父は死んだ。彼はアル中だったから、内臓はボロボロで、いま生きているのが不思議なくらいだと医者が言っていた。葬式で、隣に座った祖母が、『綺麗な顔してるね、ジイサン』とビールをいっぱい飲んで大笑いしていて、なんなんだ…この老婆は…と辟易してしまった。

祖母はいつもこんな風に愉快で優しいのだけれど、時々全く意味のわからない理由で怒っていた。屋根裏に人が忍び込んで毒を撒いているとか、隣家の子供が壁に穴を開けて殺しにくるとか、そんなことをボソボソと低い声で言ってくるのだ。

当たり前の光景すぎて、僕は変だとも思わなかったけれど、祖母の家の周りは監視カメラだらけで、彼女は一日中その映像を眺めながら暮らしていた。毒を撒かれている、と言って警察を呼んでは、迷惑がられるのを繰り返していた。それも、僕には日常風景の一部だった。

毒のくだりが妄言でもなんでもないことに気づいたのは、僕が20歳の時、祖母が家の周りに消毒液を撒き散らし始めたときだった。祖母は揮発した消毒液を思いっきり吸い込んで、泡を吹いて卒倒した。僕はその知らせを聞いた時、あぁ祖母の見ている世界は、そもそも周りの人間が生きている世界と違う次元にあって、僕には辿り着けないリアリティを持っているんだと思い知った。

不思議に聞こえるかもしれないが、この時僕は祖母に対して申し訳なく感じるのと同時に、あぁ〜良かったぁ、おかしいのが自分だけじゃなくて、と心底安心した。やっぱり、母も祖母も、僕も弟も、みんなおかしな人間だったってことね!あーよかった!どおりでね!といった調子で、マジックの種明かしをされた時のように晴れやかな気持ちになった。

さて、ちゃんと医者にかかってヘルパーの訪問を受けている祖母は、現在マジで以前とは別人みたいに穏やかな表情で生きている。監視カメラの映像なんて微塵も見ていないし、パラレルワールドで異常や嫌がらせを隣人から受けることも無くなった。普通に、週3で介護施設に行って同世代の老人と他愛のない会話をして、ちょっと運動して、食って、たっぷり寝ている。祖父を亡くした叔母は人が変わったみたいに孝行になって、祖母をよく訪ねるようになった。もうすっかり、普通のお婆さんに様変わりしている。

そんで、潮干狩りに行きたいんだと言うのだ、みんなで。しかも、アサリが子を持ったら不味くなるので、三月じゃないといけないんだときたものだ。祖母が出かけたいなんてことを言うのは、本当に生まれて初めてのことなので、僕は面食らってしまい、1年ぶりくらいに自分から母に連絡してしまった。おばあちゃん、潮干狩りに行きたいんだって。みんなで。

母は三姉妹で、みんなして互いに疎遠で、仲が悪い。ていうか全員が常軌を逸した悪辣な言動をするので、私は自分の母を含めてちっとも会いたくないのだけれど、もうすぐ米寿を迎えようと言う祖母が潮干狩りをしたいと言うのだから、答えてやらねばならない。

わかったよ、と答えてから、ふと家族が全員揃ってどこかに出かけたことなんてあったか、と思い返してみる。そういえば、祖母が自分で撒き散らした消毒液のせいで卒倒して運び込まれた救急病院の待合室。あれが最後に全員揃った時だったはずだ。

潮干狩りに行くのを忘れないでね、と帰り際に祖母が念を押す。僕は、もう死にそうな人みたいなことを言うのはやめてくれ、と思う。

次会った時には、潮干狩りに行きたいと言ったことなんて少しも覚えていないだろうと、確信しているけれど、それでも、僕はこの日のことは忘れない気がしている。

みんなで、潮干狩りに行きたいと、祖母は言ったのだ。

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