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ワタシとADHDについて

こんな動画を撮った。俺は成人ADHDと診断されている。具体的に自覚症状があるのは、⑴めちゃめちゃものを無くす(特に特定の財布とかケータイとか決まったものをなくす)⑵言わなくても良いことを自分の意思とは関係なしに言ってしまう(一言多いタイプ)⑶注意欠陥+過集中、の3コンボくらいである。

俺はこの動画の中であまりちゃんと明言しなかった(できなかった)事がある。それは、ADHDというのは非常に迷惑な疾患なのである。ADHDっぽい人が自分は普通に生活できている、と思っている場合、それは端的に周りの人間の多大なサポートによって自分の「普通」が出来上がっているにすぎない。その事が、俺が治療を受けようと思った最大の理由である。

自分が辛いとかそういう問題は、実はあまり重要ではない。財布をなくしたって鍵をなくしたって、人間関係がうまくいかなくたって、何にも集中できなくて何一つ成果も残せない惨めでクソみたいな一生しか送れなくったって、そんなの実際はどうだってイイのだ。問題は、そんな自分のことでも支えてくれる人がいて、その人達に迷惑をかけたり傷つけたりしたくないな、と思う事なのである。

別にハタからどう思われようと、俺は自分の周りにいる人間の幸福度をなるだけあげたい。そういう思いで、治療を受けている。ADHDというのは、何度強調しても足りないんだけれども、他人にめちゃめちゃ迷惑をかける疾患である。もちろん、人間関係は持ちつ持たれつで、人に迷惑をかけた分自分にも帰ってくるとか、そういう人生観の違いは受け入れるが、それを甘受したとて他人に与える迷惑の量が突出して多い。人に迷惑をかけるなという社会規範自体を呪いとして糾弾したいのならそうすれば良いし、自己陶冶ばかりを求めるネオリベラリズムの傲慢性を糾弾したいのならそうすれば良いし、そりゃまぁどうでもイイ。はっきり言って、そんなの本当にどうでもイイ。

俺は単純に、自分が治療を受けることで世の中に与えられる善の総量も増えているし、悪の総量も減っていると感じる。利他的に生きていきたい。突っ込んだ話をすれら、そういうふうに考えられない人間というのはある種セルフネグレクト的な感覚を持っているように思われてならない。自分を支えてくれる他人のために、より良い存在になりたいという気持ち。こういう決断をしている背景はそれだけ。そのことだけは、ちゃんと伝えておきたい。

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