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乃木坂46 5期生『池田瑛紗』は個性の塊 

池田瑛紗は意識しているかどうかわからんが、やり切っている。歌は下手だけれどなんか引きつけられる。
本人、目が大きく美人なんだけれど、目が合っていない。
奔放な、周りを振り回す『涼宮ハルヒの憂鬱』が大好きだと。なんかやらかしそうな危なさが薫る。
大物ミュージシャンなんかに気に入られそうな奔放な女を内在している。アイドルに収まりきらないと思うよ。


1.『涼宮ハルヒの憂鬱』テーマ曲『ハレ晴レユカイ』

★9:02 池田テレサ 『涼宮ハルヒの憂鬱』テーマ曲『ハレ晴レユカイ』
てれる病棟 2022/12/31

退屈になると世界が破壊される、奔放なお姫様 『涼宮ハルヒの憂鬱』


★乃木坂5期生 池田瑛紗、濃すぎるブログで海外のファンを困らせていた?

2022年09月01日

池田が8月17日に投稿したブログは、9500字を越えており、タイトルも約130字という大作。ブログタイトルの長さで知られる齋藤飛鳥もビックリという大ボリュームだったが、28日のブログはなんと1万1645字という超大作に。前代未聞と言える1万字の大台越えを達成したのである。


★平野綾も奔放な女性

涼宮ハルヒの声優やった平野綾。 大学1年の時『涼宮ハルヒの憂鬱』で超人気になって、その後スタジオミュージシャンとスキャンダル画像が流出して干されてしまった。今はミュージカル界で生きている。




2.『サディスティック・ミカ・バンド』の『タイムマシンにお願い』

★『タイムマシンにお願い』 原曲は『サディスティック・ミカ・バンド』のボーカル、コーラス加藤ミカ

富裕層ながら奔放なお姫様

加藤ミカ

福井 ミカ(ふくい みか、本名:福井光子、1949年4月17日 - )は、ロックバンド『サディスティック・ミカ・バンド』のボーカル、コーラス(当時は加藤ミカ)。京都府船井郡園部町(現在の南丹市)出身。加藤和彦の元妻である。

1949年4月17日、京都で材木商を営む福井三郎の長女として生まれる。妹が一人いる。父の生家は山を幾つも持つ、裕福な家だった。ミカが2才のとき、一家は京都市東山区に移り住む。活発な性格のミカは、男の子とばかり遊んでいた。ビー玉、メンコ、時代劇遊びなど、ワンパク坊主たちを従えてのガキ大将となる。
中学のころから、ポップスやモダンジャズにのめり込む。はじめて買ったレコードは、コニー・フランシスの「ヴァケーション」。モダンジャズの店に行って、アート・ブレイキー、オスカー・ピーターソンなどを聴き浸る。
平安女学院高校に在学中の17歳の時に学友たちとフォークソング同好会を結成、会長として運営に携わりながら、同級生と「ミカ&トンコ」というフォーク・デュオを結成する。京都のアマチュア音楽団体AFLに加盟するが、二人ともギターをまともに弾けず活動は行きづまる。そこで、もともと加藤和彦の大ファンだったことから、ある日、まだアマチュアだったザ・フォーク・クルセダーズのコンサートの本番前の楽屋に押しかけて、いきなり「加藤さん、ギター教えて下さい!」と迫ったという。
当時龍谷大学の学生だった加藤によるギターのレッスンを重ねるうちに、ライヴ・デビュー出来るまでに腕を上げた「ミカ&トンコ」は、フォークルをはじめ、杉田二郎、ロック・キャンディーズ(アリス結成前の谷村新司が在籍)などと共に京都周辺でのフォーク・コンサートに出演。時には彼女たちのステージに加藤がギターで参加することもあった。高校3年のときには免許を取ってクルマで通学した。
京都精華大学美術科に進学後、「帰って来たヨッパライ」の大ヒットで一躍“時の人”となっていた加藤と交際を開始。1970年7月に結婚し、カナダのバンクーバーで挙式。
1971年11月、加藤和彦が友人ドラマーのつのだ☆ひろと共にお遊びで結成したパーティー・バンド『サディスティック・ミカ・バンド』に、ヴォーカリストとして参加、3人で結成。

ウィキペディア

1974年11月、セカンドアルバム『黒船』をリリース。プロデュースをビートルズやピンク・フロイドを手掛けたイギリスのクリス・トーマスが担当する。
1975年9月、ロキシー・ミュージックのイギリスツアーに参加する。クリス・トーマスとイギリスツアー中に恋愛関係になる。
1975年11月、加藤和彦と離婚、ミカ・バンドも解散した。離婚後、ミカはクリス・トーマスと事実婚、ロンドンに在住。
1984年、クリスと破局。
1985年、イギリスで永住権を取得。イギリスでも高名なフランス料理学校に通いフレンチ・シェフの道を目指す。翌1986年、フランス料理学校卒業後、いくつかの店で修業を積み、パティシエ、ワイン・ソムリエとしてのキャリアも築く。

1987年、日本に帰国。親友のコシノミチコのファッション・ショーでの音楽コーディネイトを手がける。
1988年、自伝本を出版。1989年、作詞家として、織田哲郎の楽曲に提供した。
1994年11月、収録曲すべてを自作曲だけでまとめた初ソロ・アルバムをリリース。
1997年、日本武道館で行われた高中正義のソロライブに登場し「タイムマシンにおねがい」を披露。
1990年代末からは、「レディ・シェフ・ミカ」ブランドを立ち上げ、料理やワインの研究・アドバイス、レストランのプロデュース、調理器の開発などの活動を現在も続けている。
2021年現在は、料理研究家として活動している。


この番組のスタッフは、池田瑛紗の中の「やばさ」を感じてこの歌を歌わせたと思ってしまう。


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