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『最後のTight Hug』を解釈した

妄想込みの推測記事です。エンターテイメントとしてとらえてください。


1.『最後のTight Hug』 基本情報

2021年12月15日発売予定のベスト・アルバム『Time flies』のリード曲として先行配信シングルとしてリリースされた

最後のTight Hug
作詞:秋元康
作曲:杉山勝彦
編曲:杉山勝彦、谷地学
センター:生田絵梨花

最後のTight Hug  歌詞

JASRAC様から著作権等侵害 の訴えにより歌詞を載せる事が出来なくなりました。
主旨としては、この曲の裏側を語る事でこの曲をもっと聞いてほしかったのですが、残念ですが削除します。
どなたかの怒りを買って通報されたのかもしれません。まあしょうがない。


歌唱メンバーは28枚目シングル「君に叱られた」の選抜メンバー(高山一実を除く)。
2021年内でグループ卒業をする生田絵梨花が最後のセンターを務めた。

フォーメーション


2.筆者の解釈

1).基本的に、「神曲」ではない。

♯4-1生田絵梨花の卒業に寄せて
に「神曲」について詳しく書いていますが、シングルの表題曲だけが「神曲」と言われる楽曲と定義しました。


2).なんだこれ?全く生ちゃんらしい曲ではない。

念ため言っておくが、良い曲かどうかを言っているわけでは無い。
理由は下記

★ 曲調は完全に近頃の4期生表題曲そのまま。
乃木の楽曲を始めて聴く人が、下の4曲と「最後のTight Hug」を聞き分けられるだろうか?
 24th   夜明けまで強がらなくてもいい
 26th 僕は僕を好きになる
 27th ごめんねFingers crossed"
 28th 君に叱られた

★ ソロパートが無い。

★ 音域が狭くて、生田の高音部を生かしていない。


よって、この曲は、生田が卒業して居なくなった後に誰でも歌えるように考えた楽曲だね。
「16thのサヨナラの意味」で誰に歌わせても炎上しまくっていたので、それに懲りた運営が考えそうな事だ。

この1年位、かつて生田が吹き込んだ曲を他のメンバーに歌わせて録音し直しているらしい。
ライブの『かぶせ』で元の音源使うと、結構な確率(100曲弱)で卒業した生田の声が鳴り響いてしまって、白ける?と考えた運営が、しこしこ準備してきたらしい。

例えば、パチンコ用に生田の代表曲の一つ『ダンケシェーン』を再録音したらしいが、そこに卒業した堀と淳奈が入っているって?何なんだ?とも思った。
かなり以前から再レコーディングMV録画していたという証拠だ。
ソロ曲はどうするんだ?

生田絵梨花をそんなに邪険にしないでもいいのに。
最後まで今野義雄氏に嫌われて卒業するんだなと思って悲しくなる。

生田絵梨花が、乃木坂46やSMEのマネージャー以外の関係者の事を語った事は少ない。つまり、初期の頃から今野さんとは人一倍やり合って来たと思うのだが、どう思われているかを語った事は無い。だから疑っちゃうのだよね。


話はそれるが、MVのラストシーンは何を現わしているのだろうか?

決して列車が来ると思えない駅らしき処で、古風な旅行鞄を置いて画面から消えた生田絵梨花。
その前に生田と飛鳥が座っているシーンがあって、光が近付いて来てその光が通過している様にみえる。
荒れ果てた駅も大変気になるが、きっと意味が込められているのだろう。
オタクへのなぞかけか?


3).この楽曲は生田絵梨花自身の10年間のドラマではない

生田絵梨花自身の寂しい気持ちはソロ曲『歳月の轍』の中に込めているので、この『最後のTight Hug』は何を表現したかったのだろうか?

生田絵梨花の乃木坂46の10年間への別れについては、『歳月の轍』に込められており、下記の章に書いたのでご参考に。
生田絵梨花卒業ソロ曲 『歳月の轍(ときのわだち)』は最高に生ちゃんらしい『準神曲』


① 生田絵梨花ファンの心情ではない

少なくても、「卒業する生田絵梨花へのオタクの心情」と解釈して書いているブロガーの方が居たが、それは無理筋。
生田絵梨花という人間を理解していない解釈だし、生田絵梨花のコアファンは握手アイドルオタクのつもりもないし、普通のアーティストや女優への思に近い心情も理解していない様だ。

生田絵梨花のコアファンは、生田の卒業は少なくても2年前から心の準備はしており、卒業後の活躍が確定している事から応援こそすれ見放すとか生田絵梨花との別れとかの感傷は薄い。
舞台や映画やドラマやバラエティー番組で会えると確信を持っている。

但し、寂しさがあるとすると冠番組の中の生ちゃんを見れない事だろうか。
乃木どこや乃木中の中での破天荒な活躍や、想定の上を行くバラエティー対応を楽しみにしていたが、その点については誠に残念であり、同時に『なべりょう』さんのイラストも見れなくなるかという寂しさもある。

もう一つ、仲の良い乃木坂ちゃんとのイチャイチャが見れない事は結構寂しい思いがあるが、既に1年以上に渡って、まいやん卒業後に『いくまい』のいちゃつきが見られない事で結構寂しい思い経験済だ。

② 創作ドラマなのか?未来の予測なのか?

「最後のTight Hug」は、秋元康が創作したドラマであるので、この状況に陥った前の設定が理解できないと解けないね。元カノに呼び出されて「結婚する」と宣言されたのだから、別れた経緯を理解しないとその意味が変わって来る。

別れた経緯が解らないのなら、推測するしかないが2つ思いついている。
ひとつは「もう取り返しがつかないよと見せびらかす仕返し」である。
『釣り逃した魚は大きい』という心理を思い知らせたい。
もう一つは「リベンジチャンスをあげるけれどどうする?」と意地悪く試してる。「本心は奪って欲しい気持ちもあるのよ」というオタクには難しすぎるなぞかけである。

どちらにしろ、不道徳感(Immorality)の匂いがプンプンするのだが。

アメリカンニューシネマ 「卒業」
で他の男との結婚式に飛び込んで奪っていくハチャメチャな結末を思い出した。

ローレンス・ターマン・プロダクションズ エンバシーピクチャーズ

卒業 (1967年の映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『卒業』(そつぎょう、The Graduate)は、1967年のアメリカ合衆国の青春恋愛映画。
監督はマイク・ニコルズ、出演はダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロスなど。
原作はチャールズ・ウェッブ(英語版)による同名小説(英語版)。
アメリカン・ニューシネマを代表する作品の一つ。日本では翌1968年(昭和43年)に公開。
テーマ曲は、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。

ストーリー
米国東海岸の有名大学陸上部のスターで新聞部長でもあったベンジャミン・ブラドック(ダスティン・ホフマン)は、卒業を機に西海岸のカリフォルニア州南部のパサデナへ帰郷する。
友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで、将来を嘱望される若者に人々は陽気に話しかける。
そのパーティーで、父親(ウィリアム・ダニエルズ)の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソンの妻のミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)と再会する。
卒業記念のプレゼント、赤いアルファロメオ・スパイダー・デュエットでミセス・ロビンソンを送ったベンジャミンは、彼女から思わぬ誘惑を受ける。
一度は拒んだベンジャミンだったが、いま目標を失っている彼に示された道は他になかった。
大学院への進学を期待されながらもどこに進学するか決めないでうつろな夏休みが始まる。
夜ごとの逢瀬。それでもぬぐい去れない虚無感。心配した両親は、同時期に北部のバークレーの大学から帰郷した
幼なじみのエレーン・ロビンソン(キャサリン・ロス)をデートに誘えという。
一度きりのデートでわざと嫌われるようにし向けるはずが、ベンジャミンはエレーンの一途さに打たれ、
二度目のデートを約束してしまう。
二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンだった。
彼女はベンジャミンにエレーンと別れるように迫り、別れないならベンジャミンと交わした情事を娘に暴露すると脅す。背後に「ミセス・ロビンソン」が流れる。

焦燥したベンジャミンはエレーンに自ら以前話した不倫の相手は、他ならぬあなたの母親だと告白する。
ショックを受けたエレーンは、詳しい話も聞かずに、ベンジャミンを追い出す。

エレーンを忘れられないベンジャミンは、彼女の大学に押しかけ、大学近くにアパートを借り、エレーンを追いかける。
結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたある日、しかし、彼女は退学していた。
そしてベンジャミンはエレーンが医学部卒業の男と結婚することを知る。
どうにか彼女の結婚が執り行われているサンタバーバラにある教会を聞きだして、そこまで駆けつけたベンジャミンは、エレーンと新郎が今まさに誓いの口づけをした場面で叫ぶ。

(超有名なシーン)
「エレーン、エレーン!」。ベンジャミンへの愛に気づくエレーンはそれに答える。「ベン!」。
ベンジャミンを阻止しようとするミスター・ロビンソン。
悪態をつくミセス・ロビンソン。二人は手に手を取って教会を飛び出し、バスに飛び乗る。
バスの席に座ると、二人の喜びはやがて未来への不安に変わり、背後に「サウンド・オブ・サイレンス」が流れる。

ウィキペディアより

アメリカンニューシネマ「卒業」程の不道徳な話ではないし、「行くなと言えない」意気地なしだけれど、一般的にはその後には不幸が待ち受けている可能性が高く、思い留まるところが乃木坂46楽曲を購入する乃木オタの限界でもあるでしょう。


乃木坂46の未来予測なのか?

この歌詞で、生田絵梨花の卒業を祝っているとは思えず、ファンではなく運営側が苦い思い出をもって送り出すという、乃木坂6の衰退を予測する様な寂しさがあるね。
MVも寂しいラストにしか見えない。
コレ!生ちゃんファンの心情ではない。むしろ逆で明るい未来しか見えない。

もし、生ちゃんの未来が荒廃とした未来だ!とMVのラストで表現しているなら、よほど彼女を嫌いだった人(今野義雄氏?)の報復なのか?

それが、乃木坂の至宝と呼ばれた生田絵梨花へのはなむけなのだろうか?
私には、もう少し時間が無いと、この楽曲やMVについて解釈が出来ない。

さあ?どっちだ?


③ 作家が創った世界観のドラマを演じる様な楽曲

「バレッタ」「気づいたら片思い」「今、話したい誰かがいる」「ハルシオンが咲く頃」「逃げ水」「帰り道は遠回りしたくなる」等がそのジャンルの楽曲であり、それらしいMVを作っている。

本人の実体験ではなく、可愛い女優さんたちが「創作ドラマを演じている」という体である。
MV中の主人公であるメンバー本人の体験話つまりドキュメンタリーではない。

ロリオタはそれでも十分感情移入してくれる、ありがたい存在だ。
運営から見て、面倒な「非ロリオタファン」よりよっぽど確実でチョロい。


④ これ聴いて一番近い楽曲は、「やさしさとは」である。

乃木坂の曲のドラマを妄想する #3
1.「やさしさとは」は不思議な曲

「やさしさとは」は、秋元康に多い男の子目線の楽曲に見えているが、私は違う解釈をしています。
「君の名は希望」が神曲と言われていますが、この曲の主人公も「僕」ですがメンバー生駒里奈の事だと知られていますね。
「やさしさとは」の歌詞を考えると
「愛の意味とその価値を僕は考えたけど??」
って、明らかに女子目線ですね。
少なくても乃木坂ファンの10代男子は、性衝動との闘いとか、本能的な刺激や、顔とスタイルの事しか頭の中に無い。10代男子の愛=性でしかない。
10代の男の子が「こんなあからさまなやさしさとは」なんて考えないですよ(きっぱり)。

女の子に優しくしないとゲットできないという事実を突きつけられて、しょうがなく「どう優しくすればいいんだ??」という会話が男の子のやさしさについての言動。
「君が腕に抱えてた」の君が元カノだとしたら、既に振られてしまった相手の何らかのトラブルに対して思う事は『自業自得』だろう。
又は、キンキキッズの「ガラスの少年」の様に、過去の思い出が蘇り恨み節となるのが正直な話だろう。

「やさしさとは 何なんだろう? 君に駆け寄る速さか それとも落ちた涙を
一緒に拾うことか」
「やさしさとは 何なんだろう? 君を慰めることか あるいは涙の理由(わけ)を何も聞かないことか」
これは明らかに、女子に対してこうして欲しいというノウハウ集でしかない。西野カナの「トリセツ」に少し近い感じで捉えている。

しかし、残念な事に、女子が思う「こうして欲しい」相手は、自分の好きな男だけであって、キモイ相手、嫌いな相手に「やさしく」されたら、気持ち悪いと言われる。
恋愛経験の少ない10代の男の子は、自分がそのキモイと言われる相手だとの認識は薄いので、橋本や西野や生田への儚い思いを抱いて「こんな事思っているんだ?」と聴いている楽曲。

「やさしさとは」は不思議な曲

『最後のTight Hug』 の一番象徴的な歌詞の1小節

君の未来を変えてしまうことは
できないってこと
“責任”とかじゃなくて
そんな勇気ないだけだろう
このままずっとこうしていたかったけど
微笑んで両手を離した

『最後のTight Hug』と『やさしさとは』との共通点は、煮え切らない弱い心の若い男の言動(ビヘイビア)である。

生田はこんな男が好きだと思われているのか?心外だよね。
生田絵梨花が求めるのは、好きならば強引にでも自分のものにする「ジャイアン気質」のある(ハメスロドリゲスに相当するハンサムな)若者が、自分だけ優しくしてくれる事だよね。
生ちゃんが真夏等のメンバーにしている態度はそれ!


⑤ 誰に向かって書いた楽曲なのか?

ターゲットは、生田絵梨花のファンではない。
「卒業後にメンバーの応援なんかしない、自分に自信が無く御身大事で傷付きたくないロリオタ達」を現わすとこういう事だと言うなら納得だ。

ターゲットは、ロリオタだった。

だから、この楽曲は生田絵梨花のコアファンにとって意味不明な楽曲なんだよね!本当にもやっとするわ。
生田絵梨花の卒業センター楽曲『最後のTight Hug』にオブジェクション!


「『最後のTight Hug』が『サヨナラの意味』の続編だ」と言っている人が居たが、それも全くナンセンス。

『ガルル8福神』のしんがりとして、自分らが創った乃木坂46への思いと、乃木坂46の思い出は全部消して新たな世界を構築するという意味の楽曲は、『歳月の轍』である。
生ちゃんはこれからが『王道の芸能人生』をまい進するが、ついでに乃木坂46に相当する様な新規事業を創生するだろう。

秋元康先生、暗号の様な2曲をしばらく楽しませてもらいます。

EOD

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