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私は何のために絵を描くのかvol.4

AIで生成されたイラストって、見たら何となくAIって分かるんだよなあと思う最近。
手だったりの人体の細部の構造がちょっと変だとか絵柄がそれっぽいとかそういうのじゃなくて、どれだけ綺麗な絵でも人の気持ちが乗ってないのが分かってしまうというか、見た時に私の心が動かないのが分かるというか。不思議なもんです。

そうして世間も私の周囲も目まぐるしく変わっていく中、相も変わらず未来のことについて考える気になれない私。
2年前にXのアカウントを開設してから、そこで繋がった方々が色々な方向に進み始めている。
それに惑わされずに自分軸を生きる、その意思決定が私にとって最近一番の変化だったのかも知らんと思う今日この頃。

こんにちは、奏汰です🌵 


今日も今日とて:私が絵を描く理由を探す


私は何のために絵を描くのか』 

飽きずにこの疑問に向き合い続けることはや数年。背を向けて逃げてみたが答え出ず、諦めて逃げずに向き合ってみたもののもちろん答え出ず。
この状況で絵を描き続けているのが我ながら謎なのですが、ひとつ、その原動力について考えてみて思ったことがある。

私、未来じゃなくて過去を燃料に創作してねえか??


うまく説明できるか分からないんだけども、何と言いますか。

何かを作る時って、基本的には『創作物を完成させた後のこと』を考えながら制作することが多いと思うんですね🪄
作ったものを頒布・販売したいとか、二次創作で自分の需要を満たしたいとか、プレゼントにしたいとか。有名になりたい、バズりたい、仕事にしたい、色々あると思うんですけど、これは全部未来のこと。

でも今の私って、多分そうじゃなくて。
昔の私が辿り着けなかった理想の創作』を実現させるために足掻きながら描いてるんですよね。
つまり、モチベーションの理由が過去なんですよ。多分。 


昔話をします。


ちょこちょこ色々なところで書いているのですが、私、創作に関して親にいい顔をされなくて、高校の時まではずっと人の目を盗んで創作しているような子でした。
親が寝静まった後の真っ暗な部屋でPCを開いて、マウスのクリック音すら立てないようにしながら個人HPを編集する。そんな感じの日常を過ごす中で、衝撃的に好みなイラストを見つけたことがあるのです。

創作で個人サイトをしている方の、デジタル絵でした。

静謐な自然の風景と美麗な青年の姿。
透明感のある、空気の香りがするほど確立された世界観。
たった一枚のイラストで、絵の中の物語が知りたいと思わせる説得力。


『こんな絵が描きたい』って泣きそうになりながら、衝撃で、暗闇の中画面の前で動けなくなる私。

こんな綺麗なキャラクター、私には描けない。
背景なんて描いたことない。
絵の勉強の仕方が分からない。
デジタルなんて、環境すらない。
自分のPCもペンタブを買うお金もない。
親元を離れて自由に描けるようになるまで、あと何年かかる?

自分の現状とのあまりのギャップに絶望。すっごく歯痒かったのを覚えています。

残ってるんだよ〜当時の絵〜。こわいね〜〜〜。


大学に入った頃にまた見たくなって探したんだけど、私が大好きだったその絵はどこにも見当たらなくて、今ではもう二度と見られない幻みたいな憧れになってしまいました。 


そして今

大量に積み重ねてしまったこういう類の経験を、今、ひとつずつ成仏させようとしている。そんなステージにいるんじゃないかと自己分析しております。

上手くならないわ描けないわで、過去の怨念、全然成仏してくれないけどね。

あの日夢見た世界に、少しでも近付けますように


未来のために描きたいと思えるまで諦めない。
自分の絵に対する執念だけが私の取り柄です。

それではまた会う日まで!
以上、奏汰がお送りしました🌵


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