自分優先にしていいという許可をしていたこと

どうでもよくなった

こういう表現をすると冷たい奴だなぁって思われるかもしれない。
私のいうこの言葉はいい意味でどうでもよくなったんです。

コロナになって休んでいる間、私は朦朧としながら窓口を開設したり自責を辞めると決めてとにかく休むということに集中していた。いつもならなんで布団なんかにいるんだろう・・・ってぼろぼろになりながら涙するんだけど、どうでもよかった。自分に集中して体調を戻すことに集中してた。

そんな中で気がついたんです。
私がいなくても世界がまわっていることを・・・。

不思議な事に悲しさもなく怒りもなく、少し寂しさがあったくらい。で意外と心地良かった。

あぁ~1人時間を思いっきり堪能してもいいんだ。っていう感覚になり、気持ちが軽くなった。


体調がだいぶよくなってきて、実際に1人時間を作って堪能をするを続けてみた。

めちゃくちゃ充実してる✨

家族とは食事の時に話すというのもあるけど、家族それぞれ自由に行動しているので、ここも「まぁいいか」と手放す。

なんだろう・・・気が楽になる

そっか、そこまで自分の事を見張っていたし、家族の事も見張っていたんだなぁ・・・って思う。

見張らない、大事だ


休んでぼ~っとして自分を責めず、見張らずにいたら、はじめて

「よく頑張ったね」

とつぶやいてました。ほんと心の底からでてきた言葉でした。

強制終了の予兆は奇しくも父の命日だった。あぁ~父から

「自分大事にしろ、よく頑張ってる。大丈夫、笑顔だぞ」

って言われたなぁwって。


だから自分は今どうしたいのかという心の声を無視せず、今を大事に生きようって思いました。


だからいい意味で「どうでもよくなった」な感じ。

口悪くてすみません🤣


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