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ルーツ
今日、僕は会社の偉い人に「君のルーツになる人はいた?」と聞かれた。
何故僕を指名したのだろうと思いつつ、30秒待ってくれたものの、答えられなかった。ましてやここで好きなラッパーを答える訳にもいかない。
「また次当てるからな」といわれつつ、その時は適当に高校の同級生の横田の名前を出して何とかしのいだ。
そのあと僕はよくよく考えると、ルーツは中学時代に陸上の指導?を受けた岩崎先生なんじゃないかという結論にたどり着く。
母校である鳴瀬第二中学校はゴリゴリの田舎であり、2クラスで同級生が48人ほど。陸上部なんてものはなく、大会期間中だけ他の部活から寄せ集めて「特設陸上部」が結成される。
もちろん陸上競技の専門なんて人はおらず、バスケ部顧問の岩崎先生が指揮をとっていた。
確か当時30代前半で、「下ネタが大好きだけど怒ると怖い人」というイメージしかなかった。中1の野球部の僕は、怒られる未来しか見えなかった。現に、バスケ部から借りだされていた同級生はありえないレベルで怒られていた。
特設陸上部なんてものに一切興味はないものの、僕の才能を信じてやまないママは勝手に参加届けに印鑑を押した状態でカバンにねじ込むものだから、強制的に中1の僕はあまり関わりたくない岩崎先生から指導される日々が始まった。
ここから3年間、僕は5月と7~9月だけ陸上部も兼任する日々を送るが、意外にも怒られなかった。ただ、毎日すれ違う度にぼくのち○ち○を触ってきた。(変な意味はない)
僕ともう一人の同級生の女の子2人で県大会に行った帰りは「すたみな太郎」を実費で奢ってくれた。(多分ルール上ダメ)
皆で3kmのタイムトライアルをしたとき、全員結果がダメで、めちゃくちゃ岩崎先生から怒られた。そんな僕はタイムトライアルをしたくないから仮病で四つ葉のクローバー探しを横でしていた。同級生の一人がぶん殴られた瞬間、四つ葉のクローバーを何個か持っている僕は死を覚悟したが、「お前は殴る価値もない」と免れた。僕の代わりに殴られた櫻井、ごめんな。
駅伝の練習中に学校のトイレ(あまり使わない部屋)から夏休みを経過したものと思われるカピカピのう○こが発掘され大騒ぎになり、岩崎先生の「多分そうし」の一言で全校生徒から犯罪者の目で見られたこともあった。
岩崎先生は駅伝前日の壮行式で腰パンをしていた先輩を一喝し、まさかの前日にゼッケンを剥奪した。ちなみに真実は腰パンではなく異常に大きなジャージを当日借りたことによる事故であった。
ヤバいと思った僕らは号泣しながら岩崎先生に謝り、見事腰パン先輩はゼッケンをギリギリで奪取する。そんな僕らは腰パン先輩が走れる喜びで一体感が前日に生まれ、市内1位で県大会出場を果たす初の快挙を達成した。完全にルーキーズの世界だった。
とりあえず岩崎先生はいい意味で無茶苦茶だった。そんな感じだから僕も怯えることなく、基本も何も知らないまま走れていた。
だからこそ高校で「怒られる」ことへの異常な嫌悪感が生まれ、今に至るのかもしれない。
間違いなく岩崎先生でなく専門的な指導者に出会っていたら陸上は中学で辞めていた。
大学卒業後、岩崎先生に呼ばれることがあった。
「うちの陸上部の生徒見てくんない?」
僕が卒業してから8年後だったため、他の中学に転勤しており、ふと生徒に「岩崎先生って相変わらずめちゃくちゃふざけてる?」と投げかけたら、全員ぽかんとしていて、1人も岩崎先生がふざけてるのを見たことがない様子だった。
不思議と、あのとき全力でふざけてくれた岩崎先生に感謝の気持ちが不覚にも生まれてしまった。
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