藤本マダニ

藤本マダニ

最近の記事

半生

特に節目でもないし何があったわけでもないが、需要があるようなので半生を振り返ることにする。 幼児期 1997年10月13日、横浜市内の病院にて生まれる。臍の緒が首に巻き付いており危険だということで、帝王切開による出産が行われた。生まれる前から自殺を試みるとは気合の入った胎児である。 当初は両親との3人暮らしだったそうだが、物心のつく前には厚木にある父方の実家に移住し、私と両親、祖父母と伯母の二世帯で暮らすことになった。 最も古い記憶は、横浜にある母方の祖母の家に居着いた

    • 結論から言うと遭難しかけた。 今日は市役所に行く用事があったので、地元(といっても電車で気軽に行ける距離ではあるのだが)に戻っていた。さっさと手続きを済ませて江ノ島にでも行こうと考えていたところ、どうしても一旦実家に帰らなければならない都合ができてしまった。 そうなると江ノ島に行く時間も怪しくなってくるので、実家からすぐの山でハイキングでもするか、と考え直した。既に夕方ではあったが夏至の翌日ということもあり、暗くなる前には山を登って下りられるだろうと踏んだ。また私は小さい

      • 怪奇現象

        暖かくなってきてホラー系のコンテンツが盛り上がっているので、実体験を(というか身の回りに起きた一連の現象について)記そうと思う。 高校生の頃、私にはSという友人がいて、時折互いの家に遊びに行く程の仲だった。ある日彼はいつものように私の家でゲームをして、夜になったため自分の家に帰っていった。 その後夕飯を食べていると、母親から今日来てた子は誰かと訊ねられた。「Sだよ」と答えると、「それは知ってるけど、もう一人女の子がいたでしょう」と返ってきた。部屋には私達しかいなかったし、

        • 無題

          先日、後輩が死んだ。彼女は以前からホストに通っていて、担当に心底入れ込んでいる様子だったが、例に漏れず随分と無茶な金の使い方をしていたらしい。売り掛けが払えず追い込まれた彼女は、仲の良かった同僚の金を盗み、その日の内に自ら命を絶った。 彼女が何を思って死んだのか、何故死ななければならなかったのか、私には分からない。私は彼女と仲の良いわけではなかったし、まともに会話をしたことも数える程しかない。そんな私が彼女の死をダシに文章を書くことは、少なくとも彼女の本意ではないだろう。実

          労働

          私は労働を嫌悪する。学生時代より鬱病とパニック障害を抱えていることや、そのために教職に就く夢を諦めてしまったこと、或いは労働で壊れてしまった父親を見て育ったことなどそれらしい理由はいくらでも挙げられるが、私はもっと根本的に、労働というシステムそのものを嫌悪している。 少し話は逸れるが、風俗業従事者や援助交際を行う人々に対し、「自分の身体を大切にしなさい」という旨の発言がなされることは多い。また同時にそれらを利用する客に対して、性的搾取であるとか、公然と行われる犯罪であるとい

          自殺

          寒くなり自殺を企図する人間が増えている。中には誰にも知られずにひっそりと死んでいく者もいるだろう。しかし私の知る限り、彼らの多くは親しい友人にその旨を打ち明けたり、SNSに投稿するなどして、自らの意思を表明しているように思う。私はここでは彼ら自身ではなく、彼らの計画を伝えられた側の人々について考えたい。 自殺を決意するまでに追い詰められた人間に、他人を慮る余裕の無いのは私自身よく理解しているつもりだ。断じて彼らを責めるべきではないし、またその原因を彼ら自身に求めるべくもない

          目が覚めたら青空でいても立ってもいられず、目的地も決めずに電車に飛び乗った。海を見に行きたいがこの頃の日の入りの早さを考えると、江ノ島や鎌倉に着く頃には日が暮れてしまうので、妥協案としてお台場に行くことにした。秋の東京湾の透明度は意外にも高く、釣り禁止の桟橋付近では食べ頃のクロダイが悠々と泳いでいる。海岸沿いに歩いていくと、海上保安庁の所有する立ち入り禁止の岸壁に突き当たった。すぐに踵を返すのも損をした気分になるので、死角になる場所に隠れてマリファナを吸いながら、既に暮れ始め

          曖昧に生きていたら四半世紀が過ぎていた。 私は生来何かひとつのものに夢中になる、努力するといったことを怠ってきた。これは私の生まれ持った性質であるのか、環境によるものなのか、或いは病気にその原因を見出すこともできるかもしれないが、いずれにせよ現に自堕落で無気力な一人の人間が存在しているという結果に変わりはない。必要なのはその過程を振り返ることではなく、将来の展望を描くことである。いい加減に身の振り方を考えなければならないと切実に感じているが、同時にこの人生に、ひいてはこの世

          怒り

          人は怒ると気持ちが良くなるようにできている。そもそも怒りとは、不当な扱いを受けた(と感じた)際に生じるものであり、主観的な、或いは同時に客観的な正当性に基づいてのみ存在し得る。「私は正しく貴方は間違っている」と怒りを以て表明することは、少なくとも相手にとり暴力以外の何物でもないが、暴力は気持ちが良く、またそれが正当性に裏打ちされてしまえば言うに及ばない。 とはいえ日常生活において不当な扱いを受け、かつそれに対し直接怒りを表明する機会に恵まれることはそう多くはないだろう。不当

          電車

          目が覚めた瞬間から激しい不安と焦燥感に襲われ、歯を食いしばりながら存在しない何かに許しを乞うということを毎朝繰り返している。それに加えて最近は夢見も悪く、昨晩は黒人女性(Apex Legendsのライフラインに似ている)の頭をコンクリートに打ち付けて殺す悪夢を見たが、その際の感触が今でも残っているような気がして気分が悪い。本来休息であるはずの睡眠で何故こんな思いをしなければならないのか。不快感を引き摺ったまま電車に乗ると、向かいの席にいた家族連れの、両親に挟まれる形で座ってい

          家庭環境

          家庭環境の壊滅的な知り合いが余りにも多い。例を挙げると、祖母が死産させてしまった子供を押し入れに隠したらミイラ化したためそのまま何年も放置していたとか、知的障害者の伯父と母が居間で堂々とセックスをしていたとか、震災から避難してきた祖父に強姦されたとか、血の繋がらない父親に強姦されたとか、新興宗教とか、反ワクチンとか、兎にも角にも家庭の数だけ地獄のあることが窺える。書いていて気付いたが地獄とは主に性欲に起因して顕現するのかもしれない。 幸いなことに我が家は性欲による問題の起き

          結婚

          この頃私の周りで結婚や離婚が相次いでいる。私にとって結婚などというものはフィクショナルというか、少なくとも私の人生には一切関わりのないものと認識していたが、歳を重ねて交友関係が広がるにつれ、ごく一般にありふれたものであるということがわかってきた。 現在私は結婚を積極的にしたいとも、絶対にしたくないとも思っていないが、そもそも人が何故結婚するのかということがいまいちよくわかっていない。ゼクシィの調査によると、「相手と一緒に将来を生きたかったから」「相手と一緒に生活をしたかった

          復讐者

          平和な我が国では今日も少女が人を刺し、無職が爆破を予告する。 いじめを苦に自殺した子供に対し、「死ぬ勇気があるのなら復讐すればいい」などと呑気なことを宣う人間は多い。しかしその復讐の対象に、自分が入っていないと一体何故確信できるのだろう。 死刑を望み、或いはそれを顧みずに無差別な殺傷事件を起こす人間は後を絶たないが、思うに彼に対する「死にたいなら一人で死ね」などという発言は、あくまで自分は部外者であるという傲慢な意識が生み出した、全くもって的外れなものだ。彼にとって部外者

          道場

          最強になるために道場に通い始めて早くも4ヶ月が経った。 私の通う道場では、沖縄拳法空手をベースとしてシステマや合気道など様々な武術のエッセンスを取り入れた、総合的な技術体系を学ぶことができる。そのため特定の武道を習っているという表現が適切ではないのだが、道場名が「誰でも何歳からでも楽しんで強くなれる」ことを旨とした「誰ツヨDOJOy」ということになっており、代表である菊野克紀先生の功績を知らない人間からすると「誰ツヨDOJOyに通っています」という発言は正直かなりダサく映っ

          大海

          自分で漫画を描くよりも他人の漫画を読む方が楽しいし、自分で作曲するよりも既存の曲を聴く方が感動的だ。 私が絵を描くのが好きなのは、他人の絵をあまり観ないからなのかもしれない。私が文章を書くのが好きなのは、或いは他人の文章を滅多に読まないからに過ぎない。 井の中の蛙が大海を知らないのは幸いなことだ。精神的に向上心のないものは、なるほど確かに馬鹿かもしれないが、人間は基本的に馬鹿なのだ。あらゆる情報が指先だけで手に入る時代、自身の上位互換が嫌というほど目に入る世界で努力を続け