じゃんけんと運
いきなり抽象的なことを書くのもアレなので、『究極の運ゲー』と名高い「じゃんけん」を例に挙げて書きます。ここで運に対する私のスタンスが一つわかるかと思います。
結論から言えばじゃんけんは、運ゲーです。
「ゲーム」特に「アナログゲーム」は『人』と『人』がとある『場所』に集まって、固有の『ルール』の上で遊ばれます。人とルールを繋ぐために『ゲームコンポーネント』があったり、その他様々な要素が絡み合ってゲームは成り立っています。そういう事実はあるとして、ここでは話を簡単にするために、人と人との遊びの媒介としてゲーム本体(ルールや用具)があるという構図を考えましょう。
まず運の要素はゲーム本体、ここではじゃんけんというゲームのルールにあるか考えます。少し考えればじゃんけんにはランダム性が全くないことがわかります。なので運の要素はありません。
・・・本当でしょうか?
ゲームのルールは手順やランダム性のほかに、ゲーム参加者同士をどう関わらせるかも決めます。これをインタラクション性と呼びますが、じゃんけんは同時に手を公開して、出された手を比較することによって勝敗が決められます。勝敗の行方は自分がどの手を出そうとも相手の手次第で決まる(さらには全ての可能性が均等に存在する)ことが明らかです。相手が何を出してくるかわからない、あえて言えば均等に出してくる可能性がある場合、自分の手が決められない、結局、じゃんけんは勝敗を天に祈るしかない、運ゲーなのです。
まとめるとじゃんけんは、ランダム性はないものの、インタラクション性が最大であるため、戦略的に振る舞えない、戦略性が非常に乏しいゲーム、つまり『運ゲー』なのです。
しかしここまでの議論だけではじゃんけんはまだ、結構高レベルな運ゲーどまりです。これが『究極の運ゲー』と見なされるためにはいくつかの議論が必要です。しかし、どう究極かは一旦置いておきます。
今回私が言いたかったことは、次の二つです。
○ゲームルールはランダム性とインタラクション性を規定する
○ランダム性がなくともインタラクション性次第で戦略性が乏しくなり運ゲーになる
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?