白と黒
昨年末、フェリックス・ヴァロットンの展覧会へ足を運んだ。
その世界観がとても気に入り、普段はそんな事しないのに珍しく展示物のポストカードを購入した。
カード用のフレームも白と黒。
雰囲気に合わせてフレームも買い、サイズに合った額に収めて寝室に飾った。
気に入ったものは、いずれも愛情と駆け引き、人間の本性が見え隠れする、ヴァロットン得意の皮肉が籠められた作品。
ひとつは、「怠惰」。
ベッドの上、女性が気怠げに片手で猫を撫でている。
先に身支度して出て行ったのか、愛し合った相手は、絵の中にはもう居ない。
余韻と少しの空虚さには、白が似合う(と思う)。
もうひとつは、「嘘」。
男の横顔には笑みが浮かんでいるけれど、どうにもこれが私には誠実には見えない。
でも一方で、男の左肩に顔を埋める女は何も知らずに幸せに浸っているのだろうか、とも疑問に思う。
女は鋭いものだ。
多分、大方の男性が思っているよりも、ずっと。
全て分かった上で、敢えてその嘘も飲み込んでその身を委ねているのならば、ある意味で女も“嘘をついている“とも言える。
他の作品も全てどこかシニカルで、本質を突いたものが多かった。
私がヴァロットンの作品に惹かれた一番の理由は、その辛辣さの中にひと匙のユーモアがあるからかもしれない。
“人はどうせいつか離れてゆくもの“
“分かり合えるなんて幻想に過ぎない“
当たり前に理解していたつもりでいたけれど、その実、必死でそれに抗いたくてもがいてきた。
心が離れる時は、不意にやってくる。
それもほんの少しの事象や、誰かからの何気ないひと言で。
自分でも意識しないうちにいつの間にか変わっていて、気がついた時にはもう手遅れになっている。
たとえ気づけたとしても、心の移ろいは止めることが出来ない。
白がいつか、オセロのようにパタリと黒に変わっている。
一見相反する色だけれど、実は表裏一体で、本質は同じ。
私は白黒はっきりさせるのが好みで、曖昧が苦手だ。
私の中の白と黒も実は矛盾なく同居していて、その時々で都合よく選択することを繰り返して生きているだけなのかもしれない。
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