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no.15 -リズムは多様性を生み出すコトバである-

文化人類学の川田順造氏によると、西アフリカのモシ族は、太鼓を叩くことで彼らの王朝年代記を次世代へと伝えていたという。モシ族は文字を持たない。太鼓の音色を「コトバ」として、次世代に受け継いできたという。

また「トーキングドラム」という太鼓がアフリカには存在する。2つの高低差のある音程によって通信するというもので、戦争の際などに「モールス信号」的な役割を果たしたらしい。

アフリカ音楽にはリズムパターンの文法的なものも存在し、実際にアフリカの音楽学校ではそれを教えているとも聞いたことがある。

アフリカ人は多種多様の民族構成で、音楽を得意とする民族とそうでない民族が存在する。アフリカ人、またはアフリカ系の人々の作る音楽がすべて「コトバ」を持つかは定かではない。

しかしJazzやFunk、Hip-hop、キューバ音楽等ワールドミュージックなど、アフリカルーツの人々が奏でる音楽を聴いていると、彼らのリズムには言語性があると確かに感じる。「コトバ=リズム」という文化が存在するのだ。

音楽において、「コトバ=歌詞」とするのが普通の考え方である。コトバを歌詞に乗せて、音楽にするのが一般的であるが、リズムをコトバというコミュニケーションツールとして使うのである。

これに対して、西洋音楽はリズムを時間の座標軸のみで規定することが多い。

近年のコンピューターミュージックは、BPMをまず決め、MIDIの座標にリズムの点を並べていく。西洋音楽の楽譜と同じ考え方である。

ここでのリズムは時間として、機械的に、しかも誰もが楽譜を読むとその通り演奏できる普遍性と機能性を持っている。

西洋音楽、現代のコンピューターミュージックは「時間=リズム」である。

コンピューターにリズムがサンプリングされ、アーカイブされていくと、リズムは画一化され、無個性に向かう。ディープラーニングがより発達していけば、AIがすぐれた音楽を作ってしまう日もすぐ来るだろう。

そうなると、人間が音楽をつくる意味は何なのか、問われているのが現代である。

私はリズムを作る時、クオンタイズ(タイミングのズレをシーケンス上で正確に修正する機能)は行わず、自分の身体の作り出す、ヒューマナイズを行う。微妙な揺れやズレ、アクセントを人間臭いリズムとして構成する。

リズムを作る時、それを歌のようにも私は感じる。歌は人間の個性であり、言語の違いによっても出てくるリズム感覚は人それぞれ違う。


コンピューターの発達で、音楽制作は簡単にできるようになった。楽器ができなくても、音楽理論を知らなくても、コンピューターが解の道筋を与えてくれ、時間の座標軸にドットを打ち込んでいけば、「音楽」には一応なる。

でも、私は何かそれでは物足りないと感じる。

上のYouTubeであげたLuttrelのようなテクノミュージックを私は好んで聞くが、彼らの音楽にはコンピューターで単にドットを並べた以上の、エモーションや情緒を感じるので、とても聴いててかっこいいと思う。モーツアルトも同じで、時間性にこそ芸術が詰まっている。

そしてモシ族にしか叩けないビートがあるように、人にはそれぞれ自分のビート感があるはずだ。

今年になって、YouTubeが音楽表現の主なメディアとなりつつある。昨年までとは比べものにならないくらい、動画コンテンツは右肩上がりに増えている。資本がモノを言った産業音楽は少しずつ変わり始め、表現者は増え、多くに埋没し始める感はある。

だからこそ、個性を持った音楽家が作る音楽、人間の身体性を回帰させ、感情を開放する音楽、どれだけ売れるのかではなく、感動で心が震える生きた音楽が大切なのだと思う。

人間がつくる音楽にこそ多様性がある。

そして、2021年からは、人類は多様性の時代を迎えるようである。テクノロジーの進化も相まって、とても面白い時代になると私はワクワクしている。

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